第21話 だきしめて密室危機

 ルクレツィアがルビエ公国から連れてきた従者はオースティンただ一人。

 ルビエ公国では、王侯貴族が魔法使いを活用しているらしいので、オースティンが魔法使いである可能性は高まった。


(ルクレツィア様が、正真正銘の公女だったらのお話だけど)


 お供は無表情の従者一人だけだったり、田舎で集めた娘たちを侍女に仕立て上げたりと、どうにも行動が公女らしくない。

 レイノルドに取り入ろうとしているのも、その辺りに関連があるのではないだろうか。


(でも、ルクレツィア様がまったくの庶民だとすると、魔法使いを従えているのは不自然なのよね)


 この議題は、ルビエ公国の現況を調べている兄に任せるよりないようだ。


 王妃の侍女になって一週間。いまだマリアは別邸に近づけていない。


(王妃殿下が容赦なく仕事を押し付けて――いいえ、かわいがってくださるものだから、暇がないのよ)


 マリアは、重たい箱をよいしょと抱え直した。

 中には刺繍をほどこしたランプの傘や金色の額が詰め込まれている。


 王妃は季節ごとにインテリアを変える。冬が始まる前に、もふもふの毛皮でできたラグや毛糸で編んだクッションを敷き詰めるのだ。


 これまで使っていた夏用の品物は、こうして箱にまとめて保管庫行きである。


 保管庫は宮殿の端にあって、運ぶのは重労働だ。

 最近侍女になったばかりで一番下っ端のマリアは、その役目から逃げられなかった。


(これで四往復目。そろそろ疲れてきたわ」


 重たい扉を開ける。宝石や王冠をしまった宝飾庫には鍵番がいるが、こちらは出入り自由で鍵もついていない。


 建付けの悪い扉を押し開けて、ギシギシ鳴る床に踏み入った。


 窓は奥に一つだけで薄暗い。

 古びたキャビネットには、水瓶や陶器の小物が無造作に置かれていて、どれもしっとりと埃を被っている。


 適当に置いてきてと言われたが、いつまた使うかわからないし、忘れない場所に保管するのがいいだろう。


 手近なキャビネットの上段に箱を置いたその時、廊下側から扉を開けられた。

 何かから逃げるように開口部に体をすべり込ませてきたのは、レイノルドだった。


「レイノルド様……」


 びっくりしてマリアは箱を落としてしまった。

 息を切らしたレイノルドは、つうと垂れてきた汗を袖でぬぐう。


「姿が見えたから追ってきた。話がしたい」

「かまいませんわ」


 マリアが頷くと、近づいてきたレイノルドは顔をまじまじと見てくる。


「何か?」


「見慣れないのに懐かしいのはどうしてか考えていた。あの後、王妃にあんたとの関係を聞いたんだがはぐらかされた。国王も同じだ。兄貴は『本当に覚えてないのか』と怒って理由を教えてくれようとしたが、オースティンに妨害された」


 自分の記憶を疑って初めて、周りのごまかしに気づいたというレイノルドは、不信感を極めていた。


 不良学生に戻ったようにネクタイを緩め、ジャケットを肩掛けした自由な服装なのは、彼なりの反骨心の表れかもしれない。


「俺とあんたが恋人だったことも考えた。けど、あんたは婚約者の兄貴を差し置いて浮気をするような人間じゃない。だが、そもそも俺はあんたがどんな性格なのか知らないはずなんだ。それなのに、どうしてわかる。それがわからない」


