第九話 傷跡
「で、あれは何?」
ガルドロフが去った後、思いがけずずり落ちてしまったズボン。
露になってしまったのは僕の下着だけではなく――隠しているつもりもなく、さりとて自分から明かすつもりもなかった古傷。
集まる視線と無言の主張に居たたまれなくなった僕たちは足早にその場から逃げ、人目のつかない校舎の一角に集まっていた。
「あー……言わなきゃだめですかね?」
そして僕は険しい顔をしたレイシアに壁際に押し込まれていた。
首の辺りの服を掴まれまるで詰問でもされるようだったが、僕としてはまずはこのズボンを何とかしたい。たぶんだけど取り巻きの魔法が防がれた際に断片が上手いこと腰紐を切っていたのだと思う。だからそれを結び直す時間がほしいのだが、それを待ってくれそうな様子はどうも感じられない。
腰紐を引っ張ってズボンを落とさないようにする。
「当たり前でしょ! むしろどうして言わなかったのよ!」
彼女がこうも激するのは先程の自分の行動によるものだろうか。
足の遅さを理由に僕を叱りつけたことに今さらながら後悔でもしているのだろうか、そんな風に彼女の苛立ちの原因を想像する。
――こういう反応をされたくなかったから黙っていた、そういっても納得するだろうか?
そんな、これまでこの傷を見て感情的になってきた人たちのことを思い出し、いいやとそれを拭う。
「言ってどうにかなる問題ですか?」
話すべきだと思う、その反面出てきた言葉は突き放すようなもので。腰紐を引っ張る力だけが何故か強くなる、少しだけ痛くなる肌の感覚が余計に感じられた。
「そんなこといってるんじゃないわよ!!」
強まる首の閉塞感。
じゃあ何が言いたいのか。
どんなことを言えばいいのかと。
そんな下らない疑問をしかし、彼女は次の言葉で吹き飛ばした。
「――仲間でしょうが!!」
……ッ!?
胸が詰まるような感覚があった。
それまで頭にあったものを殴って空にでもするような衝撃。
「何を馬鹿な」
それでも経験が勝手に口を動かす。
「仲間なんていうのは今回限りのことでしょう? そんな人にあれこれ話さなきゃいけない理由がない」
止めろと頭のどこかが叫ぶ。
それでもなお吐き出したりない感情が心を動かす。体を動かす。
鼓動が意味もなく速まる。
「第一、理由を知ってどうなる? 僕のこの傷を知ってあなたになにが出来る?」
呼吸が荒くなるのを感じる。
目の奥が熱い。
記憶が遠くのそれを呼び覚まそうとしているようだ。
「――目を逸らすなっ!!」
「……――ッ!?」
その声に、飛ばしかけた意識が現実に戻ってくる。
紅い瞳だ。ただ真っ直ぐとこちらを見ている。
レイシアが首元に突き出した腕を、ユーリがぴたりと握り止めている。
「落ち着けって大将、そう怒んな」
「私が!? このレイシア=スカーレッドがこんなことで怒ってるとでも思ってるの!?」
「ああ十分怒ってる、だから一旦頭冷やせって」
そういってレイシアを宥めるユーリは次に僕へ向けて言う
「なぁネルス、大将の言ってることももっともだ。確かにお前からしたら語るのなんか嫌な話だろうがよ、例え今回限りかもしれないとは同じ試験に挑む仲間なんだぜ」
その視線に、語るまいと決めた決意が揺らぐ。
肺に溜まる息を吐く。
そして僕は語り始めた。
◇
僕のこの怪我を負ったのは、故郷の農村で暮らしていた頃にまで遡る。
なんていうこと村だった。
森の近くにある村で、芋や葉物なんかを育ててそれを売り生活をしていた。
僕の家もそんな農家の一つ、農夫の父と母がいる普通の家族だった。周りもだいたいそんな感じの家ばかりで、その家の子供も僕と同じような普通の奴らだった。
そう、全部だった――今はもう過去形だ。
あの日――僕らの日常はなくなったのだから。
「森から――魔物が出てきた」
とんでもなく凶悪で、そいつに対して僕たちは余りにも無力だった。
獣の体に鳥の翼、尾に蛇を持つまさに怪物。
雷撃を使う一瞬で何十という人を焼き殺した。
