第6話 だておとこ肖像画家

「こんなものかしらね」


 マリアは、デコルテの大きく開いた深紅のドレスを着て、姿見の前に立った。

 ネックラインから腰元にかけて、薔薇のモチーフが大胆にあしらわれており、幾重ものドレープで飾られたスカートも相まってゴージャスな一着だ。


 こんなキツい色とデザイン、本当は好みじゃない。


 けれど、肖像画に求められているのは気高く、他を圧倒するような美しさを持つ〝公爵令嬢マリアヴェーラ・ジステッド〟の姿だ。

 マリアの趣向とは正反対でも、この装いが正解だった。


「髪はコテで巻いてアップスタイルに。髪飾りにはドレスと同じ色の薔薇を用意して。真珠のピースもあったわね。髪全体に散らすように挿してちょうだい」


 ドレッサーに座って命じると、侍女たちが三人がかりで想像通りの髪型に仕上げてくれた。

 首には、大粒のダイヤが鈴鳴りになったネックレスをかけ、耳にもそろいのイヤリングを付ける。


 黒いサテンの長手袋をはめる間にも、ちゃくちゃくと化粧が進められていく。

 真っ青なアイシャドウを塗られそうになったマリアは、「待って」と止めた。


「お化粧は控えめにお願いできるかしら。口紅は赤より肌馴染みのいいローズを。アイシャドウはベージュやブラウンを使って、目の形を引き立てる程度にしてほしいの。わたくしの手持ちでは派手すぎるから、こちらの化粧品を使って」

「は、はい」


 侍女は、不安げに地味な色ばかりのパレットを持ち上げた。

 これは、化粧を改善するために、ミゼルから借りたものだ。


 これまでのマリアは、派手な顔立ちを生かす、強い色合いを多用していた。

 人前に出る際には、真っ赤な唇と真っ青な目蓋、目尻より長く高くはねあげた黒いアイラインが定番だったが、ミゼルはこう思っていたという。


『もっと柔らかな色を使ったら、マリアヴェーラ様の優しさが感じられる顔立ちになると思うんです。それで肖像画に可愛げを付加してはいかがでしょう?』


 ミゼルはわざわざ家に戻って、自分の化粧品を持ってきてくれた。

 ベージュやブラウン、コーラルなど、淡い色合いが取りそろえられたパレットは、マリアにとって新鮮だった。


 試しに塗ってみたところ、全く似合わないというわけではなかったので、あとは化粧慣れした侍女の手腕に賭けることにしたのだ。


 化粧係は、大小さまざまなブラシを使い分けて、色を肌にのせていく。

 アイラインは省いて目と眉を仕上げ、頬にもふんわりと紅を差し、口紅を塗って仕上げる。

 完成した化粧を見て、マリアは驚いた。


「わたくしの顔立ちって、意外と柔らかかったのね……」


 ナチュラルメイクを施された顔には、派手でもクールでもなく、女性らしい品だけがある。

 いつもより地味だが、ドレスのインパクトに負けているわけでもない。

 いうなれば、垢抜けた雰囲気だ。

 変に力んでいた気合いが抜けて、大人の女性に脱皮したような。


(この化粧で描かれた肖像画なら、わたくしも好きになれそう)