 堂々巡りとはこういう場合を指すのだろう。

 困り果てた様子で眉を下げて、レイノルドはマリアの瞳をのぞき込んでくる。


「俺はもうお手上げなんだ。あんたが教えてくれないか。本当のことを」


 真実を伝える時が来たようだ。


「わたくしと、レイノルド様は――」


 本来の関係を明かそうとしたら、ガコンッと重たい異音がした。

 言葉を切ったマリアが見たのは、上段の棚が外れ、そのいきおいで傾いてくるキャビネットだった。


「マリアヴェーラ!」


 恐怖で動けない体にレイノルドが飛びかかってきた。

 マリアは彼と一緒に床に転がる。

 その直後、キャビネットは、二人が立っていた場所にドゴンと大きな音を立ててめり込んだ。

 衝撃で床が大きく揺れた。

 もくもくと立った埃が、窓から差す陽に白くけぶる。


(危なかったわ)


 ドキドキと早鐘を打つ鼓動を落ち着かせながら、ふっと目を開けると――


「あ……」


 視界は塞がれていた。

 レイノルドがマリアの顔を自分のシャツに押し付けるように抱きしめているのだ。


「……しゃべるな。埃を吸うと体に悪い」


 そう言うレイノルドは、マリアの頭に回した腕で口元を覆っているようだ。声がくぐもっている。


 距離の近さに、力強い腕に、久々に感じる彼の体温に、マリアは感極まる。


(レイノルド様……)


 広い背に腕を回すと、彼はよりいっそう強く抱き返してくれた。


 頬を通して、彼の心臓の音が伝わってくる。

 とく、とく、とく。優しい音に身をゆだねていると、ルクレツィアが現れる前の二人に戻ったような気分になった。


 仲がいい恋人で、婚約者で、素晴らしい結婚式を挙げるために協力し合い、夢中になって恋をしていた頃に。


 元に戻りたい。

 それはきっと、マリアだけの願いではない。


(今のレイノルド様なら、わたくしが何を言っても信じてくださるわ)


 だが、マリアは口を開く気にはなれなかった。

 今はただ、この彼のぬくもりに包まれていたい。


 うっとり目を閉じていたら、廊下の方で複数の足音が聞こえた。


「誰かいるのか!」


 扉を開けた衛兵が大声で呼びかけてくる。

 レイノルドは、名残惜しそうにため息をついて起き上がった。


「俺だ。王妃の侍女も一緒にいる」

「第二王子殿下でしたか!」


 衛兵はレイノルドに怪我がないのを確かめると、応援を呼びに走った。


「あんた、怪我はしてないか?」

「無事です。レイノルド様が助けてくださいましたから。ありがとうございました」


 マリアが深く頭を下げると、レイノルドは照れくさそうに微笑んだ。


「レイノルド王子殿下、そこで何をしてらっしゃったのですか?」

「っ!」


 思わぬ方向から尋ねられて、マリアの背筋が粟立った。

 見れば、小窓のそばにオースティンが立っていた。

 同じく驚いたレイノルドは、とっさにマリアを背にかばう。


「お前、いつからそこに」

「質問しているのはこちらです。その侍女と何をなさっていたんです?」


 オースティンは、侍女がマリアだと気づいていないようだ。

 マリアは顔を伏せてレイノルドの陰に隠れた。


「荷物運びを手伝って保管庫に入ったら、古びたキャビネットが倒れてきた。それだけだ」

「……そうですか」


 心にもない納得の言葉を告げて、オースティンはレイノルドを睨んだ。

 怒りの感情がこもった細い目は、剣のように鋭くつり上がる。


「次期国王ともあろう方が、侍女の手伝いをする必要はないはずです。そんな女にかまう時間があるなら、一分一秒でも長くルクレツィアお嬢様の話し相手になってください。今日もお待ちしているんですよ」


「またか」


 うんざりした様子のレイノルドは、マリアを振り返る。


「俺は着替えてルクレツィアのところへ行く。保管庫に入る時は気を付けろよ」


 注意する声は優しかった。


(仕方ないわ。まだ記憶は戻っていないんだもの)


 けれど、抱きしめられた先ほどの時間もまぎれもない現実。


 彼の背を見送るマリアは、震える自分の体がレイノルドの中にくすぶっていた情熱を焚きつけたことまでは気づけなかった。

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