第六話 無形の魔法

 ――僕の体に突き刺さって……いなかった。


 レイシアが放った魔法の刃はその鋭さと熱量を届かせることなく、僕の手前でしっかりと受け止められてしまっている。

 それは茶色い不定形。

 上半身を覆い、地面に滴るそれに絡め取られ無力化されていた。


「それは……」

「身を守るのは、得意なんでね」


 ――まあ、出来ればやりたくはなかったですけど。

 内心でそんなことを思っているとは露とも知らないレイシアはこんな風に自分の攻撃を防がれるとは思っていなかったのか、分かりやすい困惑を顔に浮かべている。


「どうなってんのよそれ」

「どうって、僕の魔法ですよ」


 そういって炎で出来た刃を飲み込むように動かしてみせれば嫌悪感丸出しといった感じでこの物質を睨み付けている。その間に刃を全て包み込みませさも当然というようにこれを消滅させた。


「……とんだ詐欺師ね――思った以上に面白い奴じゃない」

「いや、そこで目を輝かされても困るんですけど」

「でもそれだけじゃあ……ないんでしょうッ……!!」


 こっちの対応に興が乗ったのか更に本数を増やしてもう一度攻撃を仕掛けてくる。今度は時間差に加えて周りを包囲するように展開させ、意識を散らして防御を抜こうをしてくるところは流石に上手いと言わざる得ない。


「――《泥の泉》」


  だからこそ――こちらも新たな手で対処する。

 

 

 話に割り込むような形で始まった今回の手合わせ。

 戦況は予想していた展開とは違ったものになってきている。

 炎刃を展開させ手数による攻撃を仕掛けるレイシアさん。

 それに対し周囲を泥の沼に変え防壁のように扱うネルス君は泥の壁を周囲で蠢かせながら襲いくる刃の群れを払い除けその接近を許さない。

 すぐに勝敗が決まると思われた二人の戦いは自然とその壁を彼女が如何にして抜くかどうか、逆に彼がどこまで彼女の攻撃を凌げるかといったものへとなっていく。

 目の前で行われている後輩たちの年に似合わない巧みな応酬を見ながら私――マリアネッタ=ジェイドはこの興味深い戦いに立ち会えた幸運に感謝していた。

 特に私が注目したのはネルス君、彼が操る魔法についてだった。


「水と土で生み出した泥か……」


 珍しい。

 これは本当に珍しい。


「私たち魔法士が扱える魔法の属性は六大神の加護の影響で地水火風の四つに光と闇の二つを加えた基本六属性。中には取り戻した神格の影響でこれに含まれない希少属性に目覚める者もいるけど……《複数持ち》はこれを越える珍しさね」


 二つの属性を生まれた時から所持しているなど、その希少性は正直一言で言い現せるものではない。貴族でだってその存在が明らかになっている者は両の手で足りるほどだろう。

 しかも彼は単純に属性を二つ持っているというわけではなく、それを掛け合わせどちらもの特性を有するものとして扱っている。

 これは初見で攻略するのは骨が折れるでしょうね。

 レイシアさんも戦いながらそう思っているはず、楽しげな顔の裏にある焦燥が影響し無茶な攻撃を繰り返してしまっているわ、あれではいずれ息切れしてしまう。

 それを狙っているのかあくまで防衛に努めるネルス君は、時に壁の動きにわざと隙を作り出すことによって相手の狙いを誘導し、そこを攻めた炎刃を取り押さえることでを確実に彼女の魔力を削り取っていく。

 最初からこの展開を想定していたとしたら大した戦術眼だと言わざる得ない。


「これは思わぬ掘り出し物を見つけてしまったかも」


 掛け金の銀貨に何枚か銅貨を足そうとしたらその一枚が建国記念の物だったかのような奇妙な高揚を感じていると背後から私の支持者という少年が声を掛けてくる。


「先生、俺の友人も中々のもんでしょう?」

「ええ、想像以上だわ」

「よっし!!」


 あけすけな感情を向けられて嫌な感じがしないのは彼の人間性によるものだろうか、あれね、家で飼っている犬を思い出すわ。褒められて喜ぶところなんかそっくり。

 そんなことを考えている思考の端で、どこか目の前の彼に対する疑問が膨らんでいくのを感じる。

 違和感とでもいうべきそれの答えを探すように、二人の戦いへと意識を集中させる。

  決着は、もうすぐ――


 