 最後に、スズランのブローチを胸元に挿して、マリアは立ち上がった。

 お直し用の化粧品を持たせた侍女をともなって廊下を進み、肖像画の舞台となる舞踏場へと入る。


 大きな窓がいくつもあるので、シャンデリアを点さなくても室内が明るい。

 天井には見事なフレスコ画があり、大鏡と名君たちの肖像画が壁を飾っている。


 普段と違うのは、別珍のカーテンがかけられた窓辺に、一人の男性が立っていることだ。

 ゆるくうねる黒髪を一つに結び、刺繍がふんだんに入った宮廷服を身につけて、ズボンのポケットに手を入れている。


「貴方が、クレロ・レンドルム様……?」


 振り向いたクレロは、マリアですらも息を呑む美丈夫だった。

 ハンサムな顔立ちは彫りが深く、服の上からでも分かる立派な体格からは、大人の色気が漂う。


 クレロの方もマリアに目を奪われて、たまらずといった様子で足下に跪いた。


「マリアヴェーラ様、お会いできて光栄です」


 自然に手をとって口づけされる。

 スマートな振る舞いには、拒絶する暇もない。


 甘美な香水の匂いと低く艶っぽい声、まっすぐに見上げてくる瞳に当てられて、マリアの胸がわずかにうずいた。


「私は、宮廷画家のクレロ・レンドルムと申します。第二王子殿下とのご婚約に際して、ジステッド公爵家にかざる肖像画を描かせていただくことになりました。お噂には聞いておりましたがここまで美しいとは……。まるで天上に咲く薔薇のようだ」

「お褒めいただき光栄ですわ。あの、手を」

「ああ、申し訳ありません。貴方のように麗しい方を描けると思うと、嬉しくて」


 口では謝りつつも、クレロはマリアの手を離さない。そのまま、部屋の中ほどに置かれた猫脚のソファにエスコートする。


「こちらでポーズをとっていただけますか。まっすぐではなく、片腕を肘掛けにもたれさせて座ってください。扇などあればお持ちになってかまいません」

「分かりました」


 マリアは、ソファに深く腰かけると、肘掛けにもたれて斜めに体を倒した。

 クレロの指示で、顔をキャンバスに向け、窓の方に向けて胸を突き出す。

 体をくねらせた方が、ドレス姿が美しく見えるのだそうだ。


 キャンバスの近くに戻ったクレロは、指で四角い枠を作ると、マリアを覗き込んで「ちがう」と呟いた。


「高嶺の花のような気品には、何かが足りない……」


 ふいに思い立ったクレロは、侍女に近づいて耳打ちすると、ツカツカとソファに歩み寄ってきた。

 布をはった座面に膝をつき、仰向けになったマリアに覆いかぶさる。


「貴方の美しさを、私が引き出して差し上げます」

「え……?」


 マリアは、おとがいに指をかけられ、顔を上向けられた。

 そこに、クレロは目を伏せて顔を近づけてくる。


 細まった黄色い瞳は、一心にマリアに注がれている。

 マリアの胸で、ドキン、と鼓動が跳ねた。


「い、いけませんわ、レンドルム様。わたくしには――」


 大切な恋人がいるのです!


 叫ぼうとしたその時、クレロは「これだ」と口にして上体を起こした。

 そして、マリアの目元にアイペンシルを滑らせる。


「マリアヴェーラ様には、目を強調する化粧の方がお似合いです。これで肖像画にふさわしいお顔立ちになりましたよ。……真っ赤になって、どうなさいました?」

「何でもございませんわ!」


 マリアは、熱をもった頬を冷ますように両手を振った。

 化粧を直すために顔を注視されていただけなのに、てっきりキスされると勘違いしてしまった。


「マリアヴェーラ様、こちらをお使いください」

「ありがとう」


 侍女に差し出された手鏡を受け取ったマリアは、直された顔を映してみた。

 目元には、太いアイラインが引かれている。ナチュラルさは消え失せてしまったが、確かにマリアの美貌は先ほどより際だっていた。


「それでは、デッサンから始めましょう。先ほどの体制のまま動かないでくださいね」


 気を取り直してスツールに座ったクレロは、荒く削った鉛筆を取り出して、マリアの輪郭をキャンバスに写しとっていく。

 マリアは、腹筋に力を入れて体制をキープしながら、溜め息をこぼした。


(流されてしまったわね。ミゼル様になんて説明したらいいかしら)


 そんな悩ましげな表情も写し取られているとは――それにクレロが心をかき乱されているとは――マリアは少しも気づかないのだった。

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