通勤(6/25花金参加作)
何の変哲もないある朝。家の最寄り駅を8:24発のいつもの満員御礼通勤電車は、次元のトンネルを潜り間違えて異世界に突入したらしい。
たどり着いたのは枯れた山の中腹で、車両から皆でおっかなびっくり出てきて、持ち合わせたものだけで野営に乗り出すこと2日目。どこからか現れた、これがローブというものかという見本を着こなした胡散臭い誰かが、時折こういう事故があるのだと教えてくれた。
教えてくれた上で、立ち去った。
希望が打ち砕かれた感じがする。
最初は職場、警察、家族や知人へと連絡しようとしていた人々も、もうすっかり現実を受け入れていた。
持ち歩いたパソコンのバッテリーが落ちるまで仕事をしていた人間も、全ての納期から解き放たれて目の前の光景を受け入れざるを得なくなっている。
乗り合わせていた可愛い職場の後輩を守ってやらねばと思ったのも最初だけ。同じく乗り合わせていた同期と寄り添って離れず、明らかに芽生えている。いや、どう見てもチラホラとそこかしこで出来上がっているのは、現実離れした危機的状況に置かれているからか。
そんな中、俺がすべきことはただ一つだけしかない。
皆で知恵を出し合い、平和な生活ができる場所にたどり着くことだ。
これは偽善でも中二心でもない。
耐えられないのだ。
こんなところで右を見ても左を見てもみんな
それも、一部の若い男女だけではない。駆け落ちを楽しんでる風なダンディとうら若い女性。違う指輪をお互いはめたオジサマと…オジサマ?
こんな世も末なトラブルに見舞われた上に、職場の可愛い後輩が同期にしがみついて見つめ合ってる姿を見せられるほうの気持ちにもなってみて欲しい。
平和を取り戻し、この危機的な非日常から脱して皆に恋心は気の迷いだったと思わせたいと、切に願っても不思議はないだろう。
リアル感ないところでリア充してんなよって言いたくなっても仕方ないはずだ。
取り敢えず、下山から。
人々の間を歩き、リーダーの素質がありそうな人間に声をかける。
先行視察隊。荷物を運んだり、食事の確保に調理配分。怪我人や調子の悪い人を保護したり、連絡系統も整えなければ。
幸い、多職種の人間が乗り合わせた通勤電車だ。それぞれに適した人間は探せばいる。
明確な役割分担をして、組織を形成。この電車に乗っていた人のほとんどが仕事に向かっていたのだから、十分な説明の上で与えられた仕事に意義を唱える者はほぼいなかった。
そういう俺は、人材派遣会社のキャリアコンサルタントなのだ。バッチリと資格を生かしていると言えよう。
資格で同期に一歩リードしていても、後輩は見向きもしてくれなかったが。この大仕事を必ず成し遂げて、俺とリア充してくれる可愛い彼女を作るのだ。
山を少し下れば、そこは木々が茂っていた。道が悪く皆戦々恐々と怯えてしまい、最初は用心しながらゆっくりと進んでいたのだが、慣れるにつれて徐々に変化が起きていた。
「1隊、罠に追い詰めろ!」
「3隊が追う!」
いつの間にか、防衛隊は隊長の下に分隊までなして、どう見ても魔物くさい何かを狩っている。
薬草をグツグツと煮ている救護隊。調理隊は魔物を吊るして血抜き…放送禁止コードにかかる絵面だ。
使えそうな石や木で武器や日常品を作る人。……今向こうで何か魔法っぽいもの使った人いなかった?
さすが皆、プロフェッショナルな企業戦士だ。過酷な世界におかれてからのレベルアップがはんぱない。
こうして、一月ほどかけて。我らが日本企業戦士団が山の麓へとたどり着き、初めての町へ立ち寄った時。
皆の顔はもう疲れた会社員などではなく、この世界で逞しく生き抜いてきた誇りに満ちて、各々の専門分野を誇るプロの仕事人だった。
元の世界に帰る術なんてない俺たちは、山の麓の町を開拓して住む許可を貰った。
日本のような平和はない世界だけど、元々の知人、新たな仲間たち、そしてやりたい仕事だけを思う存分やれるという抑圧されない開放感。ある種の心の自由がここにはあった。
ちなみに仲間たちとの心の結びつきが強くなったからか、別れるカップルはほとんどいなかった…。
こうなったら、祝福しようと思う。新リア充たちに光りあれ!
山の麓の町は小さく、慎ましやかな暮らしをしていた。
村人たちは、俺たちが日本流に持ち込んだ文化に興味を抱き、技術や知識を喜んで受け入れてくれた。
俺は、もう需要がなくなったキャリアコンサルタントを引退して、この世界の文字を日本人に教える講師を雇って講義を開催し、また日本語を村人に教える講義をしていた。
この世界でキャリア開発をするには、やはり言語からだろう。
「先生、あの、これ……」
いつも講義を聞きに来てくれる、村の少女がパンの入った包を差し出す。
「いつもお世話になってるから」
照れて朱がさした顔で落ち着かない表情を浮かべる
―――その時だった。
「あっちゃ〜、間違っちゃった。ゴメンね、元に戻すから〜」
ゆるふわ、ふんわり、のんびりした女性のアニメ声が響き渡り。
次の瞬間、世界は白い光に包まれていた。
目を開けるとそこは、いつもの通勤電車の中で。
一斉に周囲を見渡して、もうよく見知った顔の乗客たちと視線を交わした。
すぐ側では後輩と同期が当たり前のように手を繋いでいて。
少女の姿も渡されたパンもどこにもない。
到着した次の駅で、降りるべき人々は、同士と頷き合って電車を降りた。
生気がない通勤電車だった空間は、過酷な世界でキャリアを積み重ねた皆の、自信と情熱で満ち溢れていた。
いや、芽生えて育んだ何かにも、満ち溢れてるかもしれない…。
一抹のやるせなさを胸に、たどり着いた会社の最寄駅で電車を降りる。同じ場所に向かうカップルの背を見るともなしに視界に入れて、思わず溜息が零れた。
でもまぁ、きっと新しい春はこれから……。
ついつい俯いた背中に、どんっと衝撃が走った。
「先生……」
スーツの上からぎゅっと抱きしめてくる腕は、力強い。
首を捩って後ろを見ると、彼女の面影を宿した制服姿の女子高生と視線が絡んで。
「やっと会えた」
ほろほろと涙を散らしながら微笑む彼女の姿に、終わってなかった「これから」の奇跡に感謝した。
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