第151話 シュガーベール(前編)
十二時半を回る頃、俺は必死に自転車を漕いでいた。
何で、俺はっ、こういう時に寝坊とかするかね!?
原因はわかっている。
学校休みの土日は目覚まし時計をセットしていなかった事。
また、今日とわかっていたのにセットしなかった事。
そして、遅くまでやりすぎたゲーム練習のせいだって事。
いつもは気にならない信号待ちが長く、遅く感じる。
終わってねぇよな? と携帯電話を見て時間を確認していると、ライーンが来ている事に気づいた。
コセガワからだ。
『そろそろ撮影始まっちゃうよー』
うわぁああああ!!
ノムラからのライーンもあった。
『アンタ彼女の美しーとこ生で見ないとかもったいな』
うぉあああああ!!
信号は青。
俺はまだやや痛い足などお構いなしに自転車のペダルを踏み込んだ。
※
「──あとはリップ、他は完了かな」
クジラ君が、ふぃーっ、と息をついた。
彼が創部したばかりのメイク部の部長さんで、私よりもうんと化粧の知識がある。
なんでもお姉さんと妹が二人ずついるらしくて、気づけばそういう事や物に詳しくなって、そして可愛いものや綺麗なものが好きになったらしい。
男の子という事で引かれるんじゃないか、と隠していたらしいのだけれど、今はご覧の通り、生き生きと活動している。
しかし満足そうなクジラ君の顔に対して私の顔は──重い。
「……皮膚呼吸したい」
クリームや粉を塗られまくった顔面は一枚も二枚も厚くなったような感じで、目も重い。
「呼吸は鼻と口からどうぞ。あんまり
つけまつ毛を初めてつけられた。
こんなに重いものなのかとびっくり、痒いとかはないのだけれど──。
「──クラキさーん、ちょっとこっち向ーいてっ」
そうノムラさんが言うので窓へと振り向くと、ノムラさんだけではなく見学に来た人達も私を見てきた。
おー、とか、わー、とか、どこを見ていいかわからない。
「……へ、変かな?」
「逆逆! すっごい良い! 化粧映えする顔だろなって思ってたけど、やー……凄いわ。イチノセちゃんやるじゃーん」
「あ、ありがとござます。ちゃんとケアしてくれたみたいで、化粧ノリもよかったですよ」
普段メイクをするノムラさんは、まじまじ、じろじろ、と顔を見てくる。
他の人達も見てきた。
そうしていると、クジラ君が鏡を持って、見せてくれた。
………………わお。
これ、私なの?
「……あはっ」
私は笑ってしまった。
どうしよう、とっても恥ずかしくて、とっても嬉しい。
「はいクラキ先輩、あったかい紅茶で最終リラックスしてください。見学の皆さんにもありますので、よかったらどうぞです」
今度はチョウノさんが綺麗なカップで持ってきてくれた。
喉が渇いていたところだ。
そしてその紅茶には白いレースのようなものが浮いていた。
「これって、シュガーベール?」
レース模様の砂糖は薄いコースターのように綺麗で、紅茶の温度に少しずつ溶けて甘くしていく。
少し啜って──うん、美味しい。
温かいのがまた緊張をほぐしてくれる。
ニノミヤさんの撮影ももうすぐ終わりそうだ。
もう何回、ぱしゃっ、かしゃっ、の音を聞いただろうか。
真正面だけではなく、レン君はまた別のカメラでもシャッターを押している。
撮っている内にノってきたのかもしれない。
とても真剣な顔で撮っては撮っていて──逆にニノミヤさんは静かに我慢の顔をしていた。
ずっと足の位置をキープしたままでいるし、そろそろ限界か──。
「──はい、終ーわり」
その時は突然、来た。
レン君はタチバナ君と頷き合って、満足そう。
「はぁー……あっ! ありがとうございましたっ!! 頑張ったっ!!」
ニノミヤさんの大声に自然と拍手が沸いた。
それを聞いた彼女にもやっと笑顔が戻る。
と、やっぱり変に力を入れて座っていたための限界がきたらしく、立ち上がったニノミヤさんはふらついてしまって──タチバナ君がすぐに肩を抱きかかえるように支えた。
窓の外から、身長高い同士お似合い、という声が聞こえたのもすぐだった。
これは……ふむ。
また紅茶を飲みながら私は、チョウノさんとクジラ君を盗み見る。
二人とも、ニノミヤさんとタチバナ君を見ていた。
先に動いたのは、クジラ君だった。
「──タチバナ! お前こっち。クラゲは俺が引き取る」
「うん」
「ありがとタチバナ君! お尻も固まってるよー!」
んふ、ちゃんと男の子してるのね、クジラ君。
「チョウノさんは大丈夫?」
「何がです? ……あっ、今の、平気ですっ。むしろ転ばなくてよかったって思ってますし、助けない方が私は嫌ですしっ」
そっか、そうよね、チョウノさん凄いわ。
どうやら私は後輩達に先を越されているみたい。
聞こえた声のまま私は考えてしまっていたけれど、彼女達は自分が思うように、彼ら彼女らをわかっているままに動いている。
私はまた、窓の外を見た。
見学の人達の中に、彼はいない。
……本当に来ない気なのかしら……。
「──じゃあ頭の飾りつけするんで、よろしくお願いします」
タチバナ君が私用のお花を両手に、そっ、と抱えている。
強い色の薔薇はやっぱり素敵で、緑の茎は言ったとおり棘がついたままだ。
「はい、お願いしま──」
「──もう一杯いっときます?」
そう言ったタチバナ君は、ふっ、と笑いやがった。
そこにチョウノさんの肘鉄が彼の脇腹に即直撃する。
私はカップをチョウノさんに渡した。
「──かかっておいでなさい」
強くありたいと、私は言った。
緊張なんかに負けてなるものですか、むん。
※
──やっと、学校っ、駐輪場っ、遠っ!
もう息も絶え絶えな俺は、グラウンドの横を早歩きしている。
肩からずり落ちるバッグの紐を指に掛けて、最大の難関で苦手になってしまった旧校舎に続く長い長い階段を見上げた。
もう涼しくなったというのに額に汗を感じて袖口で拭った時──。
「──げっ、眼鏡のまんま来てた……っ」
そんな事より、と、はっ、とした俺はしっかり手すりを掴んで階段を上がる。
どうか、まだっ、終わってませんようにっ!
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