オーロラの射し込む音楽室と君

諦ナハル

第一話 青春

私は、二学期の中ごろの、放課後の、静かな音楽室が好きだった。リコーダーのテスト範囲になっている楽譜にドレミファソラシドを書き終えるころで、みんなが切羽詰まって慌ただしくなる前だ。


静かな音楽室には、伊野くんと、私しかいない。

伊野くんは、小学四年生のときに仲良くなっためがねの男の子で、どうやって親しくなったのか、どうして中学生になって、放課後を一緒に音楽室で過ごすことになったのか、高校生になった今ではあまり覚えていない。

あまり目立たないキャラだけど、笑うと頬壁が見えてかわいい。それが分かったとき、私はダイヤモンドの原石を見つけた気持ちになって、姉に伊野くんの頬壁の話をして、運動会のときよく見てみるように言ったことがあるが、姉からすると、どうやらアメジスト程度らしい。


また、私は、アメジストの伊野くんと、リズムもへったくれもないリコーダーを吹きながら、たわいない話をしているうちに、淡い青と赤と黄色が、グラデーションに広がり、雲がかがやいて、空がオーロラみたいになるのが好きだった。「空がきれいだね」と話しかけると、伊野くんはいつも、「空見るの好きだね」と、頬壁を見せて笑ってくれた。


リコーダーの音が増えてきて、それがきれいなメロディになってゆくと、伊野くんとのおしゃべりは、終わりに近づく。いつも、音楽の先生の、たばこのにおいが皮切りだった。ふだんは職員室に篭っているが、テストが近くなってくると、切羽詰まった生徒にリコーダーを教えに来るのだ。そうすると、伊野くんは伊野くんの友だちとつどい、私は私の友だちとつどうようになる。寂しい気もするけれど、向こうの方で「伊野、なんかうまくね!?」という声が聞こえると、もう、それでよかった。

二人の関係は、二人だけのものでよくて、そこに存在していたのならよかったのだ。誰かに見られてうわさにされたら、壊れてしまう気がしていた。


中学生のあいだ、二人の関係は守られつづけた。いよいよ受験だというときは、さすがに、互いに勉強漬けになったが、それ以外はつづいていたと思う。うわさにされないくらいに、ひっそりと。

伊野くんが目指していた高校は、私が目指していた高校と違った。二人とも第一志望に受かったが、それは高校が離れることを意味していた。よくある話だが、伊野くんとは、そのまま疎遠になった。ときどきラインで話したりするが、その程度である。


高校生になってから、友だちと教室でしゃべったり、駅ビルを回ったりする、いわゆる青春に、伊野くんのかげは、押し流されていったのだ。青春と勉強に追われ、慌ただしい日々を過ごし、気づいたときには、二学期の中ごろになっていた。

ある放課後、私は課題を忘れて、居残りを命じられていた。情けないことに、本当なら、今日はカラオケに行くはずで、予約もしておいたため、友だちはカラオケに行くことになり、久しぶりに、一人で帰ることになった。もしかしたら、高校に入って、友だちができて、はじめての一人下校かもしれない。なんだかどきどきしながら、忘れた課題を終わらせ、先生に頭を下げて提出して、校舎を出た。サッカー部の覇気のある声が、いつもより、よく聞こえる。

そのとき、何かに頭を引っ張られている感じがして、ふと見上げると、空には、オーロラのように、淡い青と赤と黄色が、グラデーションに広がって、雲がかがやいていた。

そうだ。伊野くんと見た空と、おなじ空だった。


もう懐かしさを抱いていることに驚きながら、あの、美しくて、なんとも言えない雰囲気が、頭の奥からもわっとあふれ出した感じがした。さっきのどきどきが、違うどきどきに変わってゆくのが分かった。

けれど、頭の中に蔓延したそれは、すぐにしゅわしゅわと音を立てて、溶けて、なくなっていく。


きれいだ。でも、きれいなだけだ。


そのときやっと、私が好きだったのは、放課後の静かな音楽室でも、オーロラみたいな空でもなくて、二人きりの空間で、伊野くんと何かを共有することだったんだと気づいた。伊野くんが好きだった。けれど、こんなに好きだとは思っていなかった。ばかだ。

青春なんて、あってないようなものだ。タピオカを飲むことや、駅ビルを回ることや、カラオケに行くことが、必ずしも青春ではない。

だって、私の青春は、間違いなく、伊野くんと過ごしたオーロラの射し込む音楽室に、凝縮されている。

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