第89話 スピール・ド・ノンヌ(前編)
実習棟の二階、真ん中の教室の書道部。
その部室のド真ん中っで私は横になっていた。
もう
寝返りしたいけれどこの狭くも窮屈で、落ちそうになる椅子の幅では出来ずに、ふぅ、とため息をつく。
それももう、何回目かわからない。
うーん……のらないわね……。
放課後の部室には私だけがいる。
気分でも変えようと思って携帯電話から曲を流して聴いたりしていたのだけれど、それでも気分は変わらず。
そして今、いわゆるふて寝のような、やさぐれ寝のような。
綺麗な制服に、皺がつくような。
と、部室の扉が開いた。
「……あ゛?」
いるわよ、と私は腕を天井に伸ばして、ひらひら、と振った。
この声はカトー君だ。
「あー……いたんすね」
いたけれど何なのカトー君、と私は腕を下ろす。
「こんにちは」
「ちっす。散らかし過ぎじゃないっすか?」
私を中心に、周りには文字を書いた紙と書き損じた紙と気に入らない文字の紙が散乱している。
全部私が書いた字で、どれもこれも──。
「──戦ってますね」
そう、戦っている途中。
カトー君は一枚拾い上げて眺めた。
「そんで、散らかってる」
はぁ、とため息で答えた。
散らかっているのは現場ではなく、文字の方。
戦いは苦戦中、どうにも筆がのらないのだ。
……誤魔化すのはやめよう。
気持ちが、ここにない。
「カトー君の方はどう?」
「順調です」
気持ちの良い即答に私の気が少し
「らしくないっすね」
「らしくない?」
「はい。
ひょうひょう、きゅうきゅう。
目の上に腕を乗せて、やっぱりまたため息をついてしまった。
もう時間は迫っている。
ものくろ屋さんの依頼期限は来週の火曜日──あと五日、いや四日しかない。
すると今度はカトー君が、はぁーっ、と大きくため息をついた。
わざとらしさに鼻がついて、いい匂いに気づいた。
「チョーシ狂うんで休戦に付き合います。お菓子、食いますか?」
がさがさ、と袋の音がして、甘い匂いに私は体を起こす。
「食うわ」
「早いっすね。まぁそれが先輩ですけど」
カトー君は私の近くに椅子を引いてきて、背もたれを前に
茶色の紙袋には何が、とその前に私はバッグからウェットティッシュを出して手を拭く。
カトー君にも一枚あげる。
「慣れてますね」
慣れ……。
「……ええ、慣れてるの」
「もしかして今日も教室で食べてきた帰りっすか?」
手が止まった。
手を止めてしまった。
もう、また、考えてしまった。
「……いいえ? 今日は食べてないわ」
「そっすか。昨日は?」
カトー君はすぐに聞いてきた。
これはもう、バレている。
「……いいえ、昨日も──」
「──その前は?」
私は目を瞑って答えた。
「……食べてないわ」
「それっすね、原因」
どうぞ、と紙袋の口を私の方に向けてカトウ君は言った。
「俺の彼女の手作りです。まだあったかいっすよ」
カトー君の彼女さんはスイーツ部に所属しているそうで、先ほど教室でお裾分けしてくれたそうだ。
それをさらにお裾分けしてくれるなんて。
「何だか悪いわ──」
「──って言いつつ手ぇ伸びてますけど」
言葉と行動が共わないを実践中、と私は一つ指に挟んだ。
本当にまだ
作りたてが袋にいっぱい。
「揚げドーナツ?」
小さくて丸くて、粉砂糖がたっぷりかかったそれは、ほんのり、温かい。
「ため息のお菓子、って意味らしいです」
……今の私にぴったり、とでも言いたいのかしら。
「いただきます」
どうぞ、と言ってすぐにカトー君も一口で食べた。
レーズンが入っていて、ほわん、と良い苦みが香っている。
また、息が出てしまった。
ため息にも似た──やっぱり、ため息。
「美味し」
「声ちっさ」
私の声は呟きだった。
カトー君までため息をついて、何だか少し怒っているような顔になっている。
「そんなんじゃつまんねぇって言ってんですよ」
どうやらカトー君らしく、心配? してくれているようで私は少し笑ってしまった。
だから、少しだけ──。
「──愚痴、聞いてくれる?」
「……めんどくせぇっすけど、はい。手短に」
カトー君はまだ少しだけ大きい学ラン姿で、また一つお菓子を食べた。
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