第132話 ブラウニー(後編)

 スイーツ部の皆にお礼を言った俺達は調理室を出て、ゆっくりと廊下を歩き出した。


「美味しかったわね」


 女子が言った。


「んだな」


 俺はそう答えた。

それから、すぐだった。


「あのね──」


 意外と早くに切り出されて、俺はふいを突かれた感じがした。


「──私、時々こうなるの」


「こうって、どう?」


「いっぱい食べちゃう感じ」


 それは、おそらく。


「……満たされない、感じ?」


 女子は制服のスカーフの先をいじりながら歩いている。


「逆。満たしていないと隙間に入ってきちゃう……そんな、感じ」


 俺はズボンのポケットに指をかけて、きゅっ、と廊下を踏んだ。


「わかんねぇや」


「ふふっ、だよね。そう、だよね……」


「うん。だからさ、教えてって言ってんだけれど」


「うん」


 うん、の続き。

それからは少しがあった。

実習棟の廊下から教室棟の廊下に来てしまって、次は階段。

その一段目の時に、女子は話し出した。


「……どうしてもね、駄目なの。姉さんの事になると」


 女子のお姉さんは、事故で亡くなった、と聞いた。

それだけじゃなくて、女子とどうだったとか、そういう話もした。


「こう……ぐちゃぐちゃ、ってなっちゃうの。その時、戻っちゃうの」


「……戻る、って?」


 二段先に上っていた女子が振り向いた。

目線が同じくらいで、夕陽の橙色の女子が俺を真っ直ぐに見ている。


「──


 そう、言った。

不思議な言い方で、奇妙で、俺は何故か少し怖い、と感じた。


「……なんてね」


 いつもの冗談めいた感じが全くなくて、俺はどうしていいかわからなくて──だから、わからないままに動いた。


「っ──ちょっと、びっくり、した」


「何でだよ」


「だって学校で……誰もいないけれど」


「誰がいてもいーよ。別に」


 俺は女子の手を繋いだ。

そのまま女子を隣に階段を上った。


 手を繋いで、上った。


「……クラキさ──」


 俺は自分の爪先、ゆっくり階段を上る上履きの先を見ていた。


「──さびしいならさびしいって言えよ」


 女子の上履きの先を見ていた。


「……嫌よ」


 拒否られた。

思わず顔を上げて、女子と顔を合わせる。

けれど女子は顔はこっちだけれど、目は明後日を見ていた。


 どこか、違うところを、見ていた。


「だって……聞いた人まで悲しんでしまう。それを見るのはもう、嫌」


 お姉さんの事で女子は見て、覚えてしまっていた。

だから今も俺から目を背けている。


 俺は女子の手をやや引っ張って、教室まで歩いた。

早く、歩いた。


 がらっ、と乱暴気味に扉を開けて誰もいない教室に戻って、また閉めた。

女子は黙っていて、気まずそうに俯いている。

だから、その顔を両手で、ぶにっ、と挟んでやった。


「──ふっ、変な顔」


 むにっ、と柔らかい頬の上に真ん丸の目があって、やっと、合った。


「な、何ひゅんのっ」


 恥ずかしそうに顔が赤らんできて、俺の手を握って剥がそうとしてくる。


「顔、変えてんの」


「むーんっ、にゃんで──」


「──


 気になんだよ。

いつもと違うってちょっとの事でも気づいちゃうくらい。

どうにかしてやりたいとか、そういうの思っちゃうんだよ。

どうしたらいいかとかそういうのはわかんねぇけれど、動いちゃうんだよ。


「強がりの弱虫め」


 そう言ったら女子の目が睨みに変わった。

ぐいっ、と手を剥がされた。

そう、緩めた。


「怒った?」


「怒った」


 即答で笑った。


「私、怒ってるのよ?」


「ははっ、うん、わかってる」


「わかってるように見えない……」


「じゃあどう見える?」


 俺の問いにやっと、ゆっくり気づいたようで、握っていた俺の手を離すと、横髪を整え出した。


 俺は笑っていた。

女子が言う、悲しい顔、ってやつじゃなくて真逆のやつ──楽しいやつ。


「……恥ずかしくて、泣きそ」


「それ見てていい?」


「なっ──へ、変態!」


 もう爆笑。

ちょっと狙って言ったけれど、ばっさり元気よく拒否が来た。


「嘘嘘。ほれ、俺は見ない」


 俺は女子に背を向けた。

ホールドアップで、何もしない、とも示す。

するとすぐに女子は、背中にひっついてきた。

予想もしていなかったので少々──多少、どびっくりした。

それから小さな声で──。


「……ありがと」


 ──と、聞こえた。

それと、むかつく、とも聞こえた。

そして、また我慢出来なかったら聞いてね、と聞こえた。


 ほっ、とした。

行き当たりばったりで、正解も不正解も何も考えていなかった。

けれどこれくらいしか俺には思いつかないし、出来なかった。

だから、ちょっとくらい、弱がり、になってもいいんじゃねぇかな、って教えてやれて、よかった。


 またいつかでいい。

少しずつでいいから、女子のお姉さんの話を聞きたいと俺は思った。

今は、ここまで。


 ……しかし、背中ひっつきって結構生殺しだなぁ……。

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