第15話 並列と欠損

 慧云けいうんセラノは、今自分は、夢を見ているのだ。

 と、とりあえず理解することにした。

 そうでなければ、今自分の目の前にある光景現実に対して、驚愕の絶叫が口から放出されてしまいそうだったからだ。

 とりあえず、これは夢。

 という前提を置いて、まずセラノは自分がいつから夢の世界に目覚めて眠ってしまったのかを思い返した。

 今日は確か、平日。

 朝、自室のベッドで窓からの日差しと目覚まし時計の音で目を覚ます。

 まさか、この時から自分は目を覚ましておらず、未だにベッドの上で惰眠をむさぼっており、日差し、目覚ましに次ぐ、第3の目覚めの刺客である妹の腹肘鉄を待っている状態なのかもしれない。

 もし、そうなら早く目を覚まさなくてはならない。兄の貧弱な腹を確信犯的に狙う妹の肘鉄は正直冗談で済まされない。

 続いて、今日自分が寝てしまった、もしくはウトウトとしてほんの刹那の間でも意識が夢の方へ跨いでしまった時を思い返した。

 朝食と着替えなどはいつも通りで、学校スクールへの道すがらも問題はない。

 2‐6教室の窓際の一番後ろの席につき、始業ベルまでの時間を、隣の席にの智中ともなかサンビとの他愛も無い話で過ごした。

 そして、授業が始まった。1時限から4時限まで、今日は体育はなく、その時間全てを机に座り、黒板とその前に立つ担当教員をひたすら眺める日だった。しかし、その間にウトウトした時間はなかった。

 普段はどの時間かには必ずそういう状態が訪れるが、今日は珍しくそれがなかったのではっきりと断言することができる。

 昼休みは屋上で過ごした。飯の最中に話をするのは好きじゃないので、昼休みはサンビとも別になることが多い。

 昼食を済ませた辺りで、誰かが屋上にやってきた。クラスメイトの野ノ波芭乃ののははのだった。中学生と勘違いされる童顔と小柄な身体の持ち主だ。

 彼女とはよくこの場所で出くわすことがあるが、お互い積極的に話かけようとしたことはない。お互いの時間を変に邪魔しないというのが、いつの間にか暗黙の了解となっていた。

 セラノとは違い、波乃は教室で昼を済ませてからここに来ていた。何をするかと言えば、ただ、フェンス越しに学校周りの風景をただ眺めているだけ。一体何を見ているのか?興味を抱くことはあれど、それを聞いてみようという気にはならなかった。

 しかし、この日はいつもと少し違うことがあった。

 いつも風景をずっと眺めていだだけの波乃が、なぜかセラノの方をチラチラと見ていて、最終的には近くまで接近し、凝視するまでになっていた。

 これには、さすがのセラノも―

「な…何だよ」

 と声をかけた。

 異性にここまで近くで見られることもなかったので、鼓動も早くなっていた。しかし、彼女はそんな彼の心情など察する気配もなく、ただ――

「ううん。ちょっとね」

 とだけ言うと校舎の中へ戻ってしまい、セラノは一人になった。

 しかし、その後は落ち着いてくつろぐこともできず、その影響か午後の授業も一切の睡魔に襲われることなくしっかりと授業を受けた。

 それら全てを思い返したセラノは、やはり今自分が夢を見ていることは考えにくいという結論に至り、改めて目の前に広がる光景を見据えてみた。

 やはりこれは現実なのか。

 には、何も無かった。

 今日の朝まで、自分の家があったはずの場所に。

 まるで、そこには最初から何もなかったかのように、彼の家だけが無かったのだ。

 両隣にある家は当り前のように存在し、彼の家が無いという不自然以外、全てがいつも通りの日常の雰囲気を出していた。

 そのあまりのは、セラノという存在の方が不自然であるかのようにも感じさえもした。

 自分の中の現実が、日常が、世界が、壊れていくような恐怖がジワジワと、彼を覆いつくそうとしていた。

「いたいた」

 それを止めたのは、そんな唐突な声だった。

 セラノが声のした方を向くと、そこには女性が一人立っていた。

 見た目からしてセラノよりも少し年上のようだ。先ほどの声の主であると気付くと同時に、彼女が何か普通ではないものだというのも、セラノは確信した。

 その決め手はその手に握られていた、奇妙な形をしただった。

「あ、あの…」

「何も言わないで。そして、もう何も考えないで。何も理解しようとしないで。これはただの欠損なんだから」

 セラノの言葉を遮り、その女性は淡々とそう言った。

 そして、セラノの方へ近づいてきて…。


「…あれ?」

 セラノは、自宅の前に立っていた。

 今しがた学校スクールから帰って来たはずなのに、長い夢から覚めたかのような、妙な浮遊感を感じていた。

「あら。おかえりなさい」

 玄関から出てきたのは、彼の母だった。

「…ああ、ただいま」

 セラノは家に入ると、普段当たり前に通り過ぎる動線上のものを、ひとつひとつ確かめるかのようにして自室に入った。

『家、母さん、俺の部屋。確かにある。いつも通りの場所が。その中に俺もいる』

 それを実感すると、あたたかな安堵が彼の中に宿り、微かに残っていた夢の感覚も消えていった。

 

 あの感覚が。


 ~


「…ええ。凝着部の分断と修正は済んだわ。この世界は、彼が存在する世界に戻った。にしても、些細な分岐ならともかくここまで矛盾した世界が再結合するこの現象、いい加減何とかならないの?今回みたいに、の場合は、ほんと大変なんだからね!」

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