花と団子と、君と陸橋

きど みい

1.


「言葉は時代と一緒に変わっていくものだよね。」



連載中の俺の小説を読んで一言目、彼女の莉緒(りお)がそう言った。

確かに莉緒の言う通りだ。"正しい日本語"ってのはもちろんあるけど、日々言葉は変化していっていて、新しい若者言葉だってどんどんと登場している。



「おもしろくなかった?」



でも論点はそこではない。

今回の話はこの小説の中でも一番大切な部分だから、担当者に渡す前に誰かに呼んでもらって、感想をもらいたかったんだ。



趣旨を伝えていたはずなのに答えが返ってこないことを不安に思って聞くと、彼女は「そんなことない」と言った。



「いい、すごくいい。陸の心情の描かれ方がとても繊細でいい。」



莉緒はにっこり笑って、そう言った。



彼女との出会いは、図書館だった。

駆け出しの小説家の俺はよく莉緒の働いている図書館に通って、小説に必要な情報を調べたり、気になる作品を借りたりしていた。



その図書館は少し古いけど、木造で出来た建物のおかげか、入るだけで少し落ち着いた感覚になれるような場所だ。リラックスできるおかげかそこにいるとよくアイディアが浮かんできて、忘れないためにも俺は図書館にあった中庭のベンチで続きを書き進めたりもしていた。



そんなある日のこと、いつも通り中庭のベンチで続きを書き終わって、俺は家に帰ろうとした。すると帰宅する途中で新作のアイディアを書いた資料をベンチに置き忘れたことに気が付いた。



「やっべ…。」



担当者との打ち合わせで、その資料がなければ終わる。

それに駆け出しの小説家とは言え、まだ世にでてないアイディアをなくしてしまうのは非常にまずい。


俺はそのまま小走りで元居た場所に戻った。



「あれ…。」



するといつも誰もいない中庭には、一人の女の人が立っていた。

その人スタッフさんが着ているエプロンをつけていたから、図書館の人なんだろうってことはわかった。そしてその人の手には、俺が残していった資料が握られているのが見えた。



「す、すみません…。」



その人は資料を凝視していた。

見られたのはまずいけど、まだスタッフさんで良かった。



内心ホッとしながら声をかけると、その人はゆっくりとこちらに顔を向けた。



「あ、こんにちは。」



息を切らしながらそこに立っている俺に、その人は咄嗟に挨拶をした。

俺も「こんにちは」とあいさつをしながら、その人が手元に持っている資料へと目を移した。



「これ…。」

「はい、僕のです。すみません。」



ジッと見ていただけで、中身は見られていないかもしれない。

何事もなかったかのように資料を受け取ろうと手を伸ばすと、その人は「あの…」とちいさい声で言った。



「もしかして、"フラッペと君"の作者さんですか?」



その人は俺のデビュー作の名前を言った。

俺はこれまで4作の長編小説を出版してきた。その他にはエッセイとか連載ものとかの仕事をちょこちょこさせてもらっているわけだけど、デビュー作はその中でも、一番注目度が低かった作品ともいえる。


だからその作品の名前がパッと出てきたことに驚きながら、小さな声で「はい」と答えた。



「やっぱり!文体が似てるからそうかと思いました。」



そう言えばあの資料には、俺の名前なんて一切出さなかった。それなのに資料に書いた新作の一部を読まれただけで俺という事を悟られたことに、すごく驚いた。



「私すごい好きなんです。朝霧さんの感情の描写が。」



朝霧さんとは、俺の小説家としての名前だ。

こんな風に読者に会って褒めてもらえるのが俺の小説家人生を通して初めてだったから、心底照れながら「ありがとうございます」と何とか答えた。



「あの、それ…。」

「あ、すみません。」



自分が"朝霧タク"という事に気が付かれたことを少し恥ずかしく思いながら、彼女の持っていた資料に手を伸ばした。すると彼女は持っていた資料を急いで俺の手に置いてくれた。


忘れ物をしたことで自分の作品を読んでくれている人に会えるなんて貴重な体験が出来たなと思っていると、その人は恐る恐る「あの…」と言った。



「それ、新作…ですか?」



目を通せばこれが新作ってことくらい誰にでもわかるだろう。

今更隠せないと思った俺は「ええ。そうなんです」と答えながら、内心「やっぱりみられていた」と思う焦りの気持ちが止められなかった。




「図々しいお願いですが…。」




今更こんなお願いをしたって無駄かもしれない。それにこんな駆け出しの小説家のアイディアなんて、誰も奪わないだろう。

でも念のため口止めしておこうと思って言うと、彼女はにっこり笑って「大丈夫です」と言った



「誰にも言いませんから。」



俺の心を読んだかのように彼女は言った。

その言葉を信用していいものなのか判断できるほどの仲ではないのは確かだけど、笑顔にまんまと騙されている自分がいた。

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