ヨロイ

魅魁 出流

第1話 逃走

 一から状況を整理すると自分が悪い。それが分かっているから、今の状況だけを整理する。

 今、自分は人気の全くない路地裏を傷を負って走っている。走っている、では明らかな説明不足、というよりは明け透けな嘘だ。自分に嘘をつくのはよくない。逃げていると言葉を正そう。そして、逃げているということは当然ながら追われている。手負いの人間に対して二人がかりで追ってくるなんて、とんだ奴らを相手にしてしまった。情けも容赦もないじゃないか。このままでは確実に捕まる。絶体絶命というやつだ。

 よし、ここまでは整理できた。痛む体でかなり走って体力を消耗したが、まだ自分の置かれた状況を客観的に判断する力はまだ残っているみたいだ。そして打開策も今思いついた。思いついた、というよりは耳から入ってくるざわざわとした人の声、鳴りやまない足音で、近くに大通りがあるのが分かっただけのことなのだが。

 大通りに入り、人ごみに紛れることができればこちらのもの。幸いそこまで目立つ服は着ていないから、群衆の一人として、あたかも最初からそこにいたかのように、すんなりと溶け込むことができるだろう。一度完全に行方をくらませ、傷を癒してあの二人組に復讐と洒落こもう。

 そう考え、音のする方向に続く道へ駆け出した。

 「はい、しゅーりょー」

 声と共に自分の右手首が誰かに掴まれるのを感じた。

 瞬間的に手を掴まれた方向を確認すると、そこには先ほどまで自分を追っていた二人組のうちの一人の姿があった。ここに来ることを予測して脇道に身を潜めていたのだろう。自分より頭一つほど大きい体格に着せられた機能性の高そうなスーツ、中折れハットを被っているヘラついた顔をした中年と呼ぶには若いくらいの男だ。

 当然抵抗しないわけにはいかない。

 「ヨロイはだせない。もう『盗った』から」

 余裕の笑みで放たれた言葉の意味はすぐに理解できた。

 ヨロイがでない。

 ヨロイ、人間と共生する生物兵器。詳しい仕組みは知らないが、普段は体の細胞内に住んでおり、脳からの電気信号によって体外に力を放出することで、人間の体を包む鎧のような姿をとるとかなんとか。生物兵器、というと常識ある一般人ではないように思われてしまうかもしれないが、この世界ではヨロイを持たない人間は存在しない。昔起きた戦争、現在では『世界壊戦』と呼ばれるその戦いで、人類はみな平等に武器を手に入れ、それが脈々と今の時代まで受け継がれている、と中学の歴史で習った。要は第二の筋肉のようなものであると自分は理解している。つまり、なぜかは分からないが、自分の第二の筋肉が封じられた今、目の前の男に素手で勝つのは不可能である。

 しかし、それは素手であれば、の話である。こういうときのための対処法を用意しておかないほど間抜けじゃない。すかさずフリーの左手で、左の太ももにベルトで巻いたポケットからナイフを取り出し、すかさず攻撃に転じる。

 落ち着き払っていた相手も動揺してくれたらしい、間の抜けた声を漏らして手を放してくれた。素手相手にナイフを持って距離を取ったとはいえ、ヨロイがだせないこの状況は圧倒的に不利だ。間合いを十分に確保しながら相手と見合う形になる。

 幸い、今の攻防で自分と相手の位置が逆転した。つまり進行方向にはだれもいないため、大通りに出るまでに妨害はされない。しかし、この男に背を向けて走るのはリスクがあるか、などと考えていた矢先、中折れ帽子の男が自分の後ろ、つまり進行方向に向かって何かを放り投げた。赤っぽく半透明の小さな球体は、飴玉のように見えた。咄嗟のことだったので、自分の頭上を通るそれに反応することはできず、ただ眺めることしかできなかった。

 その球体の落下点にはまたしても見た顔の男、二人組のもう一人の姿があった。

 顔つきはキリっとしているが、寝癖なのかくせ毛なのか、髪の毛が跳ねており、体に対して一回り大きそうなサイズでよくわからない単語が羅列されているTシャツにジャージのズボンとラフな格好をしている。背丈も中折れ帽子に比べて少し低い。見たところ年齢も自分と同じか一個上くらいだろう、こうして一緒に出てこなければ、この二人がチームだとはだれも思わないだろう。

 などと考えているうちに、くせ毛の男は飛んできた球体を掴み、そのまま口の中へ放り込んだ。やはり飴だったのだろうか。ならば茶番に付き合っている暇はない。ナイフを振って強行突破だ。

 そう考え、くせ毛の男へ向かって走り出した。

 考えた。というほど深く考えてもいなかった。このときは直前の飴に気を取られてすっかり頭から抜け落ちていたが、そもそも相手はヨロイを使えて、私は使えないという状況は変わらないのだ。それに気づいたのは目の前のくせ毛の男がヨロイを纏い終えるのを認めてからのことである。浅慮を最適解だと勘違いして行動した人間がその後どうなるのか、というのはある程度予想がつくが、追い詰められて冷静でない人間というのは怖いもので、全く予想のできないことをしてしまうものである。

 かなり引き延ばしてしまったが結果を言うと、体感にして2秒の後、私の体は地面に転がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る