第237話 手紙

 人の声は、風に吹かれて流れていく。


 初詣に行った人々の言葉を皮切りに、親類縁者が集う祝いの席は、神隠しの話で持ち切りだった。


 古い言い伝えを知る老人たちは、我が物顔で話しを誇張させ、その御伽噺のような話を、子供たちが目を輝かせながら聞き、他所へと触れまわる。


 そして、夕刻になり、祝いの席が落ち着いた頃、住民たちは、その噂の場所を一目見てみようと、屋敷の前へ集まってきた。


 まさに、野次馬のように──


「なぁ、阿須加家の人達、凄く慌ててたよな?」


「さっき、裏口の鍵、壊してたよ」


「マジか。本当に、消えちゃったの?」


「うちのおじいちゃん、大昔に、この町で、神隠しがあってって言ってた」


「星ケ峯の伝説でしょ? 山の神様が、鈴の音と共にやってきて、気に入った人間を連れてっちゃうってやつ」


「やだー、怖ーい」


「鈴の音、聞いたって人いたよね」


「本当に神隠し?」


「大丈夫かねぇ。この屋敷の人たちは、みんないい人たちばかりだったのに」


「きっと、いい人たちだったから、神様に連れてかれちゃったんだよ!」


 人の噂は、伝播でんぱする。


 人から人へ、そして、それは関心や恐怖を連れて巡りゆき、瞬く間に住民たちを震え上がらせた。


 そして、そんな人々の背後を、黒髪の青年が通り過ぎる。


 屋敷の門の前を、颯爽と進む青年は、モデルのような体型をした美しい男性だった。


 だが、その美しい男には目もくれず、人々は、屋敷の方に釘付けだ。


 すると、帽子を深く被った青年は、慌ただしいその光景を確認しながら、屋敷の裏手に移動する。


 人けのない場所までくると、壁に寄りかかり、ポケットから小ぶりの機械を取り出した。


 片手に収まるくらいの盗聴器だ。


 そして、その盗聴器から伸びたイヤホンを片方の耳に装着すると、青年はダイヤルを回し周波数を合わせた。


『じゃぁ、五十嵐がやったというのか!?』

『違うわ。五十嵐は、指示をされてやっただけよ』


 すると、すぐさま、イヤホンから人の声が聞こえてきた。屋敷の中にいる、洋介や美結たちの声だ。


(レオの言った通り。気づくとしたら、やっぱり夕方だったか)


 青年は、青い瞳をスッと細めた。


 さぁ、ここから彼らは、どう踊り狂ってくれるだろう?


 盗聴器をコートのポケットに忍ばせたあと、青年は、静かに目を閉じた。








          第237話 『手紙』









✣✣✣



「手紙よ。結月から私たちに向けた」


「て、手紙……?」


 美結の言葉に、洋介は息を呑んだ。


 目の前の封筒には、流れるような美しい文字で「阿須加 洋介様」「阿須加 美結様」と連名で名前が書いてあった。


 そして、その裏には『阿須加 結月』と娘の名前が書いてあり、洋介は、その手紙を恐る恐る手に取った。


「結月が……結月は、どこに……っ」


 そして、酷く狼狽える洋介を、美結、戸狩、黒澤の三人は、厳しい表情で見つめていた。


 ここに、お嬢様からの手紙があるということは、神隠しには、あっていないということ。


 だが、そうだとすれば、この状況は、なんだと言うのか?