「このッ……鬱陶しい!!」


 ここまで消した刃はおよそ四、五本ほど、その度に補充を繰り返した彼女の顔は険しい。恐らく魔力の残りが乏しいのだろう、周囲を動き回ってこちらの隙を作ろうとして体力も消耗している。

 青い顔を汗が滴り落ちて、息も上がる寸前だ。

 苦しそうである。

 辛そうでもある。

 しかしそれ以上に――


「くっそ楽しそうだなこの娘」

「なんかッ……言ったかしらぁあ!!」


 ――めっちゃ笑顔なんだよなぁ……。

 まるで戦闘狂かと思ってしまうが、瞳の輝きを見ればそういう殺伐としたものを宿していない一目瞭然である。

 あるのは高揚感、目の前の相手をどうやって倒すのかを全力で楽しんでいる。


「そこッ!!」


 そしてその情熱は確実に僕の魔法を凌駕し初めていた。

 泥魔法泥の泉――周囲の地面を泥化させ操る僕の魔法。

 攻撃力こそほぼないが、相手の攻撃を防御したり直接拘束したりと何かと便利な魔法だが、それをもってしても彼女を捕らえることは出来ない。

 捕らわれる寸前の炎刃をまた別の炎刃で押し退け挙動を変える、突き刺す動きを見せたかと思えば急停止しその場で回転してこちらの魔法を切り飛ばすなど、新しい動きでこちらの狙いを避けてみせている。

 この短い時間で凄まじい対応力だ。

 これは……ちょっとまずいかも。


「だったら」


 このまま行けば突破される、それならばと僕は地面に両手を着き発動させている魔法へ更に魔力を注ぎ込んだ。それによって周囲を取り巻く泥の壁は身の丈を越える高さまでブクブクと膨らんでいく。


「《氾濫する泥の泉》――!!」


 そして臨界に達した瞬間――それは弾けた。

 まるで皮袋に入れすぎた水が縫い目を引きちぎってみせるように。

 やったのは単純な増量。

 産み出された大量の泥は巨大な高波となり、分厚い壁が幾重にも層となって彼女に迫る。


「速いッ?!」


 勿論それだけではない。

 増加した質量が重力に従って地面に叩きつけられているのだ、自力での操作にその力が加えれば素早い彼女の退路を塞ぐ程度の速度は出せる。

 この魔法の前では範囲の小さい彼女の炎刃では対処がしきれず、徐々に訓練場の端の方へと追い詰められていく。それでも諦めずに周りに配置した炎刃で範囲に入る泥を消し飛ばしどうにかそれ以上の侵入を許さないようにはしている。

 しかし、


「捕ったッ!!」


 これでもはや退路はない。

 身の回りの最低限の泥だけ残し他全てを泥壁へ投入し彼女が処理しきれないほどの物量でもって勝負を決めに掛かる。学舎の二階にまで到達しようかという高さに達したその壁は地面に大きな影を落とし、後はそのまま彼女を押し潰すだけ。


(泥まみれになって恨むなよ)


 心の中でそう呟き、とうとう壁を崩落させる。

 その瞬間だった。


「――……ッ!!」

「なッ!?」


 膨れ上がる魔力の反応、相手の姿が見えないことが仇となった。

 厚い防壁を貫いて姿を現したのは紅い杭のようなもの、あまりにも速いそれに反応が遅れ泥の防御も追い付かない。

 胴体に真っ直ぐと迫るのを加速する思考だけが追い続け――


「――それまで!!」


 ――そこでようやく判定が下った。


「せ、んせい……?」

「流石にこれは、ちょっとやりすぎね」


 掛けられた声に返事ができない。

 目の前には炎の杭、触れれば火傷では済まないだろうものが拳半分ほどの距離を残し完全に停止している。何本もの鎖に飲み込まれるよな形でその場に留まっているがこんなものが自分に向けて飛んできたことに今さらながら思考が追い付きどっと冷や汗が吹き出す。


「うお、ぉ……」


 それと同時に腰が抜け地面に体を投げ出す。魔法の維持もできなくなって辺り一面に泥の残骸が力なく広がっている。


「あ……」


 その先で、

 彼女は、

 やっちゃったなぁ、という感じでこっちを見ていた。

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