第20話 かんろくの新人侍女
熟練の肖像画家による自画像が飾られた一室で、王妃エマニュエルは一人でティータイムを楽しんでいた。
絢爛豪華な金のテーブルには、スイーツが盛られた三段皿が置かれている。
王妃は好物のタルトに伸ばした手を止めて、給仕をしている若い侍女に尋ねる。
「宮殿の型で焼かれた物ではないわね。これはどこで作られたのかしら?」
「わたくしの実家、ジステッド公爵家でございます。お口にあえば幸いですわ」
にっこりと笑う侍女は、マリアだった。
紺色のワンピースにエプロンを重ね、亜麻色の髪をお団子にしたお仕着せ姿で、昔からここで働いていたように振る舞っているが、侍女になったのは本日である。
魔法を解く方法を求めて、マリアはオースティンに接触することにした。
しかし、レイノルドとルクレツィアの結婚準備が進められている宮殿に、マリアが真正面から訪ねていっても門前で追い払われてしまう。
ならば、とマリアは王妃の侍女になることにした。
貴族の令嬢の中には、行儀見習いと称して自分に箔をつけるために、わざわざ王族の下につく者がいる。
公爵令嬢ほど高い身分だと、箔どころか宝石で飾られているようなものなので、マリアの侍女務めはこれが初めてだ。
薔薇が描かれたティーポットを傾けて紅茶を注ぐマリアを横目に、王妃はふうと息を吐く。
「いきなりやってきて、侍女になりますと言われた時はびっくりしたわ。宮殿にもぐりこんでレイノルドに復讐でもするつもり?」
「恋人を毒牙にかけるつもりはございませんわ。いずれレイノルド様の妃になる者として、王妃殿下から学ぶべきことはたくさんあります」
「だから、侍女になったというわけね。タスティリヤ王族に近付いてくるのは困ったちゃんばかりねえ」
王妃が思い出す困ったちゃんは、恐らく偽聖女ネリネだろう。
嘘の預言で国王を騙して国中を引っかき回した少女で、罰として辺境に送られた。
ちなみに、そうなるように仕組んだのはマリアである。
「わたくしを困ったちゃんの一人に数えるのは止めていただきたいですわ。少なくとも、ルクレツィア様よりは役立つとお約束します。彼女が侍女として働ければの話ですが」
「働かせるわけないじゃない。陛下の前では侍女にするとは言ったし、本人はしつこく宮殿にやってくるけれど、誰をそばで働かせるか決めるのは私よ」
つまり、王妃はマリアが侍女に志願した目的をわかった上で、採用してくれたのだ。
見えにくい優しさに敬意を抱きつつ、マリアは彼女が置かれた状況を思って共感した。
「公女殿下を侍女扱いはできませんね」
「それだけではないわ。あの子、ちょっと危ういのよ」
王妃は、タルトを口に運んで「いい味だわ。さすがジステッド公爵家のパティシエね」と褒めた。
マリアは、カップを王妃の前にすっと出す。
「危ういとは?」
「あの子、自分の侍女を宮殿に送り込んで雑用をさせようとしているの。別邸だってそれなりの広さがあるのに、そちらは執事一人に管理させてね」
マリアは自分がリフォームに関わった別邸を思い浮かべる。
部屋は急ごしらえで補修したが、厨房など水回りは時代遅れの設備なので、まっとうに暮らそうと思ったらかなりの人手がいる。
タスティリヤの田舎でかき集めた雇われ侍女と執事オースティンが、毎日あくせく働いてやっと維持できるレベルである。
「掃除係や洗濯係が仕事を取られると訴えにきたので、レイノルドに止めてもらったの。そうしたら、面倒を見てもらっているお礼がしたいとこちらに訴えに来たわ。白々しいことね」
王妃は忌々しそうに新しい紅茶を飲む。
「ルクレツィア様は、侍女を宮殿に食いませて、乗っ取るつもりなんですね」
単純だが確実な手だ。
侍女として王妃に取り入る計画がとん挫したルクレツィアは、別の手を打つよりなくなった。
そこで考え出されたのが、侍女を末端に送り込むこと。
彼女の駒は少ないが、立場が弱いゆえに警戒されにくいという特性も持つ。
蜘蛛の子が気づかないうちに箱の中に群れるように、宮殿に侍女たちを潜り込ませて自らの意志で操ろうとしていたのだろう。
糸のように白い髪がからみついた田舎の娘たちは、愚鈍なまでに素直だった。
自分が利用されていることにすら気づかず、今日の献立から重臣の交友関係の情報まで拾い上げて、親元であるルクレツィアの元へ運んでいく。
マリアは、ペイジの助手として接触した時を思い出して、しみじみ呟いた。
「まるで、蜘蛛のような方だわ」
蜘蛛は嫌いだ。美しい花を観賞していたら、いきなり葉の裏から現れるあの衝撃は何度あっても慣れない。
