第6話 準備

「ほら、これ見て」

 眞紅の前にあったディスプレイをクレイドの前に戻してやると、彼はじっと画面に映る文字を目で追いかけ、本日数回目の沈痛な面持ちを披露する。

 二人の様子に訓練生達も異様な空気を感じ取ったのか、代表してエルデが恐る恐る尋ねる。

「どういうことですか?主都への帰還では?」


「試験開始後に山でレムレスの繭が発生したんだ。羽化する前のあれね。

 ゼヌシージ濃度が一気に上がって通信障害が起こり、帰還命令が受信出来なくなっていた。だから近隣の執行官はそれぞれのグループに接触して連れ帰っていた。

 クレイドが村を見に来てくれていたのはそういうことだった、と」

 そこまでは理解した、と四人は口を挟まない。それを確認してから話は続いた。

「お前らは四人全員怪我していない成績上位者のグループだってことで、執行官のサポートをさせられるみたいだ。レムレスは執行官に任せて、陣営の設営とゴレム退治とその他必要な雑務だけね」

「ま、繭……授業ではやりましたけど……」とリャンがひきつった顔を見せた。

「繭の時は動けない。羽化したら大変だけど通常のレムレスより弱いから倒しやすいんだ。つまり危険は少ない。今日発生した繭なら羽化する可能性は低い」


「サポートはいらない」とクレイドは冷たい声で言い放った。元より突然の指令に緊張していた訓練生達は、身体をびくりとさせて驚いた。

「役立たずに前線に来られても邪魔なだけだ」

 ついさっきまでの、どこかいじりやすいコミュ障のクレイドさん、ではない。いくつもの死線をくぐってきた一級執行官がそこにはいた。

 射殺す、という表現が似合う鋭すぎる濃紺の目に怯える教え子達を横目に、眞紅はケロッと、

「でも命令なんだもん。訓練生でも公務員相当の責任があるのが退魔士だし」と答えた。

「お前は教官だろう」

「そう、教官だからこれからのこいつらの人生のことも考えてやんなきゃいけない。あんたが全員の命令違反をもみ消してくれるのか?

 悪いけど、そんなに弁が立つタイプじゃあないだろあんた。あんたの指示で逃げ帰りました、の後はどう責任とってくれるんだ?この子達のキャリアを潰す気か?」

 眞紅がころころと表情を変えながら早口でまくしたてると、クレイドは見るからに劣勢に陥った。

「俺の勝ちだろ」と四人に聞こえないように眞紅は茶目っ気たっぷりに囁いた。

 クレイドは長考に長考を重ね、眞紅の言い分を論破出来ないことを思い知ったようだった。


「…………………………前に出るなよ」


 地獄から響いてきたような、恨みがましい声だった。

「出さないよ。決まり!出発するぞ」

 クレイドは移動を始めた。一歩一歩がやたら大きいためあっという間において行かれそうだ、と四人は彼の少し後ろを行く眞紅の後をついていく。

「……あたし、もう一つあの人の二つ名知ってる」

「俺が今考えてるのと同じじゃありませんように」

 リャンとアフマドが、前を行く大人達に聞こえないように小声で話し出した。

「なに?まだなんかあんの?」

「死神、ってやつかしら。それなら聞き覚えがあるのだけど」とエルデが答えた。

 二人は言いづらそうに首を縦に振る。

「バディ組んだ奴とか同じ作戦に参加した奴が次々死ぬらしいんだ」


「レムレス退治に犠牲はつきものっしょ」

 アミティエはあっけらかんと言った。「死ぬくらい弱かったらそりゃ死ぬよ」と更に付け足す。

 そういった考え方が影響してか、彼女のギフト『人よきざはしに成り果てよアセンション オブ メタトロン』は、常に発動している身体強化能力である。腕力と脚力と跳躍力が強くなって防御力も高くなるシンプルな力だ。単純に自分が強ければどうとでもしてみせる、という彼女の豪放な気性とよく合う能力だった。

「そうね。それに常に勝ってきたなら、死者に注目されるのもわかるわ。負けて全員死んでしまったらわざわざそんなこと言われないと思うもの」

「生き残って勝ち残ってきたからこそ、そんな文句をつけられるってわけか」

「……そうだといいけど」


 全員本気で死神を信じているわけではなかった。漠然とした不安が不信や恐怖を呼び込むと分かっていても、わかりやすい異分子であるクレイドに疑心を向けて、自分から気を重くしてしまっていた。