本来であればあんなところに出てくるはずはない存在がどうしてこの時に限って僕らの村に来たのか。そんな疑問を思う時間もなく、弱者だった村人はただ蹂躙されるだけだった。
「詳しいことは覚えてない。
空から襲いかかってきた魔物が光ったかと思えば、気付いた時には一週間も経ってたから」
家屋の残骸から見つかった僕は魔物に死んだと見られていたようで放っておかれていたらしい。
そのことを魔物を討伐に来た魔法士の一団から聞き、実際に崩壊した村を見て、それでようやく僕は何があったのかを理解した。
そして僕は――村で唯一の生き残りになった。
衰弱の激しい僕は魔法での回復も受けつけず、処置が遅れたせいで左足には消せない傷を背負っていくことになった。
「まあ、その一団に参加していた師匠に拾われて僕は魔法士としていきることになって、それで今はここにいます」
だがこれは、どこにでもある物語だ。
こんなのは今の世界どこにでもある、僕だけが特別じゃない。
「それだけです、話にしてしまえばそれだけのことです」
そうだというのに、この話をすることで、変わる視線が嫌だった。
「でも言ってしまえば、明かしてしまえば僕を見る目が変わる。
運よく生き残っただけの僕にそれ以上のものを見ようとする。
まるであの時死んでしまった村の人たちを背負っているかのように僕のその先の生き方を語る。
出来るわけがないことを、さも努力すれば達成できるかのように語る。
それが嫌だから、嫌で嫌で仕方ないから、僕はこの話をしたくありませんでした」
それでも。
それでも簡潔にだが、言うべきことは言い終えた。
語るべきことは語ったのだ。
「――言いたいことはそれだけ?」
だと、いうのに。
「そう、分かったわ。
そういう過去があんたにあったってこと。
でもね、そんな凡人がいうことを、この私も言うとでも思っていたわけ?」
何故、この人は。
「なら、思い違いも甚だしいわ!」
その真っ直ぐな目で僕を見るのだろう。
「確かにあんたの過去を聞いて変わる心はある。
でもそれはね、可哀想だとか無責任に前を向けだとかいう、そんな軟弱で薄っぺらいものじゃあない!」
晒したはずだ、過去を、弱さを。
なら目には宿るはずだ、あの色が、感情が。
だというのにどうして彼女はこんなことを言うのだろう、どうして彼女の瞳は――
「――ありがとう、私ツいてるみたいね」
――こんなにも美しいのだろう。
彼女は笑った。
笑ってそういった。
居ただろうか、今までの人たちの中で。
少なくとも、師匠もユーリも、ここまでではなかったはずだ。
こんな反応をする人はいなかった。
「実はこのチームで勝てるかちょっとだけ不安だったのよね。だってあんたたち思ったよりもへなちょこだったから。でもこれではっきりしたわ、あんたみたいな幸運野郎がいるんですもの。お陰で心配する必要はなくなった、安心して後ろを任せられるわ」
だからだろうか。
「それだけよっ!
私があんたの話を聞いて言うことはそれだけ!
まったく男がそんなうじうじすんじゃないわよもう……」
この現実を受け止められず。
彼女の言葉に上手く答えられず。
「何してんの、話は終わったんだからさっさと訓練場、戻るわよ」
それだけ言って彼女はあれだけ強く掴んでいた襟を手放し、何も言わせず颯爽と歩き出していくのを黙って見ていることしかできなかった。その背中に何故か眩しいものが見えるような気がして目が離せなくなる僕。
「なあネルス。
案外うちの大将、器がデケェのかもしれねぇな」
「……」
ユーリのその問いかけにも答えられず。
僕はもう一度彼女に声を掛けられるまで、そこから動くことができなかった。まるで太陽のような彼女の輝きに、魅せられてしまったせいなのかもしれない。
ただ、この鼓動の高鳴りだけは今までと違うものなんだと感じる。
何となく、それだけは分かった。
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