第二十二話 一つ目の幕引き
「ふは……」
会場の一角に、男の笑いの声が漏れる。
つい出してしまったというようなその声は、
「ふはは……!」
次は少し大きく、
「ふははは、はははははは、はーっはっはっはっはーーー――!!」
――そして次には大音声となって、会場全ての観客に届くほどの笑い声が盛大につんざく。
その声の主はヘイツ。
「無様だなお前、あまりにも無様だ!
そんな有り様で何が許さないだ! 何が罰を与えるだ!
いくら二つ名を持っていようが所詮、お前は神に選ばれた我々貴族の足元にも及ばない存在なのだ!」
そうやって指を指す先にはディーチモによって作り出された土壁に埋まるようにして踞るネルスの姿があった。
意識がないのかピクリともせず、壁に刻まれた蜘蛛の巣状の亀裂がどれほどの威力で叩きつけられたのかを物語っている。
彼は先ほどまで後一歩というところまでヘイツへと差し迫っていた。
連続の風の刃もものともせず、一歩一歩確実に近づいていく姿は正に威風堂々といったもの。
しかしそれはこのヘイツという下衆に下手な時間を与えることに等しかった。
一時、ほんの一時だけ発生させた突風がネルスをその場に押し止めた。その間にヘイツはある物を
取りだし中の液体を飲み込んだ。
――その効果はすぐに現れ、かつ、とても強力だった。
「いいか、魔法士にとってもっとも大切なものは何か教えてやる!
それはな――力だ!
それだけが、それのみがこの世で最も正しいの真実なのだ!
どんな道理をも越える唯一絶対の法則だ!
その真実を前に、弱者はただ頭を垂れるしかない。それを理解できないような奴はな……”愚か者”というのだよ」
ひょろい痩身だったヘイツの体は分厚い筋肉に覆われ、骨格すら変貌しその身長は元の倍になるかというほどに。
服も破け腰布だけになったヘイツだったがその体格に相応しい剛力にもって放った一撃は簡単にネルスを殴り飛ばしたのだった。
「俺には力がある、お前を遥かに越える力だ! あの女など歯牙にも掛けない力がある!
その俺に逆らうことはこの世界の法則に反逆することと同じなのだ!
そのようなことは――絶対に――許されない!!」
彼が飲んだのは増強薬と呼ばれるもの――ここまで体格を変化あせるものとなれば禁制品であることは確実。
体への負担を度外視し、その結果みなぎる力によって全能感を味わっては興奮しっぱなしのヘイツはその感情のままに喋り続ける。
「試験のルールなど知ったことか! この沸き上がる怒りはただ勝利するだけでは収まらないっ……!
お前にはこの俺の最大魔法で、永遠に再起できないほどの傷を負わせてやろうぉ!」
これまででは考えられないほどの魔力がヘイツの頭上へと集まる。これもまた増強薬の効果であり、後のことなど考えていない強化によるものだったがこの時のヘイツにそんな考えなど存在していなかった。
あるのはただ、この強大な力によって気に入らないものを壊す――ただそれだけ。
「《突撃する逆巻きの剣風》――死ね。
このっ……クソ平民がぁあああああ!!!!!!!」
そして放たれた魔法は横を向いた竜巻を思わせる形状の、その実態はそんなもの目ではない程に凶悪な――刃の群れ。
回転しながら前進するそれは動かない的――ネルスへと蛇行しながら迫り、そして何の躊躇もなく彼を飲み込んだ。
その威力は凄まじく、壁を破壊してなお足りないと言わんばかりに観客席の方まで伸びていく。
幸い教師が張った魔法によって守ったが、それがなければ何人もの生徒が巻き込まれていたことだろう。
「――ふふ、跡形もなく消え去ったか。流石は禁制の増強薬だ、この俺の力をここまで高めてくれるとは、これさえあればこの学園の頂点に君臨することの夢ではない」
刃の嵐が吹き荒れた後、風穴の空いた土壁だけが残る壇上で、自分が成したことの結果に酔いしれるヘイツ。
気の緩みからか迂闊な台詞がつい漏れるが、それもいいかと開き直る。
そうすればガルドルフの影に隠れる必要もなくなる。もうあいつの顔色を伺う生活ともおさらばだ。
「そうだ、最初からそうしていれば良かったのだ。そうすればこんなところではなく、もっと相応しい場所にいられる。
そう! 俺は男爵の地位に治まる人間ではない!
この力でもっと、もっと上へと登り詰めるのだ。
最強はこの俺だ――ふふ、ふはははははあはははは」
会場に響き渡る高笑い。
そのあまりにも身勝手な宣言に誰もが顔を潜めていたが、暫くするとそれも徐々に別のものへと変わっていく。
ざわめきは一定のところに達したところでその原因がぽつり、目の前の人物へと話し掛けた。
「――どうした、何がそんなに面白いんだ?」
「はははは、は……?」
ありえないその声に思考が止まる。
この声の主は確かに自分が打ち倒したはずだ。風の剣の猛撃によって、魔法具の防御ごとその体を塵にしたはずだ。
それなのに――
「なんだ? もっと笑っててもいいんだぞ? 待っておいてやるからさ」
そこには。
魔法薬によって体格を膨らませたヘイツの高かった目線の先には。
「――よう、何かいいことでもあったのか?」
――土の汚れ以外に傷一つない姿の、平民ネルスが立っていた。
いつの間にか低くなった視界。
憎い敵と同じ視点の高さにまで戻っていることもそうだったが何よりも、その相手が自分の魔法を受けたような痕跡がこれっぽっちもないというその事実に、ヘイツの頭は疑問で埋め尽くされていた。
「ば、馬鹿な……ありえん。
逃げるような素振りもそもそもの逃げ道もなかったはずだ!
