幽霊とトップアイドル ~きみは1987年に遡って唯川夏目になる。大切な人を救うために、その代償はトップアイドルになること。

上青山 連

第1話

 日本中の人があの人を知っていた。


 母は唯川夏目ゆいかわなつめ。80年代のトップアイドル、それに女優。

 お母さんは、きれいで可愛かっただけじゃない。


 観客かんきゃくが何万人いたとしても、一人一人と「不思議な糸」でつながっていた。そうとしか思えない。


 この世には、幸せな人もいれば、家族に見放みはなされて一人ぼっちの人もいる。

 たとえ誰であっても、お母さんを見ているだけで、その間だけは幸せになれたという。


 それは神様から与えられたギフトだ。わたしはそう思う。


 わたしが、お母さんの「仕事」は普通でないことに、気づいたのはいつだろう?

 たぶん4才ごろ。幼稚園で特別あつかいされたから。

 唯川夏目の娘として。ちがう子としてあつかわれていた。


 自分の母親が、きれいだと言われて、嬉しくない子どもはいない。

 私は有頂天うちょうてんになった。あやうく自分が「特別な子」だと思いそうになる。


「おまえ、お母さんにてないよな」


 ある日、小1の担任にいわれて、はたと気づいた。

(わたし、もしかしてお母さんとくらべられてるの?)


 人は、悪気なく人を比べる。想像力のない人間ほど、比べたがる。

 しかし母は、この世のものとは思えない魅力がある人。一方わたしは、ブスではないが美人でもない普通の子。わたしの写真を見ても、みんな10分で忘れる。


 子どもと言うものは、自分は「もらい子」だと思うものだ。

 わたしも、そう思ったことがある。


はしの下でひろわれたんじゃない? わたし」

 お母さんに、無邪気むじゃきなふりして、たずねたことがある。

「バカじゃないの? あんた、なかなかお腹から出てこなくて。大変だったんだから」

「でも先生にね。ぜんぜん似てないって言われた」


 お母さんは激怒した。


 あんなに怒ったお母さんを見たことがない。

 教師のコトバの真意も、わたしが傷ついていたことも、一瞬で母にはわかるのだ。

 その場で学校に怒鳴どなり込もうとしたお母さんを、必死で止なければならなかった。


 そのとき確信した。

 たしかに私たちは親子だ。けんかっぱやいのは、私もそっくりだから。


 とにかくお母さんは、わたしの味方だった。ずっと。父と離婚してからも。

 竹刀でいじめっ子の前歯を叩き折ったときも、高校の志望を直前に変えたときも。

「味方になる」と口で言うのは簡単だけど、難しいものだ。

 それは、一緒に何かと戦うことを意味するから。


 たとえ、世界中を敵に回しても、お母さんは、わたしの味方になってくれる。そう思う。

(まあ世界中を敵に回すことなんて、ないと思っていたけど)


 小学校2年の時に、お母さんは家から去っていった。

 お父さんに気をつかって、会うのは1年に1度の誕生日だけ。

 けれど、娘のわたし、桜田れいが22才になってもつながっている。

お母さんは手紙と電話とわたしを、こよなく愛してくれた。

…メールはちっとも返ってこなかったが。


 お母さんが離婚して、アイドルをやめてから、わたしの注目度はへった。でも、時々わたしに「呪いの言葉」を投げかけるやつがいた。

「もっと、かわいい恰好したらいいのに」

「芸能界にコネがあるっていいね」とか。


 言っている人とっては何でもないコトバ。気にしても仕方ない。でも、がっくり力が抜けるコトバ。

 だからというわけじゃなく、わたしは剣道部に入った。

 稽古けいこにいそしみ、めきめき腕を上げた。かわいく笑えなくても、勝てばみんな喜ぶ。


わたしは剣道の稽古に、ますます励んだ。


 ——それは、あんたが本当にしたいことなの?


