第2部

第1話 てさぐりの恋人文通

「――〝稀代の悪女〟〝火事場の泥棒猫〟〝枯れぎわを知らない毒花〟。これが誰を指し示しているのか分かるか、マリアヴェーラ?」

「申し訳ありません、お父様。わたくし、さっぱり見当がつきませんわ」


 革張りの椅子にふんぞり返った父親に向かって、マリアは艶然と微笑みかけた。


 ジステッド公爵家の書斎は、北向きに窓があるので昼間でもうす暗い。

 しかし、華やかな容貌を持つマリアだけは、内側に火でも灯っているかのように目立っていた。


 天使の輪がすべり落ちる亜麻色の髪、アーモンド型の瞳は孔雀の羽根のような睫毛にいろどられている。

 ツンと高い鼻や輪郭のはっきりした唇は、薄化粧でも主張が強い。


 派手な顔立ちとスラリと高い身長を持ち、気品に満ちたマリアの容貌を、人は〝高嶺の花〟と呼んで持てはやした。


 普段と変わりなく持ち前の武器を輝かせる娘に、堅物の父は激昂する。


「見当が付かないなどとよく言えたな。すべてお前のことだぞ、マリアヴェーラ!」


 力任せに投げつけられた調査書の束が、宙でほどけて書斎に紙の雨を降らせた。


「社交界に耳を傾けてみろ。どこもお前の話で持ちきりだ。第一王子から婚約破棄を告げられたジステッド公爵令嬢は、復讐のために第二王子を誘惑して求婚させ、裏で手を回して第一位の王位継承権を取り上げたのだと! ジステッド公爵家を〝泥棒猫の家〟だなどと言う民草もいるそうだぞ!!」


「口さがない連中だこと」


 酷い言い草にマリアは笑ってしまった。だが悪評を正そうという気は毛頭ない。


 第一王子に婚約破棄されたのも、入れ替わるように第二王子に求婚されたのも、彼が王位継承権第一位となるように暗躍したのも、本当のことだ。


 復讐のためではなかったが、顛末てんまつは同じ。

 今さら何を訂正する必要があるというのか。


「お言葉ですが、お父様。わたくし、小市民の噂ごときでは寝込みませんわ。ジステッド公爵家も、ただの噂で土壌が揺らぐような軟弱な家系ではございません。愚か者には罵らせておけばよろしいのですわ。喉元を過ぎれば皆、わたくしのことなんて忘れますもの」


「これで第二王子の寵愛が遠のいたらどうする!」

「ありえませんわ」


 マリアは、ドレスに引っかかった調査書を手で払い、さっそうと身をひるがえした。


「だって、レイノルド様とわたくしは、恋をしているんですもの」



 第二王子レイノルドとマリアは、国王に認められた婚約者同士だ。

 無能な第一王子アルフレッドの影に埋もれ、有能さを発揮できずにいたレイノルドは、マリアの進言により第一位の王位継承権を与えられた。


 いずれ彼は国王になる。

 そして、万事とどこおりなく進めばマリアは王妃に。


 王侯貴族の結婚は政略的に行われるが、二人の間には、お互いの家の利害関係以上に大切な繋がりがあった。


 それが、恋だ。


「マリアヴェーラ様。お手紙が届いております」


 自室に戻ったマリアに、侍女のジルが一通の封筒を差し出した。


 四方には黄色い花々が描かれている。

 花畑に埋もれる宛名は『愛しい恋人へ』。ひっくり返すと、少々荒っぽい字で『レイノルド・N・タスティリヤ』と記されていた。


 男性が使うには可愛らしすぎるレターセットなのは、マリアの趣味に合わせているからだ。

 マリアは、見た目こそ高嶺の花も同然だが、野花みたいにささやかで可愛らしいものが好きなのである。


「こんなに早く返事をいただけるなんて」


 うきうきしながら、書き物机のペーパーナイフを取り上げて封をあける。

 引き出した便箋にも、黄色い花が咲いていた。こぢんまりとした愛らしさに、マリアの口角は自然と上がる。


 書かれていた内容は単なる城での日常だ。

 めずらしく国王と食事をとったとか、側近とのポーカーで大勝ちしたとか、レイノルドに興味がなければ面白みがない話題ばかり。


 だが、マリアはどんなに些細な内容だって嬉しかった。

 レイノルドが、自分に伝えるために、わざわざ筆をとって書いてくれたのだから。


 頬を紅潮させて手紙を読み返すマリアを、ジルは微笑ましく見つめる。


「レイノルド王子殿下が筆まめな方だとは思いませんでした。〝悪辣王子〟というくらいですから、マリアヴェーラ様が手紙を送っても捨て置かれているものとばかり」

「筆まめな方ではなくてよ。返事が早いのは、わたくしを喜ばせようとしてくださるの」


 マリアが手紙を送ると、二日と経たずに返事が来る。マリアも負けじとすぐに返事を書くので、文通のようになっていた。


 返事がすぐに来たら誰だって嬉しい。可愛らしいデザインのレターセットを使ってくれるのもそうだ。

 マリアを喜ばせたいという心配りを、手紙のあちこちから感じる。


「レイノルド様は、わたくしがどんなことで嬉しくなるのか、ちゃんと見てくださるの。わたくし、レイノルド様となら、本物の恋ができる気がするわ……」


 離れていても相手の笑顔を想像して、小さな思いやりを積み上げていく。自分勝手や一人よがりではなく、二人がかりで手探りしながら、ゆっくりと形作っていく。


 いじらしくて、もどかしくて、胸がきゅんと鳴る、こんな恋を、マリアはずっとしてみたかった。


「マリアヴェーラ様にとって恋が何より大事なのは分かりますが、ご自分のお立場をお忘れなきよう。第二王子の婚約者としての日々は多忙でございます」


「分かっているわ。今日は歴史学のコベント教授とお会いして、婚約披露パーティーで着るドレスのための採寸ね。それが終わったら、ご婦人が集まる社交サロンに顔を出すから準備しておいてくれるかしら」


「かしこまりました。急にご予定を立てられるなんて珍しいですね」


 いぶかしげなジルに、マリアは微笑みかける。


「お父様の耳に届くくらいの大声で、わたくしの悪評を立てているのは誰なのか、気になってしまったのよ」


 手紙を胸に当てて、何やら悪巧みをする彼女の笑みは、見慣れているジルでさえゾッとするほど美しかった。

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