第166話 カフェ・オ・レ(後編)

 マグボトルからカフェ・オ・レを一口飲んだ。

ちょうどいい温かさが喉を通っていく。

控えめな甘さが続けてもう一口を誘う。


 写真部は私が所属する実習棟ではなくまた違う棟──部室棟の一室にあって、パイプ机にパイプ椅子が並べられていた。

私達は窓際から射す日向のところに座る。

私の隣にはクラゲちゃん、机を挟んだ対面にはレン君が座っている。


「ニノミヤー、ずっとそうしててもしょうがねぇだろー?」


 お昼ご飯のおにぎりを食べたレン君が言う。

私もサンドイッチを食べてしまっている。

クラゲちゃんも一緒に食べていたのだけれどまだ菓子パンを半分も食べていない。


「……変わりに俺が言うかー?」


 ぶんぶん、とクラゲちゃんは首を横に振る。


「じゃあもう言っちまえ。クラキはちゃんと聞いてくれっから。な?」


「ええ。私は大丈夫よ」


 するとクラゲちゃんは驚いた顔を私に向けた。


「大丈夫じゃないもん! だってアタシが話したら先輩……また、殺しちゃうかもしんないから……大丈夫じゃないもん……」


 どんどん声が小さくなっていった。


「……クラキ先輩に、そんな事してほしくないもん」


「どうして?」


「哀しい、から」


「クラゲちゃんが泣く事じゃないのよ?」


「そうかもだけど! だって先輩、泣いてるもん……」


 私は泣いてなんかいない。

涙は一滴も滲まない。


「あのねクラゲちゃん。私にも見られたくないところってあるの」


 私が見られたくないところは、中学の時の私、真っ暗な時の私、人を拒んでいた時の私だ。


 そして──誰も私に興味がなければいいと思っていた時の、私をだ。


「……変な癖、なのかもしれないわね」


 今はそうしたくなくても、残り香のようにまとわりついているもの。


 ここで聞き手に回っていたレン君が口を開いた。


「クラキがそうしなきゃならなかった原因って?」


 きっとレン君はもう、私がいじめに近いものを受けていたのは聞いただろう。

そしてこう聞いたのは、ちぐはぐ、なところに気づいたからだ。

私がそうするようになったのは、いじめに近いものを受ける前だった。


「──憧れの人が死んでしまったからよ」


 姉さん。

私が一番好きだった、きらきら、した人。


 私は姉さんを──殺してしまった。

皆、皆、姉さんを好きだった。

地元では知らない人がいないくらい、目立つ人だった。

姉さんが死んで、私は生きている。

生きてしまっているから……そういう人達が色々、言ってきたし、今もまだ、言ってくる。

だから、私は自分を


「……変な先輩でごめんなさい」


 するとクラゲちゃんは私に向き直った。


「変じゃなーい!!!!」


「……わぁ」


 大きな声に面食らってしまった。


「アタシが聞きたいのはそういう事じゃない! アタシが言いたいのは、もう先輩はあこががれられられてるのにって事、です!!」


 ……ん?


「噛んだ!! あこらがれ、がれ?」


「憧れられてる」


「それ!! です!!」


 レン君フォローありがとう。

けれど私はそんな人じゃない。


「クラキ先輩ずるいです!! 先輩は色んな人に興味あるくせに!!」


 むっ。


「それとこれとは──」


「──一緒だもん! どうしてそこだけそんなに弱虫なの!?」


「弱いとか強いとか──」


「──嘘つき!! どうして自分に嘘つくの!?」


 もう、我慢の限界。


「……大きな声、やめて」


 わかってるの。

私に原因がある事くらい。

どんな理由が前にあったって、私がしてきた事は間違っていたかもしれないって気づいてるの。

私を今はひどくあたる彼女達だって最初は違っていたのも覚えてるの。

もしかしたら友達になれたかもしれないって気づいてるの。

今更遅いのも、わかってるの。

今更、それを変える事が難しいのもわかってるの。


「……どうでもいい人なんていないって、分かってるわ」


 本当はこんな自分、大嫌いよ。


「……まだ、時間がかかりそうなの。だからたまにこうなる時、があって……ちょうどそこをクラゲちゃんに見られちゃったの」


 私はクラゲちゃんの手に触れた。

体温が高いのか、温かい手はとても綺麗。


「ごめんね……驚いたよね」


 けれどこれが私なの。

きらきらなんてほど遠いの。


「……うん」


 クラゲちゃんは口を尖らせて頷いた。


「許してくれる?」


 と、手に何か落ちた。

それは透明で温かい、クラゲちゃんの涙だった。


「……許すとかじゃないもん。ごめんなさいじゃ、ないもん」


 ハンカチを取ろうとバッグに手を伸ばしてやや椅子から立ち上がった時だった。

もの凄い衝撃が私の胸とお腹にきて、クラゲちゃんに抱きつかれたのだとすぐにわかった。

ちょっと痛い。


「──いっぱい話してくれてありがと。クラキ先輩、大好き」


 ああ……そっか。


 クラゲちゃんのふわふわな癖がいっぱいの髪の毛を撫でながら私は言った。


「……ありがとう。私も大好きよ」


 とても優しい、幸せな言葉。


 私はまだ、生きてる──泣きそうなくらい。


「レン君も、ありがとう」


 そう微笑むとレン君は顔を逸らしてしまった。


「俺はなーんも。あと、ごめん。言いたくないとこ、言わせたかも」


 ううん、と私はまた微笑む。


「いいの。けれど出来れば他の人にはあまり……」


「わかってる。言わない。クラキは戦ってる最中、なんだろ?」


 ……うん。

甘えてばかりはいられない、私の事情。


「でもな、クラキが苦しんでたら俺らは加勢する。なー、ニノミヤー」


「はい! やっつけます!!」


 あは、と私は笑ってしまった。

しかしいつまでクラゲちゃんは私にひっついているつもりだろう。


「うへへ、先輩のおっぱいやわやわー……」


 ……せーの、ぎゃあ!

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