第164話 チョコまん(後編)

 ──知らないで欲しいなんて、もう知られてしまった後では難しい事だった。


 あの場から離れた私とニノミヤさんは歩いている。

私の家がある道はもう住宅街で、あまり人は通っていない。

ニノミヤさんはずっとついてきているけれど、こっちで合ってるのかしら。


「んー……んー……」


 私の隣を歩くニノミヤさんはさっきからずっと唸っている。

齧られたままのチョコまんを手に持ったままだ。


「……ニノミヤさん」


「んー……んぬー……っ」


 と、ニノミヤさんは、ぱっ、と顔を上げると小走りで私の前に移動した。

突然の通せんぼに私は止まって見上げる。


「──クラキ先輩!!」


 大きな声。


「……なーに? あと声を少し下げてね?」


「はい!! あ、はい。あの、さっきのあの友達じゃない人達は何なんですか?」


 どストレートな質問が飛んできた。

どう答えましょうか。


「……中学の時の同級生で、同じクラスだった人よ」


「それだけ、ですか?」


 ニノミヤさんは軽くスカートを握った。


 きっともう、わかっているのね。

ただ、それだけの関係の人ではないって事。


「……ニノミヤさんがそんな顔をしなくていいのよ」


 口がへの字に曲がっていた。


「……こんな顔にもなるです。だって、先輩が先輩じゃないみたいだった、から」


「ふふっ、どういう私?」


「きらきら、してる先輩、です」


 きらきら?


「……写真の企画の時に、そう思ったです。かっこよくて、綺麗で──アタシの憧れの女の子になったです」


 ニノミヤさんは、可愛くなりたい女の子、だと聞いた。

男ばかりの家族の中で過ごし、お洒落やファッションにも疎く、スポーツばっかりやっていたのでそういう事にはからっきしだったそう。

可愛いを頑張っている時にメイク部に入り、まだまだ頑張っていると。

すでに可愛いと思っている彼女に、憧れだなんて言われて嬉しくないわけはない。


「……さっきの人達は、クラキ先輩を真っ暗にする人達ですか?」


 真っ暗。

ニノミヤさんは、変、な言い方をする。

違う、そう言わせているのは私か、と気づいた。


 もうほとんど分かられている。

知られている。


 私は中学の頃、いじめに近いものにあっていた。

意味のない罵倒、意味のない無視、意味のない些細な暴力。

意味のない嗤い──いいえ、彼女達には、意味はあった。


「アタシ、分かるんです。アタシも、そういうのあるから」


 驚いた。

こんなに良い子が何故、と思った。

けれど私とニノミヤさんのは違う。

私は、その傷を受け入れていたから。


「……いいのよ、あのくらい」


 するとニノミヤさんは怒ってきた。


「あのくらいとかないです!!」


「全然へーき。慣れっこなの」


「そんなの慣れじゃ──」


 私はニノミヤさんの口を塞いだ。


 それ以上は言わないで欲しい。

聞かせないで欲しい。


「……ごめんね」


 私は手を離した。


「……どうして、クラキ先輩が謝るの?」


「あなたをうるさくさせてしまったからよ」


 声ではなく、内側を騒ぎ立ててしまったから。


「いいの。あの人達は友達じゃないから」


「友達、じゃない……」


「ええ。どうでもいいの」


 好きでも嫌いでもない。

どうでもいい。


 それを聞いたニノミヤさんはまた違う悲しそうな顔をした。

鼻の頭が赤くなっている。

私は自分の首に巻いていたマフラーを取って彼女の首に巻いてあげた。

背が高い後輩さんは、とても小さな女の子みたいに思えた。


「……どうでもいいとか、哀しいです」


 ぽつり、とニノミヤさんが呟く。

少し震えている声を私は、聞こえないふりをした。


「──ニノミヤさん。私ね、上手じょうずなの。私でいる事」


「……言ってる事、わかんないです」


 ずっ、と鼻を啜る音がする。


「わからなくていいのよ」


 するとニノミヤさんは手首に提げていた袋からもう一つのチョコまんを出して私にくれた。


「いいの?」


「ほんとは兄ちゃんのだけど、あげます。冷えてるかもだけど」


 ありがとう、と私は遠慮なく受け取る。

言った通り、すっかり冷えていた。


「……先輩は哀しいのって、どうやって治してるんですか?」


 半分割ると、やや固まっているチョコレートが顔を出した。

冷たい色を、出した。


 私にも哀しいの治し方は知らない。

けれど、教えてほしいと思った事はない。

私は、上手にやれているからだ。


 ここで、と私はニノミヤさんを追い越して歩き出した。


「……じゃあ! クラキ先輩がやってる事って何なんですか!?」


 大きな声は、必死な声に変わった。

もう無下むげには出来ない。


 私は半分だけ体を振り返って、こう答えた。


「──自分を殺してるだけよ」


 だから何も残らないの。

きらきらも、真っ暗も。


 何も。


 ※


 家に着いてバッグから携帯電話を出した時、通知の点滅に気づいた。


 ライーン……あは。


『休憩まだ?』


 男子からだった。

早過ぎて笑っちゃう。


「ふふっ……変なの……」

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