第7話 きぜんたる悪女糾弾

 晴れやかな日の午後。緑が豊かな宮殿の庭で、日傘を差したマリアはレイノルドと歩いていた。

 単なるお外デートではない。

 婚約披露パーティーの会場を下見しているのである。


 正式な婚約式典は、国王が見守るなか行われる公事になる。その前に王侯貴族にだけ顔見せするのが、王族が婚姻する際のしきたりとなっていた。


 二人の先には案内役の側近がいて、会場の設えを説明していく。

 長話に付き合っていたレイノルドは、天高く昇った太陽を見上げてネクタイを緩めた。


「少し暑いな」

「仕方ありませんわ。もうすぐ夏ですもの」


 タスティリヤ王国は、陽光がたくさん降りそそぐ温暖な国だ。

 真冬でも雪が降ることはまれで、基本的に春先から冬のはじめまで、厚い防寒着なしで過ごすことができる。

 陽気で明るい国民性は、気候による影響が大きい。


 マリアは夏が近づくと気持ちが明るくなるが、レイノルドは反対だ。

 彼は夏が苦手。暑がりなのである。


 学園に通っているときは、気温が上昇する昼下がりになったら授業をサボり、木陰で昼寝をして乗り切っていた。王子たる彼に注意できる教師は一人もいなかった。

 そのせいで、すっかり昼寝ぐせが付いてしまったようだ。レイのルドは、先ほどから、あくびを何度も噛み殺していた。


「上着を脱いで楽にされては? 側近の方以外には誰もおりませんもの」

「そうする」


 黒いコートを脱いだレイノルドの胸元で、スズランのネクタイピンが光る。同じ意匠は、マリアが身につけた水色のドレスにもあった。

 おそろいを意識して、マリアは頬を紅潮させた。


(レイノルド様も、いつも付けてくださっているのね)


 こんな些細なことがうれしいなんて。恋って、ほんとうに素敵だ。


「次は、軽食をご用意するテントのご相談です――」


 側近が前を向いて歩き出したので、マリアはレイノルドに耳打ちした。


「説明はわたくしが聞いて、あとでお伝えしますわ。あちらに東屋があるので休憩なさっていてください」


 生け垣の間にある東屋は鳥籠のような形をしていて、多いしげった蔦が屋根まで絡んでいる。


「悪い、頼んだ」


 そう言って、レイノルドはふらふらと東屋に向かった。

 マリアは、第二王子がいないと気づいた側近に事情を説明して、庭の奥に進んでいく。軽食を提供するためのテントを張る計画は、右の耳から左へと聞き流して。


(かなりお疲れのようね)


 無能の烙印を押された第二王子から、いきなり王位継承権第一位へと格上げされたレイノルドは、おざなりになっていた帝王学や政治学を急ピッチで叩き込まれている。

 マリアが言えば待ち合わせデートをしてくれるし、手紙にはすぐに返事を書いてくれるが、疲れがたまっているのは目に見えて明らかだった。


(癒やして差し上げたいわ。恋人って、こういうときはどうするのかしら?)


 甘いケーキを用意するか、疲労回復させる薬草を手配するか……。

 マリアが思い付くものは、だいたい側近や侍従がやっているだろうことばかり。


 自分にしかできない方法はないかと悩んでいたら、側近がパタンと指示書を閉じた。


「会場設営に関しての説明はここまでです。何かご質問はございますか?」

「え? ええっと……」


 ろくに聞いていなかったマリアは、手を口元にかざして愛想笑いした。


「質問は後日にいたしますわ。いまお聞きした内容をレイノルド様にお伝えして、ご意見をいただきたいのです。参考までに、その指示書をお借りしてもよろしくて?」

「では、こちらを。殿下とご覧になりましたら、お近くの側近にお戻しください」

「分かりました。宮殿にお戻りになったら、庭にティーセットを持ってきてほしいと伝えていただけますか?」


 お茶の準備を頼んだマリアは、道を戻って東屋を目指した。

 レイノルドが東屋のベンチに横たわって寝息を立てていたので、物音を立てないように端っこに座る。


(ここ、涼しいわ……)


