第200話 サブレー(後編)

 放課後の教室、廊下側の後ろから二番目の席で、俺は遠くの窓から見える夕方を見ていた。

陰った薄い紫色、雲が多い。

明日は天気よくない予報だったか。


「──あ、忘れてた」


 足を投げ出して、だら、としていたら女子が唐突に言った。


「ん?」


「ジャージ」


「明日は体育ねぇけど?」


「じゃなくて、レン君から借りたジャージよ」


 ああ、と椅子から落ちそうな尻を戻して頬杖をつく。

そのまま横目に女子を見たけれど、女子は英語の本に目を落としたまま最後のサブレーの半分を口に咥えていた。

そのまま本を近づけたかと思ったら今度は携帯電話をバッグから取り出す。

わからない英文が出たか。


「食いながら読みながら検索って、いっぺんにやり過ぎだろ。どれか一個終わらせぃ」


 俺がそう言うと女子は唇に挟んだままだったサブレーを指で押し込んだ。


 口に端についてんぞー。


 自分の口の端を指でつついて教えてやると女子は、ぺろ、と舐め取った。

手が塞がっているからかもしれないけれど、他の奴の前ではすんな、と眉間に皺が寄る。

逆に女子の顔は晴れた。

わからなかった英文が読めたのだろう。


「どうかした?」


「うん?」


 今度は女子が眉間を指でつついて教えてくれた。

けれど俺の眉間はまだ戻らない。


 三学期が始まった日、女子はジャージを着ていた。

別に初めて見たわけではない。

男も女も同じ色のジャージだし、体育の時も見ている。

けれどレンに借りた、ってだけで何か違った。


 うーん……?


 残ったカカオのサブレーをつまんであの時を読み返してみる。


 ……なんか、もや? と、した。

サイズ違いのジャージに、っていうか、それを着た女子に?


 さくん、とサブレーのほぐれを歯に感じた。


 普通に借りたはずなのに──。


「──なぁ」


 俺は女子を呼んだ。

女子は本から目を離して俺を見ている。


「どうかした?」


 また同じように聞いてきた女子を俺は、検索する。


「……あのさ、お前、男と二人になるとか、どうも思わない、感じ?」


 聞き辛くて声の音量が大きくなったり、小さくなったり、途切れ途切れで定まらなかった。


「質問の意図がわからないのだけれど」


 足りなかったか、と付け加えるにもこれ以上はもっと言い辛い。

サブレーを口に放り込んで誤魔化す。

すると女子は手を挟んだまま本を閉じて、こう言った。


「──どうも思わないなんて事はないわ」


 質問が悪かった。

俺はその続きが聞きたいのだけれど、と思ったら続きがあった。


「そうね……どきどきする」


 ざぐ、と奥歯でサブレーが砕けた。


「そわそわするし、はらはらするわ」


 ん? いやいや、それは思う事でクラキがそう思うとか、ん? どうなってんだ?


 それでもかまわず女子の話は続く。


「多分これからもずっと、変わらないんじゃないかしら」


 何故か女子は恥ずかしそうに、少し俯いて微笑む。

ごくん。


「──何の話だ?」


 眉間の皺をそのままに俺はつっこんだ。


「男の子と二人になった時の話でしょう?」


 若干腹が立ってきた。


「そうだけれど、じゃなくてっ。お前、レンとこ行ったじゃん」


「うん。それが?」


「そん時も、そう思ったわけ?」


「え? うん」


 がーーん。


「だって写真、見たかったんだもの」


 …………あれ?


 女子と目が合って、同時に首を傾げた。


「……話が嚙み合ってない気がするわ」


「お、俺もそう思ってたとこ」


「どうしてレン君が出てきたかがわからないけれど、私は、私とクサカ君の話をしていたのだけれど?」


「うん!?」


「うん」


 …………つまり、男と二人になる、イコール、俺と二人になる、とクラキは思っているわけで。


 俺は慌てて聞いた。


「ほ、他の男では!? れ、レンとか!」


「レン君は友達でしょ?」


「あ、はい」


「もう、なーに?」


 なんかもう、どれでもよくなってきた。

確実にわかるのは、これ。


 俺って、独占欲みたいなもん、強かったんだなぁ……。


 なんて、変な焦りに俺は眉間の皺を指で伸ばしたのだった。

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