なのにどうしてお前はっ……五体満足でいられているんだっ……!?」
確実にやった――その手応えがあっただけに、その疑問は分厚くヘイツの前へと聳え立っていた。
あまりにも不可解な状況に彼の頭の中で”何故?……”という言葉が幾重にも重なっていく。
思考停止したヘイツのその様子を見て、ネルスは自分勝手に話を始める。
「――確かにお前の攻撃は大きな脅威だった。風の刃は速いせいで簡単には防げないし、いきなりデカくなるしで拳は受け止めるのが精一杯だった」
そのせいで若干腕が痺れてる――ヘイツの豪腕による打撃を防いだ右腕を掲げていっているが、一見すればそんな不調などないかのように見えるほど。
「まあ、これも師匠との修行の成果だな。
さっきのよりも遥かに強力なのを日常的に食らってなかったら絶対に受けきれてなかった、流石に高価な魔法薬なだけある。お前、よっぽど怖かったんだな」
言葉の端々に感じる嘲りの感情。自尊心を傷つけるそれに自然と頭に血が昇ってくる。
「犯行を自分よりも立場の弱い者に任せるような小心者のことだ、麻痺薬とは別の手段を用意していると確信していた」
――そして案の定、お前はその手段を使った。
そう言われ思考の渦に囚われていたヘイツの頭は瞬間的に怒りの感情に塗り潰された。
顔が一気に朱に染まる。
「この俺を侮るかっ!! 小汚ない平民の分際でこの俺を、この最強の俺様をっ!!
たかが一撃凌いだ程度でもう勝った気でいるようだが、そんなもの仮初めのものだとすぐに思い知らせてやるっ……!!」
怒髪天――沸き上がる魔力をかき集めもう一度さっきの魔法を発動させようとするヘイツ、ネルスはそれを哀れなものを見るような目で見下ろしていた。
「まだ気付いていないのか?」
「はっ! その余裕面もここまでだ!
さっきのは距離があったから逃したかもしれんが今度はそうもいかん!
この至近距離からの攻撃だ、基本四属性において最速を誇る風魔法をお前のその傷ついた足では逃げることはできないことは知っている!」
勝ち誇り、魔力を頭上へと集めるヘイツ。
「俺の勝ちだ! 食らえ平民の屑がっ! 《突撃する逆巻「ふんっ!」――ぐぎゃぁあ!!」
自信満々で魔法を唱えようとして……それを顔面への一撃によって容易く阻まれた。
――そう、ネルスの蹴撃によって。
「がはっ……おぁは……!!」
全くの予想外なその一撃によってヘイツの視界は途端に歪む、顎に綺麗な軌跡を描いて叩き込まれたその蹴りはヘイツの強化された肉体の強度を容易く上回る威力で骨を砕き脳を揺らした。
「はへ、へは……?」
「自分の状態を認識していないとは、お前は本当に魔法士の風上に置けない奴だ」
ユラユラとする感覚が痛みと共に思考を支配する。まともなことが何もできない。
「僕が何だと名乗ったかもう忘れたか。師匠から与えられた二つ名――『
何を言っているんだ――分からない――俺は今どうなっているんだ――?
混濁する意識。だが何となく、嫌な感じがする。これまで築き上げたものがガラガラと崩れていくような、そんな幻聴だけがしっかりと聞こえてくる――!?
「――お前が高笑いをしている間に、足元へと泥沼を作っておいた。そして魔法が発動するのに合わせて石畳ごとお前を飲み込ませたんだ――その底無し沼にな」
「は、はかな……」
無意識で出たのはそんな言葉。
ここまでの変化に何故気づかなかったのか。歪む視界と混乱する思考ではその答えなど出るはずもなく、ただネルスの声を聞き流すだけとなったヘイツにはもう、出来ることなどなかった。
「お前が使ったその増強薬、どうやらいくつかの感覚が鈍くなるようだな。そのせいで本来なら感じるはずの泥の感触に最後まで気づかなかった」
そして一番の敗因を語り終えたネルスもまた、これ以上は意味がないことを悟り、構えた。
この一連の、くだらない私心のために起こされた事件に終止符を打つために。
”ギチリ”……下半身へと力を込める――
「沈んでろ――策を弄したお前に、相応しい負け方だ」
そして一息に跳躍――高々と掲げた右足は天へと真っ直ぐに伸び――そして鎌を思わせる軌道を描いてヘイツの脳天へと突き刺さり、会場中へ鈍い音を響き渡らせた。
既に脳を揺らされていたヘイツはこの一撃によって完全に意識を絶たれ、白目を剥いて沼の底へと
落ちていった。
その姿はヘイツが思い描いていただろう――何とも無様な姿であった。
「精々そこで反省してろ、お前が傷つけた人たちへの謝罪を考えながらな」
そういって、自分の中の憤りを発散させたネルス。久しく感じていなかった疲労感が体にまとわりつき、魔力の消費による頭の痛みを首を振って誤魔化す。
試験は終わっていない、まだ続いている仲間の戦いへ目を向けようとして――
――恐ろしい勢いの熱波に襲われたのだった。
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