第114話 べっこう飴(後編)

 右と、左。


「──好きなもの?」


「うん。あ、お菓子と本以外で」


「二つなくなっちゃった」


 私がそう言うと男子は足を組み直して、ふっ、と笑った。

私の、好きな一つ。


「お菓子と本は俺もだし、言わずもがな的な」


「小説?」


「漫画──本は本って事で」


 読みもの、って事で。


「うーん」


 足の親指同士を重ねて考える。

ベンチに手をついて、少し前屈みでそれを覗いて、隣にある男子の膝もちょっと覗き見する。


「遠くの音、とかかしら」


 ちょうど遠くから風に靡く木々の間から誰かの笑う音がした。

何をしているかわからない音でも、見える音が、好き。


「ちょっとわかるかも。振り向く感じ」


「うん。一秒とかでいいの。あんまり長いと煩い」


「ははっ、ひでー」


「はい、あなたの番」


 私は斜め下から男子を横に見る。

すると男子は私が屈んでいるからか、目線を合わせるように膝に頬杖をついてきた。

机の代わり、いつもの感じ。


「んー……考えるとむずいな」


 そう、好きなものがいっぱい過ぎてどれを言おうか迷ってしまう。


「もう一つ言うの?」


「じゃあ、しゃぼん玉が割れる音」


 音で合わせてきた。

そして意外だった。


「作る方じゃなくて? 大きいの作るのとか得意そうなのに」


「普通だ普通。どっちかってーと小さいのが、ふぁー、っていっぱい飛んでる方が好み。クラキはムキになって大きいの作りそ」


 男子が言いながら笑ったので、私は言い当てられて少しむすくれた後、つられて笑った。


「割れる音って、ぱちん?」


「そ。すっごいちっちゃい、ぱちん、だか、ぱしゅん、だかの音。その後の……しゃぼん玉の欠片が雨みてぇに降るの見んの、とか」


 なんか、素敵。

見たくなってきた。

しゃぼん玉なんていつから吹いていないんだろう。


「はい、お前の番」


「もう一つ言うの?」


「何個でも」


 知りたい、もっと、いっぱい。


 男子はそう言って微笑んだ。

私服だからか、木漏れ日の中だからか、何だかいつもよりも──。


「──ん? 何で怒ってんだよ」


 いつの間にか私は頬を膨らませていたようだ。


 だって、何だか……男の人、っぽくて。


 私はベンチの背もたれにもたれかかって、上に指を差した。


「……日向と日陰の間が好き。はい、あなたの番」


「早っ。じゃあ……背伸びした時に見える足の裏ー」


「え、何それ。ちょっと変態チック」


「クラキの靴だってそうじゃん」


 と、男子は私が履いてきたパンプスを手に取った。

裏返して底裏を見る。

黒のパンプスなんだけれど、底裏はビビットな赤色なのだ。

履いている自分は全然見る事が出来ないのだけれど、お気に入り中のお気に入り。


「高ぇかかとだなぁ──って、そうだ。絆創膏」


「持ってないわよ?」


「俺が持ってる」


 男子がお財布から二枚、絆創膏を取り出した。


「……いつも持ってるの?」


「あー、うん。小学生ん時とかよく怪我してて、母さんに絆創膏は絶対持っとけ、って言われまくっててさ、その時の癖がついたまんまでさ。それにちっちゃい傷とか、見てるだけで痛ぇじゃん? だからすぐ隠せるようにー」


 なるほど──って、え?


 男子が私の前に跪いた。


「え、あの──」


「──足、貸して」


「じ、自分で出来る、から」


 こ、これは恥ずかしいどころの騒ぎじゃないわ。

変に汗が滲んできちゃうっていうか、もう、熱くて──。


「──俺のせいなんだから」


 男子は私の右足首を掴んで、乗せちゃった。

乗っちゃった私の足の甲に手を置いている。


「……ひゃぁ」


「何だその声」


「だ、だって、ちょっと……」


 すると男子は上目で私を見てきて──。


「……ふはっ、足まで赤いぞ」


 ──と、言った。


 だってこんな事をされたら誰だってきっと、こうなる、かも。


 どうしてそんなに余裕なの──むかつく、えい。


「こらっ、蹴んなやー。ずれるだろがぃ」


 足の指で押すように反撃? してみる。

反対の足も同じように貼ってくれて、痛いのが隠れた。


「ん。靴履けっか?」


 ……無意識にもほどがあるわ。

今度は手をとってくれるなんて。


 立たされて、背が高くなるパンプスを履く。

うん、痛いのが薄れて、男子と顔が近くなった。


「行くか」


「……うん」


 木漏れ日が終わる時間も近い。

私達は歩き出した。


 ※


 私が左で、男子が右。

落ち着く位置で──私の右が、空いている。


「へーき?」


「うん?」


「足」


 隠したおかげで歩きやすい。

けれど──痛くないって言ったら、痛くなる、ような。


 私の足が止まってしまった。

もう今日の楽しいのが終わってしまうから、終わってほしくないから。

少し前に歩いてしまっていた男子が振り向く。


「ん?」


「……ううん」


 首を振ると、男子が私の前に戻ってきて首を傾げた形で顔を覗き込んできた。


「まーた我慢してやがんな?」


「……ばれちゃった?」


「髪、耳にかける癖」


 あ、無意識の癖。


「痛いなら痛いって言えー」


 ……そうじゃないの。

痛いんじゃないの──の、まだ。


「貰った飴、舐めたくて」


「あ、俺も」


 じゃあ、とひと欠片ずつ袋から取り出して食べた。

黄色い日向みたいな色のべっこう飴は木漏れ日の色とも似ている。

優しい、懐かしい味がする。


「……ん」


 そして男子が左手を、小指を伸ばしてきた。

何? と顔を見ると──。


「──足、痛いんだろ? ば、バスんとこまで……その、掴んでて、いーけど?」


 ……あはっ、すっごい耳真っ赤っか。

多分私も。


 私はべっこう飴を頬の片方に寄せて、男子の小指に自分の小指を絡ませる。


「……次は歩きやすいの履いてこいやぃ」


「えー……これお気に入りなのに」


「痛いの見るのヤだからよ。そんでまた、色んなとこ行こ」


 次、色んなとこ、お気に入りの位置。

小指と、小指。


「……うんっ。次は違う好きな靴を履いてくるわ」


 約束の指で、私達は今日の木漏れ日の下を歩いている。

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