 ある日、お母さんは電話の向こうで、わたしにいった。

 そう。たしか、去年の誕生日の時にも、いわれた。

 

まさか、こんなことになるなんて、その時は、想像もできなかった。




 お母さんが、アイドルで人気がすさまじかった時は、

 早朝から夜まで〈ドラマ〉の収録、それから〈歌番組〉に出て、すぐに移動して〈CM〉撮影、そのあとはインタビュー、あるいは〈新曲〉のレコーディング…、夜中の3時まで仕事はつづく。

 お母さんは何度も倒れたのだ。死ななかったのは奇跡だ。


 だから、大学に行けなかった。

 いま、娘のわたし玲は、どんなにつまらなくても講義こうぎは休まない。

 行きたくても行けない人が、いるのを知っているから。

 お金がなくても、必死に大学に来ている人もいる。学費は親が払って当然と思う子もいるけど、当たり前のことではないのだ。

 今、となりに座っている秋生あきみみたいに。


 彼の家は大変だった。新緑のころ、バイトあけで寝ている秋生に、ノートを貸したのがきっかけで、話をするようになった。

 それからずっと3年間、友だちだ。


 とにかく、わたしは4年生で、夕方の講義室にいて、となりには秋生がいる。

 もう一つ付け加えると、明日はわたしの誕生日。

 でもそれどころではなくて、悩んでいた。もうすぐ卒業なのに、まだ「進むべき道」は決まっていない。どうも流されている気がしてならないんだ。


 そのとき、スマホを見ていた秋生が、とつぜん口をひらいた。

「玲、落ち着いて聞けよ」

「なにそれ?」

「ネットに、ニュースが出てる」

 彼が、差し出したスマホに映る文字が目に入った。


 ……唯川夏目さんが、都内の自宅マンションで心肺停止しんぱいていしの状態で発見。都内の病院へ搬送された……


 次の瞬間、心臓を冷たい手でつかまれた。

     



「俺がタクシーを呼ぶから、すぐに病院に行け」


 それから学校を飛び出したことは覚えている。二人でタクシーに乗り込んだことも。

 頭の中は混乱しきっていた。

「どこの病院に運ばれたのか、ニュースはふせている。とにかく代官山の方へ」

 秋生が、運転手さんに告げる声が聞こえる。

 ふるえる指で、お母さんのマネージャーに電話をかけても、全くつながらない。

「唯川さんの病院がどこか、ネットのどこにも出てない。くそっ」

 秋生はあせった声をだした。


「都立坂上病院です」前を向いたまま、運転手さんがいった。

「さっきラジオで漏らしてました。…それから、あれは誤報ごほうです。唯川さんは死んだりしてない」

 運転手さんの髪には白髪が混じっていた。お父さんと同じくらいの歳の人。

 ——お母さんは生きてる?

「すぐ病院に行ってください。運転手さん」秋生がいった。

「ええ。20分以内に、必ずついてみせますよ」


 ミラー越しに運転手さんと目が合う。メガネの奥の小さな目。優しそうな目。

 病院に着くまで、わたしはもう何も考えられなかった。ただ、真っ白になるほど、自分の指を握りしめていた。


 病院には、テレビ局の中継車ちゅうけいしゃが止まり、マスコミが取り囲んでいた。まるで戦場のように。

タクシーを降りると、プロデューサーの塩野さんがわたしを見つけて、記者たちをかき分けてくれた。


 お母さんの担当だった彼女の顔を見たとき、こらえていた涙があふれてきた。

「玲、身内みうち以外は誰も中に入れてくれない。あなたは早く入りなさい」

それ以上何も言わず、そっと肩にふれてくれた。


 秋生とも、そこで別れるしかなかった。最後に見た秋生のまっすぐな瞳。後ろからカメラマンに押されて、黒々とした人ごみの中に消えた。


 わたしは1人で、病院の中へ入っていった。


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