 屋根や柱につたった緑が自然のカーテンとなって、陽光と暑さを遮断している。


 そよそよと吹く心地良い風に体を任せていると、マリアまで眠くなってしまった。レイノルドと逢えるのが嬉しくて、朝から気を張っていたせいかもしれない。

 ウトウトしていると、傾げた頭が何かにぶつかった。


「?」


 顔を向けると、いつの間に起きたのかレイノルドが隣にいて、うたた寝するマリアに肩を貸していた。


「レイノルドさま……」

「あんたもお疲れだな。もう少し寝てろ」

「は、い……」


 睡魔に負けたマリアは、目を閉じて硬めの肩に頭をあずけた。

 すっかり目が覚めたレイノルドは、すぅすぅと健やかな寝息をたてるマリアの寝顔を眺める。


 吐息にあわせて震える長い睫毛や、淡い色合いに染められた唇の隙間に、意識が吸い込まれそうだ。

 濃い化粧をやめて、以前よりさらに綺麗になった気がする。

 綺麗というより可愛いか。元より美しすぎるマリアの場合は。


「あんたは無意識だろうが、これ以上かわいくなられたら、俺がどうかなりそうだ……」


 罪作りな恋人の頭に、そっと頭をもたれさせて目を閉じる。

 ただ寄り添っているだけで幸せだ。


 少し前までは、長年の片思いが実るなんて思っていなかった。

 偶然と奇跡の手を借りて、あとは、ちょっとずるい真似をしてマリアを手に入れようとしたけれど、最後の最後でマリア自身がレイノルドを選んでくれなければ、恋人にはなれなかっただろう。


 だからレイノルドは、これからの人生をマリアと生きていくためなら、どんなに過酷なスケジュールを課せられても耐えられる。

 だが、もしもマリアが離れていってしまったら。

 今度は、悪辣王子になるだけではすまない。


 やる気を失い、全てを側近に投げ出し、放蕩ほうとうにふける。そのうちに、国を傾け、人を苦しめる、タスティリヤ史上最悪の国王になるだろう――。


「ここにいたのね、レイノルド様! お茶を持ってきてあげたわ、よ……」


 キンキンする声に目を開けると、ティーワゴンを押したネリネがいた。

 レイノルドが身じろいだので、マリアも「ん……?」と気を戻す。


「庭園でお茶なんてめずらしいと思ったら……!」


 ネリネは、鬼のような形相で眠い目をこするマリアを睨むと、後ろに連なっていたメイドに見せつけるように、大げさに頭を抱えた。


「痛いっ!」

「どうされましたネリネ様」

「お告げが降ってきたのよ! この国を揺るがす、とても重要なね!!」


 ネリネは、マリアに一指し指を突きつけた。

 深く息を吸い込んで、ひどく深刻そうな声を出す。


「――ジステッド公爵令嬢マリアヴェーラが第二王子レイノルドと結婚すれば、このタスティリヤ王国は天災と飢饉、他国からの侵略にさらされて滅亡するだろう。なぜなら、その女は、この国はじまって以来の悪女なのだから!」


「わたくしが、悪女?」


 マリアの眠気が一気に冷めた。

 ネリネが告げた預言に、侍女は真っ青になっている。


「大変だわ、急いで国王陛下にお知らせしなければ!」

「おい、待て」


 駆け出す侍女を制止しようとしたレイノルドだが、東屋を出たところでネリネに飛びつかれた。


「レイノルド様! そんな女と一緒にいたらいけないわ。聖女であるあたしが守ってあげる。その悪女からね!」


 レイノルドに腕を回して不敵に笑うネリネを、マリアは冷ややかな瞳で見返す。


(そういうことね)


 これは預言ではない。マリアへの宣戦布告だ。

 かくして、聖女と悪女の闘いの火蓋は、切って落とされたのだった。

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