第61話 コーラ(前編)

 文化祭、二日目──午後五時四十五分。


 実習棟三階のまた一つ上の、本当は立ち入り禁止の場所。

その少しだけ開いたドアを私は開ける。

ぎぃ、と錆びた音が耳に触る。

風が出てきたのか、さぁ、と私の髪とスカートをなびかせた。

私がここに来た理由、それは──。


「──ごめんなさい、待たせた?」


 男子に呼び出されたからだ。

その男子は高いフェンスの網目からグラウンドを見ているようで、背を向けている。

風か、まだ終わらない文化祭にはしゃいでる生徒達の声で聞こえないのか、まだ私に気づかない。

一歩、二歩、三歩と近づいた時、いきなり振り向かれた。


「おっ──何だ、来てんなら……あ?」


 驚きからか首を傾げる男子に私は薄く笑ってみせた。

だって。


「……何、その恰好。隣の企画の服だろ?」


 私は今、正統派メイド服を着ている。


「教室で女の子の着替えタイムの時にね、私の袴を着てみたいって子がいて」


 そしたら皆でコスプレごっこ? が始まってしまったのだ。

私は携帯電話を操作して、その時に撮った写真を男子に見せる。

すでに着替え終わった男の子から借りた執事服を着ているノムラさん、カシワギさんが着ていた白雪姫のドレスは隣のクラスの女の子が着ている。

色々、ごちゃ混ぜ。


「それで、どう?」


「ど、どうって?」


「この格好よ」


 携帯電話をポケットに直した私は、くるり、と回った。

ワンピーススタイルのメイド服はサイズはぴったり、ロングなスカートが、ふわん、として、エプロンもふりふり。

ヒールのブーツもいつもとは違う気分。

それともう一つ。


も良くしてもらったんだけれど」


 せっかくだし、とノムラさんや他の女の子達が色々してくれたのだ。

と言っても、ビューラーでまつ毛を軽く上げてもらって、色付きのリップをしてくれただけ。

それでもいつもと違うかなと思うのだけれど──何故、何も言わないのかしら。


「もしもーし」


 聞こえてる?


「も、もしもし?」


「ふふっ、なーに? 駄目?」


「だっ、駄目じゃねぇけど……うん」


 男子が私の顔や服や色々、見ている。

ばちばち、とまばたきをいっぱいしていて、あー、とか、うん、とか言っている。


「……よ、よかったじゃん。着たかったって、言ってたし」


 ん、と男子は缶のコーラを渡してきた。

まだ冷たくて、缶が少し汗をかいている。


「ええ、とても嬉しいの。劇では着れなかったけれど、これもちょっとしたドレスみたいなんだもの。コーラ、ありがとう」


「どう、いたしまし、て」


 かしゅっ、とプルタブを開けて一口。

あ、リップの色が取れてしまうかも。

そう考えると化粧ってちょっとめんどくさいな、と思った。


「──それで?」


「ん?」


「ここに呼んだ理由よ」


 フェンスの網を覗くと、グラウンドではキャンプファイアーの準備がされていて、周りにはちらほら生徒達が集まっている。


「あー、ここなら静かかなって思って」


 立ち入り禁止だものね、と私は笑う。


「それと感想。クラキの書道……マジやばかった」


「あはっ、やばい?」


「うん──びびった」


「びびらせ成功ね?」


「……今はドヤ顔、許す」


「ふふっ、気合い入れのおかげかも」


 素直に言ってみた。

あれで落ち着いたのは本当だから。


「過ぎてしまえばあっという間ね……文化祭、お疲れ様」


 乾杯でもしようかなと思ったら、男子は缶コーラを振り出した。

何をしているんだろう、そんな事をしたら──。


「──今度は俺が好きだったやつ!」


 そう叫んだ男子は振りまくったコーラのプルタブを開けた。

同時に勢いよく炭酸が噴き出て、あわあわ、びしゃびしゃ。


「もうっ、この服借り物なのにっ」


「かけねーって! 一瞬だけ──ほら、な?」


 これも、あっという間。

男子の好きは、あっという間。

私の好きな乾杯と似てる。


 終わろうとしている文化祭も、似てる。


「ほい、お疲れ」


 気が抜けたコーラと私のコーラの缶が、がこん、とぶつかる。


「まさか、これだけのために?」


 改めて呼び出しの理由を聞いてみる。


「まさか。お前、覚えてるか?」


「何を?」


「勉強のお礼」


 ああ、とコーラを一口。

甘い刺激が一時いっとき痺れて、消えていく。


「そんで、ダンスシーン好きだっつってたよな?」


 童話のお姫様あるあるの、私が憧れるシーン。


「だから──。お礼に」


 男子が私のコーラをひょいっ、と取って、そう言った。


「……へ?」

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