 洋介は、手早く封筒から便箋を取りだし、中身を確認する。


 白地に、花の模様が描かれたシンプルな便箋。

 そして、その中には、こう書かれていた。



───────────────────────



拝啓 阿須加 洋介 様

   阿須加 美結 様



新春のみぎり、ますますご清祥のことと存じます。この度は、突然手紙を書く失礼を、どうかお許しください。


晴れやかな新年を彩る折に、このようなことになってしまい、さぞかし驚かれていることでしょう。


ですが、ここから先お話することは、全て、私の本心です。この屋敷の使用人たちは、皆、私の命令に従っただけ。どうか怒りの矛先は、全て娘である私にご傾注ください。


私、阿須加 結月は、この度、阿須加家を去ることに致しました。



───────────────────────



「な、なんだ、これは!?」


 手紙を読みながら、洋介が奇声を上げた。


 そこに書かれていたのは、阿須加家を出ていくと書かれた娘から言葉。だが、そんなの簡単に飲み込めるはずがなかった。


「結月はどこにいる!? なにを考えてるんだ、阿須加家を去るって」


「とにかく読んで、最後まで」


 すると、美結が静かに言及し、洋介は、苦渋の表情を浮かべながら、再び手紙に視線を落とす。


 すると、結月の言葉は、更に続いた。

 まるで、本心をさらけ出すように。



───────────────────────



きっと、こんなことを書けば、お父様は、お怒りになるでしょうね。


ですが、もう耐えられないのです。


幼い頃から、私はずっと夢見ておりました。

お父様とお母様に、愛されたいと。


だから、ずっといい子に振る舞って、常にお父様たちの命令に従いながら生きてきました。


でも、いつまでたっても私は屋敷の中に閉じ込められて、まるで腫れ物扱い。一緒に暮らすどころか、道具のように扱われ、いつからか気づきました。


私が、お父様とお母様に愛されることは、一生ないのだと。


だから、出ていくことにします。


跡取りを産むだけの道具として、お二人の元で生きるより、普通の女の子として、愛する人の元で生きていきると決めました。


お父様、お母様。

私には今、好きな方がおります。


8年も前から、私の心を支え続けてくれた方です。

そして、その方と、私は結婚します。


ですが、例え結婚し、この阿須加の姓を捨てたとしても、私が、この一族から逃れることは、できないでしょう。


きっと、どこへ逃げようと、またいつか、この一族と関わる日がくる。


阿須加家の当主であるお父様の娘として生まれた限り、その跡を継ぐ人間は、法律上、私一人しかいないのですから。


だから、二つほど条件を出します。


この先、私に跡目を継がせたくないというのなら、どうか、私の命令に従ってください。


一つ目は『私や使用人たちを、決して探さないこと』


そして、二つ目は『ホテルの職場環境を改善し、社員たちに優しい会社を作ること』


私の机の上に、トランクが置いてあります。


中には、ここ10年で不当解雇された社員や使用人たちのリストや、強制労働や過剰な接待に関する証拠品のコピーが入っております。


きっと、お父様たちにとっては、おおやけに出したくないものばかりでしょう。


ですが、もし私の命令に反し、連れ戻そうとしたり、会社を改善する気がないと判断した際には、この証拠品を世間に公表し、阿須加家を内部告発いたします。


このような命令をする私は、きっと酷い娘ですね。

でも、この先、時代は変わっていきます。


社員たちを大切にできない会社は、生き残ってはいけません。だからこそ、阿須加家を守るためにも、使用人や従業員たちを、大切にしてください。


私が、この屋敷をでていけば、私にかかっていた学費や使用人たちの人件費、そして、屋敷の維持費なども、もう必要なくなるでしょう。


この屋敷の絵画や壺、グランドピアノなどの調度品も、売り払えば、それなりの額になります。私に使われていた分は、すべて社員たちの環境改善ために使ってください。


そして、5年後、お二人が心を入れ替え、会社の内情が改善したと判断した時は、一度だけ、お二人の元に戻ってきます。


その際に、遺産を放棄する書面もお持ちしたいと思っております。そして、それが、私たちの最後の別れとなるでしょう。


ですが、この先、阿須加の名を持たない私に、全てを奪われたくないなら、どうか、私の願いを聞き入れてください。


そして、これが最後の言葉となります。


お父様、お母様。

娘として生まれてきてしまい、本当にごめんなさい。


私の存在が、どれほどお父様たちを失望させたか、それは身に染みてわかっております。


ですが、それでも今日まで、何不自由なく生きてこれたのは、他ならぬ、お父様とお母様のおかげです。


愛する価値もない娘を、今日まで育てて下さり、本当にありがとうございました。


これから先、冬の寒さは、更に厳しくなります。


どうか、お体には、くれぐれも気をつけて。

ご自愛ご専一のほど、お過ごしください。




                 阿須加 結月


───────────────────────



「……っ」


 その瞬間、洋介は膝から崩れ落ちた。


「な、なんだ、これは……結婚って」


 そして、娘の手紙に書かれていた『結婚』の二文字。

 それを見て愕然とする。


 結月には、今好きな男がいて、その男との結婚を考えている。いや、それだけではない。


 あの結月が、親を脅迫しているのだ。

 あの従順だった、結月が──


「こ、こんな手紙、信じられるわけがない! あの結月が、私たちに逆らうなんて!」


「みっともないわよ、洋介。書いてあったでしょ。これは全部、私の本心だって……あの子は、自分の意思で、屋敷をでていったの。つまり、私たちを


「……っ」

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