第193話 おかき揚げ(前編)

 お正月も三が日を過ぎればあっという間で、それに連なるかのように冬休みもあっという間に過ぎていく。


「ん、父さんもお茶飲む?」


 私は堀りごたつでまったりティータイムと洒落込んでいた。

ちょうどおかわりのお茶を淹れたところに父さんが仕事部屋からリビングに入ってきたところだ。


「呼ばれようかな。課題は終わったの?」


「うん。滞りなく」


「いいなぁ。父さんは滞ってまーす……」


 どうやらお仕事の書がなかなか固まらないようで、父さんは昨日からこの調子だ。

大きな体を小さくさせているのは考えている時の癖で、今まさにそう。

いつも結んでいる髪も解いているところを見ると、稀に見る困った時の癖まで出ている。


 とぽとぽーっ、と急須から父さんの大きな湯呑にお茶を注ぐ。

ふわん、と緑の香りと湯気が上った。


「これは?」


「固くなったお餅で作ったの。おかき揚げ」


「ああ、スミレちゃんが作ってたねぇ。どれどれ」


 父さんの前に湯呑を置いて、私もおかき揚げを一つ食べる。

かりがり、ごるさくっ、と音が楽しい。

塩加減もちょうどいいし、エンドレスおやつ決定。


「うん、美味し美味し……はぁー……」


「美味しいの後にため息やめて」


「そだね。ごめんごめん」


 ごきごき、と首を左右に鳴らす父さんは髪を結い直す。

私も母さんも髪を結ぶ事がほとんどないのでそれを見るのは新鮮だ。


「……肩、揉んであげよっか?」


「んー? 小遣いならスミレちゃんに止められてるから駄目だぞー?」


 笑う父さんにちょっと、むん。


「違うもん。疲れてるみたいだから、はい、背中伸ばして」


 私は父さんの後ろに回って膝立ちした。

小さい時から全然変わらない大きな背中に、仕事着の黒い甚兵衛。

その皺を伸ばしてあげて、ぐっ、と親指に力を入れる。

固くてすでに揉むのが嫌になった。


「あー、気持ちよし。そこそこ」


「ここ?」


「うんうん、あー、よいー」


 気持ちよさそうなところ悪いけれど、残念なお知らせです。

すでに私の親指のヒットポイントがゼロに近いです。


「──そろそろ進路も考える時期だねぇ」


 すると父さんは唐突に言った。

けれど私はもう決めている。


「私、進学したいわ」


「大学?」


「うん」


 どこ、というのはまだ模索中。

父さんはやや首を左に傾けながらおかき揚げを一つ取って、後ろ手に私に食べさせてきた。


 がりごり、ざくさく。


「そっかそっか。ちゃんと考えてるなら父さんは応援するよー」


 ごくん。


「……ちゃんと、じゃないかもしれない」


「うん?」


 私は将来、何になりたいとか、そういう明確なものがまだ、ない。


「夢とか……そういうの、まだぼやけてるの」


 父さんはおかき揚げを食べたと思ったらすぐにお茶を飲んだ。

少し柔くなった音がした。


「いいよー、それで」


「え? でも──」


「──父さんは今この仕事、書家として色々やってるけどなー、ほんとは警察官にもなりたかったんだよ」


 それは初耳だ。


「けれど爺さんが書家の人だったからなぁ……影響力は強かったし、一番間近にいる未来の形だったのも確かでなー」


 父さんの父さん──お爺様は私が生まれる前に亡くなっていて、私が会ったのは写真だけだ。

すると父さんは半分だけ私の方に顔を向けてこう言った。


「固めるのはもう少し先でもいいんだぞ? 柔く柔く、色々迷ってみなさい」


 そして、父さんの肩も早く柔くしてくれー、とまた前を向いた。


 私の少し先はまだ曇りガラスを通したみたいにはっきりしていない。

それでも、前を向いていきたい。

父さんの大きな背中が、そう、教えてくれていた。


「……父さん、ちょっと太った?」


「えっ、マジ?」


 いい年のおじさんがマジとかやめて。


「正月太りは毎年だなぁ……ねぇ?」


 父さんは私をちらりと見てきやがりまして──。


「──それって私も太ったって言ってるのかしら?」


「あ、えーっと……ぐぇっ!? ギブギブ! やめてぇ!」


 私は母さんから習ったチョークスリーパーを柔く、キメてやったのだった。

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