第22話 甘い嫌がらせ
学校から帰宅すると、結月は、矢野に勉強をみてもらっていた。
矢野はメイドだが、とても学力が高く、教員免許も持っているため、結月の家庭教師も兼ねて、10年ほど前に、この屋敷にやってきた。
学校から帰宅すると、塾にいかない代わりに、いつもこうして自室で勉強を見てもらっている。
だが、今日はあまり乗り気ではないのか、結月は問題を解きながら、ため息ばかりついていた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「あ、ごめんなさい。せっかく教えてもらってるのに」
「いえ、私は構いませんが……しかし、授業の内容が分からなかったなんて、珍しいですね」
「そ、それは……っ」
結月は、申し訳なさそうに、目の前のノート視線を落とした。
朝、ポケットの中に、勝手にチョコレートを入れられた。そのせいか、結月は今日一日、全く授業に集中出来なかった。
しかも、帰り際にそのことを執事に問いただしたのだが、五十嵐は全く悪びれる様子もなく
『たかだか、チョコ一つで大袈裟ですね。食べてしまえば証拠は残らないのに』
なんて言って、あっさり吐き捨てたのだ。
結局、そのチョコレートは、今も結月の手元にあり、結月は腑に落ちないながらも、今こうして、昼間分からなかった所を矢野から教わっている。
だが、結月のため息の原因はそれだけではなく、なによりも、気になっているのは
「……ねぇ、矢野は、
結月が、見つめれば、矢野は少しだけ間を開けたあと
「……いいえ、私も今朝方、五十嵐から聞いたばかりなので、詳しくは存じてはおりません」
「そう……」
全く手がかりのない話に、結月はシュンとする。すると、そんな結月を心配し、矢野が優しく声をかける。
「お嬢様、斎藤のとこですから、また改めて、お嬢様に御挨拶に伺うと思います。なので、そんなに落ち込まないでください」
「そ、そうよね。ごめんなさい。急なことで驚いてしまって……でも、斎藤には、とてもお世話になったから、私もちゃんと会ってお礼を言いたいの。こんな別れ方は悲しすぎるもの」
酷く落ち込んだ様子で、結月が俯く。すると矢野は、手にしていた教科書をパタンと閉じた。
「お嬢様、今日はここまでにしましょう」
「え?」
「そのような状態で勉強をしても身に入りません。今日は、ご本を読むなり、音楽を聴くなり、どうぞ、ご自分のために時間をお使い下さい」
結月を気遣っているのか『たまには息抜きも必要ですよ』と、矢野は勉強を中断すると、結月はそんな矢野の言葉に、ふっと心が温かくなるのを感じた。
「そうね……確かに、少し気持ちを切り替えた方がよさそうね。丁度、同じクラスの
「それがいいでしょう。では、また後ほど、お茶をお持ち致します」
「……えぇ、ありがとう」
すると、矢野は部屋から出ていって、結月は、勉強道具一式を片付けた。
その後、自分の机の前まで進み、それを引き出しの中に片付けると、鞄の中から借りてきた文庫本を取り出した。
厚み1センチほどの文庫本。書店で買ったのか、その本には深緑色のブックカバーがかけられていた。
(五十嵐に似てる執事が出てくると言っていたけど、どんな内容なのかしら?)
本を貸してくれた
五十嵐は、初めてあった時から、なにか他とは違う独特の雰囲気があった。
優秀ではあるが、どこか掴みどころのない執事。
「あ……チョコレート、どうしよう」
すると、ふと五十嵐から貰ったチョコレートのことを思い出した。
帰ってきて、ポケットからとりだしたそのチョコは、ちょこんと机の上に置かれたままだった。
(せっかく貰ったんだし、食べないと悪いかしら?)
すると結月は、小包装されたチョコを手に取り、ゆっくりと包みを取り、それを口の中に運んだ。
「……ンッ!?」
だが、その瞬間、結月はチョコレートのあまりの硬さに、咄嗟に口元を押さえた。
(ッ……なにこれ!? 一粒100円のチョコって、こんなに硬いの!?)
いつも食べているチョコは、とても口溶けがよく、口に入った瞬間に、甘い香りを発しながら溶けだすのだ。
しかし、このチョコは、全くそんなことはなく、しかも、カカオの深みのある甘さというよりは、クドく甘ったるい味がした。
ちなみに、結月は勘違いしているようだが、一粒100円ではなく、一袋100円(12個入)の間違いだ。
(っ……やっぱり私のこと、嫌いなんじゃないかしら?)
チョコの独特の味を感じながら、結月は眉を顰める。
これは、確実に嫌がらせだ。でなくては、わざわざ、お嬢様にこんな硬くて不味いチョコを渡したりしない!
「ん……」
だが、その硬かったチョコレートは、口内の熱により、ゆっくりと溶け始めた。
舌の上に感じる甘さは、次第に口の中いっぱいに広がって、その独特の甘ったるさは、いつまでも口内にとどまった。
口溶けも悪いし、香りもないし、普段食べているチョコとは、格段に劣る。
だが──
(………なぜかしら。これはこれで、美味しいかも?)
執事からもらったチョコレートの味は、ひどく甘くて、そして、不思議と
──懐かしい味がした。
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