第95話 婚約者と執事

 ※注意※


 前回に引き続き、未成年による飲酒の表現があります。ご注意ください



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(……ダメだわ。やっぱり思い出せない)


 それから暫く、結月は冬弥と話をしながら、ずっとモチヅキ君のことを考えていた。


 目の前の"餅津木 冬弥"が、あの夢の中のモチヅキ君なのか? それをずっと思い出そうとするが、軽く頭が痛くなるだけで、手がかりになりそうなことは何一つ思い出せなかった。


(あ、そうだ。もしかしたら、誕生日を聞けば、思い出せるかも?)


 前に、夢の中で聞きそびれた、モチヅキ君の誕生日。それを思い出して、結月は、なにか手がかりになるのではと、冬弥に話しかけた。


「あの、冬弥さんの誕生日はいつですか?」


「誕生日? 8月19日だけど」


「8月19日……夏生まれなんですね」


「あぁ、冬弥なんて名前だからね。冬生まれと、よく間違えられるよ。うちの親父、周りと同じものが嫌いでね。"夏に生まれても冬も制するような男になれ"とかいって、うちの兄弟、みんな生まれとは、逆の季節の名前が付いてるんだ。だから、春馬兄さんは秋生まれ!」


「あ、確かに、そうですね」


 雑談を交わしながら、結月は、モチヅキ君の誕生日が、8月19日だったかを思い出そうとする。


 だが……


(うーん、やっぱりダメ。誕生日をきいても思い出せない)


 いくら記憶喪失とはいえ、思い出したくても思い出せないのは、やはり辛いものがある。


 思わず、シュンとして俯けば、背後に控えていたメイドが、目の前のテーブルに、綺麗に盛り付けられたロブスターを運んできた。


 そして、その皿を見つめながら、結月は思う。


 もし、あのモチヅキ君が冬弥なら、きっと自分は幸せなはずだ。


 なぜなら、と結婚できるのだから──


「それより、どうして誕生日なんて」


「あ、ごめんなさい。昔あったことがあると言っていたので、思い出そうと思ったのですが……なかなか思い出せなくて」


「…………」


 結月が申し訳なさそうにそう言うと、その後、冬弥は結月の手をとり、そっと握りしめてきた。


「結月さん。無理に思い出さなくてもいいよ。僕は昔の記憶がなくても、今でも、結月さんが好きだから」


「え? 今でも?」


「そうさ。今も、そして、これからもね」


「……あの、一つお聞きしてもいいですか? 8年前に私たちは、何か約束をしていませんでしたか? 」


「…………」


 そう言って結月が冬弥を見つめれば、冬弥は結月の手を握る力を微かに強めた。


「知りたいなら教えてあげるよ。僕たちは昔、をした仲だ」


「え? 結婚?」


「あぁ、幼い頃、僕達は、お互いに好きあっていたんだ。でも、結月さんが階段から落ちて記憶喪失になってしまって、婚約の件は一度、白紙に戻ったんだ。でも、もういいじゃないか、昔のことは。これで全て、元通りになったんだから──」


 すると冬弥は、そのまま結月を抱きよせた。


 だが、その言葉を聞いて、結月は困惑する。


(結婚の……約束? じゃぁ、やっぱり冬弥さんが、モチヅキ君?)


 全て、元通り。

 確かに、その通りなのかもしれない。


 記憶はなくても、幼い頃自分は、確かにモチヅキ君のことが好きだった。


 それは、きっと間違いじゃない。


 なら、"お互いに好きあっていた"と言っていた冬弥は、きっと、モチヅキ君で間違いないはずで───


(あれ……なんで?)


 だが、その瞬間思い出したのは、なぜか自分の"執事"の姿だった。


 優しく微笑む姿に無性に胸が締め付けられた。


 自分が好きなのはモチヅキくんで、今日、その"モチヅキくん初恋の人"と再会した。


 しかも、婚約者として──


 それはきっと、幼い頃の自分にとっては、とてもとても幸せなことで。


 それなのに──


(なんで、私……五十嵐のこと……っ)


 好きな人冬弥に抱きしめられているにも関わらず、その腕の中で思い出すのは、なぜか執事のことばかりだった。


 初めは、少し苦手だった。


 執事なのに、全く思い通りにならなくて、その上、よくからかわれては、怒ったり、困ったりさせられた。


 だけど、自分がどんなに怒っても、五十嵐は、いつも笑って傍にいてくれた。


 たくさん笑わせてくれた。


 泣いていたら、慰めてくれて、不安があれば、抱きしめてくれた。


 そうするうちに、代わり映えのしない毎日が、少しずつ色をとり戻っていくように感じた。


 まるで、なくしていた感情を、一つ一つ拾い集めていくみたいに……


 そして、いつしか、五十嵐が傍にいないと、落ち着かなくなった。


 会えない日は『今、何をしているのかな?』そんなことを考えるようになった。


 だけど──


(っ……なんで? 私が……好きなのは……っ)


 自分の感情に、戸惑う。


 目の前には、夢にまで見た"モチヅキ君"がいて、その好きな人に、抱きしめられているのに、全くドキドキしなかった。


 それどころか、逆に心が冷えていくようにも感じた。そして、それにより、自分の今の気持ちを実感する。


(どうしよう、私……もう……っ)


 のだと思った。

 モチヅキくんを、いや、餅津木 冬弥のことを。


 そして、今、好きなのは───



「ッ───!?」


 だが、その瞬間、ぐらりと視界が揺れた。


 咄嗟に冬弥から離れ、ソファーに手をつくと、結月は、もう片方の手で頭をおさえた。


(ッ……なに、急に)


 突然の目眩。グラグラと視界が揺れて、その上、頭も痛いし、気持ちも悪い。


 しかも、何故かとてつもない睡魔に襲われて、結月の身体は、今にも崩れ落ちそうだった。


「結月さん、大丈夫ですか?」


「っ……あの、ごめんなさい……急に気分が」


「それはいけない。疲れてしまったのかもしれませんね。奥の部屋にベッドがありますから、横になってはいかがでしょうか」


「……え、と……っ」


 うまく思考が回らなかった。

 確かに、できるなら今すぐ横になりたい。


 だけど、心の奥で、何かが警鐘を鳴らす。


「ぁ、いぇ……私、もぅ、帰り……ます……五十嵐を、うちの……執事を……呼んで、頂けませんか……?」


 虚ろな思考で結月がなんとか、そう呟けば、その瞬間、冬弥の表情に影がさした。


(ちっ……なかなか、しぶといな。この女)


 結月に分からぬよう軽く舌打ちをしたあと、冬弥は、結月が飲んでいたグラスに目を向ける。


 ゆっくり飲んでいたからか、思ったより時間がかかったが、どうやら、やっと酔いが回ってきたようだった。


 だが、完全に酔い潰すには、もう数口ほどたりないらしい。


 そう思った、冬弥は──


「おい、さっきのボトル持ってこい」


 ソファーにふてぶてしく腰掛けたまま、結月のグラスを頭上に掲げる冬弥は『今すぐ、つぎにこい』とばかりに、背後に控えたメイド達に命令する。


 また、飲ませれば、次は完全に酔って眠ってしまうだろう。


 そう考えながら、手にしたグラスに、ワインが注がれるのを待つ。だがその瞬間


 ──バシャッ!?


「!!?」


 真っ赤なワインは、グラスではなく、冬弥の頭上に降り注いだ。


 ボトルに半分くらい残った赤いワイン。


 それが、まるで滝に打たれるかように、冬弥の頭上から髪をしたたり、顔や肩へと流れ落ち、真新しいシャツやスーツをビショビショに濡らしていく。


「ッ──てめぇ、なにやってんだ!?」


 いきなり頭からワインをぶっかけられ、怒り心頭になった冬弥は、背後に立つ男に罵声をあびせた。


 だが、そこにいたのは、先程、ロブスターを捌くのに苦戦していた青年ではなく


「?……誰だ、お前」


「…………」


 見知らぬスタッフの姿に、冬弥はきつく眉根を寄せた。

 スラリと背が高く、どこか凛々しい顔付きをした黒髪の男。

 だが、その男は、冬弥を客ではなく、まるでゴミでも見るかのような、酷く冷たい目をしていた。


「っ……おい、なんだその目は。お前も、ここのスタッフなんだろ?」


「いいえ」


「はぁ!?」


 するとその男は、空になったボトルを手にしたまま、改めて冬弥を見据え、まるで挑発でもするような不敵な笑みを浮かべた。


「お初にお目にかかります、餅津木 冬弥様。私は──結月お嬢様の"執事"です」



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