 四人の足取りが重いことに気付いてか、眞紅は少し立ち止まって四人を振り返る。

「そんなビビることないよ、後衛だって」

 眞紅はそう言って教え子達を励ますが、彼らは自分達がいつかは体験することであっても、今はまだ避けて通れるはずの道に自らの足で向かっていることに気が付いていた。


 森の中の指定ポイントへ行くとフォリー指導教官率いるグループと、二人の執行官がいた。フォリーはこちらを見て手を振った。

 いつもと同じ落ち着いた雰囲気に眞紅自身が救われた気持ちになった。彼もまた呼吸に余計な力が入るほどには神経をすり減らしていた。

「無事で何よりです」

「こっちのセリフだよ。その恰好から見るにまた死にかけたんだろ。この子らが可哀想だ」

「まったくですよー!」とアミティエは口を挟みながら、フォリーといた四人の同級生に手を振る。制服が土や砂で汚れているだけで全員傷一つない。向こうも見知った顔が一気に増えて嬉しいと言わんばかりに手を振って返してきた。

 エルデはチラリと同級生らが見ていた、森を抜けた先を確認する。前方五十メートルほど離れた荒野には真っ黒に輝くもやの塊のようなものがあった。


 それが繭である。中には羽化を待つレムレスが眠っている。


 村の近くよりはまだ緑が生い茂る地域であるというのに、繭の周辺だけは草の一本も生えていない。その乾いた土の上に黒い靄からしずくが落ちた。黒く濡れた地面の表面がごぽごぽと膨れ上がり、水の中からあがったように、土人形が姿を現した。また新しいゴレムが生まれたのだ。

 今はまだ黒いもやはレムレスを守りゴレムを生むだけである。だがヴォイドに進化したレムレスは、それを零烙という粘度の高い液体として自在に操る。そして零落で自らの願いが叶う小さな世界を作ろうとするのだ。

 QUQで資料を見ていた執行官の一人が顔をあげると、クレイドを指さして「あー!」と叫んだ。


「お前、マウジーのバディじゃないか!?」

 クレイドは瞬きをして、あぁ、と声になるかならないかの微妙なラインの音を出した。

「やっぱりバディいたんじゃん」

 執行官は、最低二人一組で行動しなければならない。しかしクレイドは出会った時から今までずっと一人で、相棒のことを気にする素振りがないために、バディではなくチームを組んでいるのかと眞紅は考えていたのだ。

「置いてきた」

 悪いと自覚しているのが見てわかる顔に、「そう……」としか答えられなかった。


 そこにもう一人の執行官が近づいてくる。彼のQUQに金色のラインが一本点灯していることから、彼が今回の作戦のリーダーだと眞紅達は理解した。

「俺はブレイズ。こっちは俺の相棒のリッヂ。他数名の執行官は訓練生の警護で山を下りている。奴らが戻ってくるのを待たないで作戦を遂行しろとのご命令だ。ここにいるメンバーだけで行う」

 四人も執行官がいればあっという間だろう、とアミティエは思った。

 だがエルデは四人も執行官が必要な作戦なのか、と考えた。

 リッヂは丸い腹を揺らしながら豪快にクレイドに笑いかける。

「マウジーとはさっきまで一緒だったんだよ。置いて行かれてしょげてたぞ~。今は安全確保のため周囲の警戒に行ってもらってんだ。ゴレムもいないっぽいし、ここにテント張る予定」


 山の中腹にある平野は中型のドームシェルターを設置するのに丁度いいロケーションであった。

 繭より高台で風上にあり、こちらからは崖を飛び降りれば接近しやすいのに対し、あちらからは反り立った崩れやすい土壁を乗り越えねばならない。周辺の木々があまり枯れていないことも幸運だった。

「いいか訓練生ども。死にたくなければ俺の命令にだけ従え。反論は許さん、分かったな!」

「はい!」と八人の訓練生は元気よく返事をした。

 したのだが、したからこそブレイズは少し動きを止めた。

「いやお前らは教官どもの命令聞いたほうがいいかもしれんな。最初から聞き分けが良くて素直だ」

 腕を組みしみじみと語るブレイズを見て、眞紅はふむふむ、と八人に語りかける。


「この人多分いい人だぞ、大丈夫大丈夫」

「うるせぇ緊張感を持て。そっちの音頭はフォリーに任せる」

「皆設営開始!リャンと石丸はアンテナの設置をして索敵だ、いいね。眞紅は訓練生のフォローだ」

「はい!」と八人は返事をして、それぞれの仕事に取りかかり始めた。

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