第199話 サブレー(前編)
放課後の教室の廊下側、一番後ろの席で私は本を読んでいる。
今日のジャンルは童話。
「──うへぇ、また英語読んでら」
「割と読めるわよ?」
読んでいるのは英訳のままの本だ。
内容はほぼほぼわかっているし、挿絵も手伝ってくれる。
ぱっ、と本を逆にして見せると、やっぱりの反応が返ってきた。
「いっ、いいっ」
「わからない単語は調べればいいだけだし──」
「──じゃなくて、課題テスト終わったばっかじゃんよー」
確かに今日、休み明けのテストが終わったばかり。
自己採点もテスト直後にしてみた。
ケアレスミスが三問、ド忘れが二問、あとは覚えていない。
前の席に座る男子は窓に背をつけてゲームをしている。
私がオススメしたゲームにハマってくれているようで、さっきから指が忙しなく動いていた。
「……こうやって遊んでいられるのもあと何回かしらね」
「はぁ?」
間抜けな声は落ち着く。
気が抜ける、って言い方も出来るか。
私は少し笑ってすでに机に上に出している本日のおやつ、サブレーの一枚に手をかけた。
それぞれ袋に入ったそれはバターとカカオの二種類、手をかけたものを戻して二秒止まって考えて、カカオの袋を開ける。
「そろそろ進路とか出てくるじゃない?」
そして一口、さっくり、ほろり、と解けるようにサブレーが割れていく。
そしていつも唇についてしまう小さなサブレーの粉を舌で舐め取った。
男子はバターのサブレーの袋を開けて半分齧ると、その勢いで変にヒビが入ってしまったか、慌てて上を向いて全部口の中に流し込んだ。
それから私と同じように唇を舐めた。
「しかめっ面。好みじゃなかった?」
そう私が聞くと男子は、ううん、と首を横に振った。
「──いや、美味ぇよ。顔は進路の話のせい。もうそれ出てくっかー、と思ってよ。でもまぁ、先輩ら見てっとそう思うわな」
三年生達は受験モードというやつで、登下校中でも校内でも参考書などを手にしているのをよく見かける。
「ぴりっとした雰囲気だからかしらね。感化されてるのかも」
男子は私の机に肘をついて、横目に聞いてきた。
「進学?」
「うん、今のところは」
「今って?」
私は栞を挟んで本を閉じた。
「まだ決まってないって事」
「ふーん」
父さんには、進学、と言った。
嘘ではない。
けれどまた変わるかもしれない。
他の道──別の私のルートが見つかるかもしれない。
この栞みたいに、私はまだ未来のページを予想中だ。
そう言うと男子は頬杖をついて微笑んだ。
「何かおかしな事言ったかしら?」
「違う違う。お前、笑ってんだもん」
すぐに頬を触った。
無意識で気づかなかった。
「ちっこい頃さ、何になりたかった?」
「あは、何?」
「進路調査ごっこ」
男子はカカオのサブレーの袋を破る。
私もバターのサブレーの袋を開ける。
んー……小さい頃、そういえば幼稚園の時に絵を描いた──。
「──思い出した」
「お、何々?」
さくっ、と近くで美味しい音がした。
「笑わない?」
「内容による」
そりゃそうね、と私は言った。
「……人魚姫に、なりたかったなって」
当時、私は泳げなくて同じ組の男の子にからかわれていた。
ちなみに今でも泳ぎは苦手だったりする。
「ふっ、可愛いじゃねーの。女の子の夢って感じすんな。今では魚は見るより食うとか言ってっけどさ」
「む。それは一緒じゃない。そう言うクサカ君はどうだったの?」
すると男子から意外な夢が語られた。
「靴職人」
「……おお」
「なーんだよその反応。母さんの知り合いが工房? やっててさ、一緒に見に行ったんだよ。外国人の爺さんだったんだけれど、すっげーかっこよくて、今でも覚えてんだわ」
多分、私もそういう感じ。
かっこよくて、綺麗で、憧れるものが夢だった。
私はまだ袋の中にあるサブレーを袋の上から軽く割った。
小さいのと大きいのと、欠片が二つ。
──いつの間にか、小さい時の夢は私のルートからなくなっていた。
「何かいいな、無邪気な夢って」
「……うん。違う私になれるって、楽しいわ」
大きくなった私達は人魚姫と靴職人の夢のページをまた、読むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます