第4話 愛しい人
「お嬢様。今日から、新しい執事が来るそうですね」
学校が終わった四時すぎ、結月は、走る車の中で運転手の男と話をしていた。
「そうみたいね。斎藤は、もう会ったの?」
「いいえ、私もまだです」
ハンドルを握りながら返した男の名は──
濃紺のスーツをスマートに着こなしたその男は、英国紳士を思わせるような、老成した品のいい顔をしていた。
少し白髪混じりではあるが、今年59歳になる斎藤は、結月が産まれた時から、この屋敷に仕える一番の古株だった。
ずっと結月を学校に送迎し、こうして見守り続けてきた斎藤は、結月にとっては、実の父以上に、父親らしい存在だ。
「ねぇ、その執事は、どんな方なのかしら?」
「確か、年齢は20歳と聞いております。あとは、イケメンだとかなんとか、相原と
「……そう」
「心配ですか?」
「少しだけ」
「大丈夫ですよ。もし、また
「ふふ」
バックミラーごしに斎藤がそう言えば、結月はくすくすと笑いだした。
だが、彼はいつしか、結月に主人に向けるものとは違う感情を抱いてしまったようだった。
そして、それは、結月にとって、とてもショックなことで──
「ありがとう、斎藤。頼りにしているわ」
✣
✣
✣
──コンコン!
「はい」
燕尾服に着替えた後、レオが自室で矢野を待っていると、突然、扉をノックする音がした。
レオは、すぐさま返事をし、扉を開ける。
するとそこには、メイドの恵美が立っていて、レオは小さく首を傾げる。
「相原さん。いかがなさいました?」
「あ、えと……先程、お嬢様が学校から、お戻りになりまして。それで、その、一緒にお部屋まで、ご挨拶にと」
「あぁ、そうでしたか。ですが、お嬢様へのご挨拶は、矢野さんと一緒に伺うことになっていますが」
「あ、それが……実は、先ほど別邸から電話があって、矢野さん、今、立て込んでるんです。だから、私が代わりに」
「………」
その言葉を聞いて、レオは一瞬考え込む。
"別邸"とは、お嬢様の両親が暮らしている屋敷のことだ。そこからの電話となれば、きっと早急に対応しなければならない重要事項だろう。
「そうですか。では、相原さんは、矢野さんのお手伝いをしてあげてください」
「え?」
「どのような要件かは存じませんが、別邸からのお電話なら、旦那様からのご命令も同義。ならば、メイドが一人で対応するより、二人で早急に終わらせた方が宜しいでしょう。ですから、私のことは気にせず、お嬢様へのご挨拶なら、私一人でも十分ですから」
ね?──と顔を近づけ綺麗に微笑めば、恵美は一気に顔を赤くし、着ているメイド服の裾を、ぎゅっと握りしめた。
「は、はい! そ、そうですよね! わかりました!!」
すると、まともに顔を合わせられなくなったのか、恵美はパタパタとかけだし、レオは、さっていく恵美の後ろ姿を見つめ、ニコリと微笑む。
(むしろ、邪魔者はいない方がいい……)
久しぶりに『結月』と再会する。
ならば、二人きりの方が、なにかと都合が良かった。
どうやら神は、自分に味方しているようだ。
レオは、すぐさま部屋に鍵をかけると、その足で本館にある、お嬢様の部屋に向かった。
室内廊下を渡り、別館から本館に足を運ぶと、白い壁に赤い絨毯、広々としたその廊下を進み、階段を上る。
すると、その先に、お嬢様が使う部屋があった。
美しく装飾された両開きの扉が、愛しい人との行く手を阻む。
だが、レオはあくまでも冷静な面持ちで、その扉の前に立つと、
──コンコンコン
と、丁寧に扉を鳴らす。
「はい」
すると、中から、聞き覚えのある女の声がして、レオは、そっと目を閉じた。
それは、確かに、"阿須加 結月"の声だった。
あの頃からすると、大人びてはいたが、それはレオの記憶に残る声と、なんら変わりのない──優しくて、穏やかな声。
「失礼致します」
早る気持ちを押さえながら、レオは、その重い扉に手をかけた。
ガチャ──と、静かに扉が開く。
すると、その瞬間、窓際にたつ、結月と目が合った。
春の木漏れ日が優しく室内を照らす中、その光に包まれるように浮かび上がった姿は、まさに、レオが長年思い続けた『愛しい人』だった。
優しげな瞳に、ほのかに茶色がかった黒髪。
あの頃よりも伸びた髪は、窓から流れ込む風に
レオは、結月から目をそらすことなく、部屋の扉を後ろ手に閉めると、その足を一歩踏み出した。
コツコツと靴の音を響かせ、部屋の中を移動する。
普段よりも早い自身の足取りに、どれだけ彼女に会いたかったか、それを否応なしに気づかされた。
できるなら、今すぐ抱きしめてしまいたい。
だが、そんな気持ちを必死に押さえ込み、レオは結月の前に立ち、その姿を、改めて目に焼き付ける。
(やっと……)
──やっと、会えた。
目の前には、ずっと会いたいと願っていた
あの頃と変わぬ雰囲気を宿した──愛しい人。
変わらないでいてくれたことに安堵し、そして、女として美しく成長したことに、男として一つの興奮を覚える。
「……綺麗に、なったな」
結月──そう、名を呼びかけて、咄嗟に言葉を噤んだのは、今の自分は執事、その自覚があったから。
だが、囁くように放ったその言葉は、紛れもないレオの本心だった。
綺麗になった。
あの頃よりも、一段と──
すると、レオを見つめ、結月がふわりとほほえんだ。
それは、待ち望んでいた瞬間だった。
胸が熱く高鳴り、レオは、その頬に触れようと、そっと手を伸ばす。
だが──
「あの……どこかで、お会いしたことがあったかしら?」
「え?」
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