虫と呼ぶには異様な多肢も、べたべたして厄介な糸も、ありとあらゆる全てが苦手である。
「あの子は、蜘蛛は蜘蛛でも毒蜘蛛ね。高嶺の花に追い返すことができるかしら?」
「わたくしも毒花と呼ばれた身ですわ。必ずや、王妃殿下のご期待に応えましょう」
「それは心強いこと」
マリアと王妃は、含みのある顔で微笑み合った。
最初はルクレツィア寄りかと思われた王妃だが、彼女の化けの皮が剥げてきたおかげで、マリア側につくと決めたようだ。
(この変わり身の早さも王妃には必要なのでしょうね)
脳内のノートに書きこんでいると、白髭をたくわえた執事が「お客様です」とレイノルドを連れてやってきた。
彼は、お仕着せ姿のマリアを見るなり目を丸くして驚く。
「あんた、なんで……」
「王妃殿下の侍女になりましたの。しばらくこちらで行儀見習いをさせていただきます」
両手でスカートをつまんで行うカーテシーは、背中の角度やピンと伸ばした指先まで完璧だ。
厳しい妃教育で礼儀作法を叩きこまれてきたマリアには、王妃から学ぶことなんてなさそうに見えるのだろう。
レイノルドは理由を聞いても不審げだった。
執事が下がるように目で命じてきたので、マリアは王妃にも一礼した。
「わたくしはこれで失礼いたします」
「待ってくれ」
呼び止めたレイノルドに微笑んで、マリアは廊下に出た。
(わたくしの役目は、レイノルド様たちにかけられた魔法の解き方を探ること)
窓から別邸の方を見る。一段と冬に近付いて陽が落ちるのが早くなった。
空はじょじょにオレンジ色に染まり始め、山のねぐらへと帰る鳥の群れが遠ざかっていく。
(夜陰にまぎれて侵入できるかしら?)
別邸を修理した際に錠前も付け替えているが、さすがにジステッド公爵家の物は使えなかったので、マリアは鍵を持っていない。
どうするかと悩んでいたら、廊下の奥からなまった話し声が聞こえてきた。
「だがら、洗濯はあだしらがやるって」
「そうしねえと主様に怒られちまうだ」
ルクレツィアの侍女たちだ。
洗濯係の少女を取り囲んで、仕事を寄こせと詰め寄っているところだった。
三つ編みの少女は、リネン類を入れた籠を抱えて首を振った。
「困ります。この仕事を取り上げられたら、弟たちを食べさせられなくなっちゃう。うちは貧乏貴族なんですよ!」
「お役目までは取り上げねえよ」
「ああ。あんたは休んでればいいべ」
なおも手を伸ばしてくる侍女たちに、少女の顔がこわばる。
(いけないわ)
マリアはカツカツと靴音を立てて近づき、群れる彼女たちに大きな声で話しかけた。
「oyeamaikw ho nubm」
「ふえ?」
「な、なんだなんだ」
侍女たちは狼狽した。マリアはその隙に少女を背にかばう。
「ルクレツィア公女殿下にお仕えしている方たちですね。ルビエ公国で使われているルビエ語で話したのですが、おわかりになりませんでした?」
わざとらしく指摘する。
自分たちがルビエ公国から来たのではないと知られたら大目玉を食らうらしい侍女たちは、さーっと青くなった。
三つ編みの少女も「そういえば、南方のなまりだったような」と小首を傾げる。
「ひょっとして、あなたたちはルビエ公国の人間じゃないの? 公女様の侍女なら、さっきなんて言われたか言ってみなさいよ」
「――『身分をわきまえよ』です」
突然現れたオースティンが見事に答えた。
彼は固まる侍女たちを睨んでから、マリアのお仕着せをじろじろ見た。
「家から追い出されでもしたんですか?」
「そのようなものですわ」
マリアがおほほと笑えば、オースティンは付き合いきれないとばかりに首を振って、侍女たちに命じた。
「――別邸に戻れ。使えないやつらめ」
すると、侍女たちは一様に虚ろな目つきになってぞろぞろと歩き出した。
まるで亡者のような足取りに少女は「ひっ」と声を漏らす。
オースティンは一列になった侍女の最後尾につき、すれ違いざまマリアに囁いた。
「anurus amyj onatkona」
「iramado」
尊大な態度でマリアは返した。今さら牽制されたって怖くはない。
ぞろぞろ去る一団に、少女はふんと毒ずく。
「気持ち悪い連中!」
「そうね。蜘蛛みたいだわ」
巣に帰る一団は、一言も発さずに逢魔が時の薄闇にまぎれていった。
ぞろぞろとした黒いかたまりは、蜘蛛の子というより今にも崩れそうな泥人形のようにも見えた。
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