第152話 シュガーベール(後編)

 やっと階段を上り切った俺は手すりを掴んだまま足の痛みに耐えていた。

治りかけだったのに無茶やった。

けれど自業自得だ、と生物部がある旧校舎を見る。


 何だ……俺の他に結構来てんじゃん……。


 すると後ろから声が飛んできた。


「あれ? クサカ先輩も今来たんすか?」


 カトーとその彼女、ムギ後輩だ。


「こんにちはー、って何か足引きずってません?」


「あ、うん。治りかけなんだけど、ちょっと前に捻って骨にヒビった──」


「──無理したら駄目っすよ」


 カトーはすぐに俺のバッグを取ってムギ後輩に渡すと、俺に肩を貸してくれた。


「……何すかその顔」


「…………超優しくて怖ぇなって」


 はぁーっ、と思いっきりため息をつかれた。


「俺を何だと思ってんすか。怪我人を邪険に扱ったりしませんて」


「にっひっひっ、カトーは優しいですよー」


「ムギ煩い」


「ふはっ、お前も彼女の前では形無しだな」


「クサカ先輩も煩いっすよ。っていうかお前って」


 あ。


「い、いーから、早く連れてけください!」


 俺はカトーの肩を掴んで畑の横を歩き出した。


 ※


 撮影はもう始まっている。

相変わらず顔は重くて、少し息苦しい感じがする。

頭──髪に飾られた花も少し重くて、崩れてしまわないかと気になって少しも動けないでいる。

何より、顔のすぐ近くにある棘が動かせてくれない。


「──ちょっといいですか?」


 タチバナ君がストップをかけた。

どうやら花の位置が気になるらしく、私の真横に立って調整している。

クジラ君もパフとブラシを持って寄ってきた。


「……私、大丈夫?」


「無事に見えます」


「じゃなくて──」


「──もし問題があるなら俺が直します。とりあえず花に関しては任せてください」


「メイクに関しては俺が。クラキ先輩、ちょっと目ぇ閉じてください」


 花を直され、肌を直され、髪を直され。

動く手と手が、私を止める。

安心出来ない緊張は、きっと写真を撮っているレン君には覗かれている。

その彼も私に寄ってきた。


「……クラキって不敵な奴だと思ってた」


 勝手な想像。


「まさか。怖がりよ、私」


 恐れを知らないだなんて、そんな強心臓があるなら欲しい。


「俺らと同じでよかった、って話」


「え?」


 と言った瞬間、間近で写真を撮られた。

タチバナ君もクジラ君も写っただろう。

フラッシュが眩しくて目が、ちかちか、した。


「俺さ、今すっげぇ楽しい。だから終わるまで、精一杯かっこつけましょーや」


 レン君が、にやり、と不敵に笑ったのが見えた。

それを見た私達三人も釣られて、にや、と笑った。


「ええ、そうね」


 私は背筋を伸ばした。

だって三人の男の子に囲まれている。

綺麗にしてくれている。


 不敵なんてとんでもない──今の私は、無敵だわ。


 ※


「──クサカ、やーっと来た」


「よ。ライーンありがとな。カトーもムギ後輩も、さんきゅ」


 ムギ後輩からバッグを受け取った俺は今度はコセガワの肩を借りて、ふぅっ、と一息つく。

と、スニーカーの紐がほどけかけているのが見えてしゃがんだ。

ぐぬっ、やっぱ力入れると痛い。


「お、書道部の一年とムギッちゃんじゃん。やっほー」


 二人は先に生物部の部室を窓から背伸びして覗いた。


「ちわっす。ムギが見たいって言うんで」


「嘘でーす。カトーが麗しのクラキ先輩を見たいって言ったからでーす」


「あっは! っと、集中切れちゃうかもだから静かにだった」


 ノムラが一番大きく笑ったくせに注意する。


 俺は何か──緊張して、見れない。


 するとコセガワが屈んで、ひそり、と話しかけてきた。

紐はもう結んでいる。


「どうかした?」


「……いや? 足、ぶり返した、っぽくて」


「あらら、どっか座っとく?」


「い、いや、こっから、見たい」


「中でもいいけど?」


 そう提案してくれたけれど、皆もここから見ているのに俺だけっていうのは気が引ける。

立ってまた息をついていると、ムギ後輩がカトーに感想を聞いているのが聞こえた。


「クラキ先輩超キレー……カトーはどう思う?」


「……まぁまぁじゃん?」


「にっひっひっ、素直じゃないねー」


「ムギの方がキレーだし」


「えっ、嬉し照れるー」


 何だこいつらいちゃこらしやがって。

けれど……カトーも言うんだな、そういう事。


「大丈夫?」


「おう、さんきゅ──」


「──?」


 ………………コセガワ、ほんとにお前は何者だよっ。


 なんて、つっこんでも仕方がない。


 綺麗だとか、まぁまぁだとか、そういうのじゃなくて──見たい。


 俺は、クラキを、見たい。


 窓から、女子を見た。

ちょうど窓の方、俺らの方を向いていた女子と目が合った。

横向きを撮っているようで、正面の女子は真っ直ぐにこっちを──俺を、見ているような気がした。


「……女の子って凄いや」


 コセガワが呟いた。


「凄いって?」


 ノムラが聞いた。


「僕達と同じ年なのにさ、ずっと大人に見えたりするんだもん」


「何度も化けるのが女の子ってもんさ」


 ノムラの答えに、そうかも、って思った。

少し遠くにいる女子は、化けている。

化けて、俺がまた知らない女子になっている。


 女子は──女の人、になっていた。


「で? どうよ、彼氏ぃ」


 コセガワとノムラが両側から肘で突いてくる。

俺はそんな小突きを無視して、見ていた。


 薔薇は赤い色ではなかった。

赤黒い、黒に近い色で、その代わりに唇の赤が強くて、何より──目が、強かった。


 ただただ綺麗で、きれいで、キレーで──。


 ……本当はひと目見た時から俺はもう感じていた。

どう言ったらいいとか、そういうの考えるもないほどに。


 女子を見た瞬間、俺は溶けていた。


「──大好きだ」


 俺はそう、声にしていた。


 ※


 ──今の、何?


 ばっちり男子と目が合って、ばっちり男子の声が届いた私は驚いている。

きっと皆にも聞こえたと思う。

窓の外でノムラさん達が男子を冷やかして笑っているから。


「ほい、正面戻って」


 あ、と私はゆっくり、窓から目を離して座り直す。

それからレン君を見ると、にやけ顔が見えた。


「……何か?」


「良い顔してんなーって思ってよ」


 何それ。


「ずっと真顔のつもりだけれど」


「はっ、気づいてねーならそれでいいけど。ま、俺らじゃ絶対出せない顔だなーってやつだよ」


 ……私、今、どんな顔になってるの?


 見たいけれど、見えない。

困った──なんて、嘘。


 よかった、髪や花で耳が見えなくて。

だって、とても熱いから。

癖が出せなくて、よかった。


 クサカ君に見てもらえて──私、とても嬉しいの。


「……っし! 撮影終ーわりっ!」


 レン君の声にまた自然と拍手が沸いて、私はゆっくり立ち上がった。

そして窓の方を見ると男子も拍手をしていて、はにかむように笑っていた。


「──ありがとう、ございましたっ」


 そう言った私も、はにかむのだった。

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