異形種及び変異種対策課の記録

室 記生

記録1 出羽北部山岳地帯:仮称「熊人(くまびと)」

 山歩きに必要なものは忍耐だ。装備の確認や点検、ルートの選定等の事前準備はもちろん重要である。私はマメな性分なのでそう言った部分に抜かりはない。徹底した地元住民からの聞き込み、麓からの望遠鏡での観察、周辺地域の文献の調査を執り行ったうえで、山岳部での実地調査を開始した。事前準備だけならば今回のそれに一切の抜かりはなかったといえる。

 山に入ってからは悲惨というほかない。中間地点としていた峡谷へとたどり着くまでに三度、クマに遭遇。中間地点での休憩中に四度目の遭遇。中間地点をでてしばらく進んだところで突然の豪雨。付近に待機し、やむのを待てればよかったが、五度目の遭遇により移動を余儀なくされた。そして現在雨雲を乗り越えた私は、全く予定にない崖際を進行中である。

 「想定外のことは、まったく、よく起きるものだな。」

荒くなった息を整えながら、独り言を漏らす。足を止め、注意深く周囲を見渡す。暗く、深い森とあまりにも見晴らしのいい崖。崖側、眼下に広がる樹海は一面の緑と、地形から推測される現在地を教えてくれる。想定していたルートからだいぶ西側にそれたところにいると想定される。森側、真横に広がる樹海から時折、枝を踏むような音が響いてくる。おそらくはまた熊と推測できる。

「この地帯で熊か。事前情報とまるで違うな。」

この地域一帯のマタギや木こりたちからの情報では北部の山岳地帯に熊はいないという話を聞かされた。何でも多くのマタギの集団が共同し、未開のこの山岳地での大規模狩猟を試みたが、二年間の狩猟作戦の末、結局誰一人熊を見つけることすらできなかったそうだ。

「当てにならん。というわけでもないのかな。これは。」

そうむしろこれは僥倖ととらえられる。今回の調査対象である仮称「熊人」についての情報は以前調査した飛行性異業種:仮称「翼人」からの情報提供によるものだ。曰く「熊人は森を収めるものである。熊を使いとし、敵対者の前には姿すら見せない。」という。

 翼人から今回調査する熊人の集団へ知らせを出せないか具申していたが、提示条件に納得してくれていたようだ。おそらく先ほどから遭遇する熊たちが使いということなのだろう。そう、おそらく使いなのだろう。しかし相手は熊だ。武器を携帯しているとはいえ非常に怖い。警戒するのは当然だが、もう少し、脅威度の低いものを使いによこしてほしかった。というか熊人が出向いてくれれば話が早かった。

ぐぉぉぉぉぉとうなり声をあげながら、一頭の大きな熊が森から飛びだしてきた。体長は優に2メートルを超えるだろう。あまりの迫力に思わず背嚢括り付けてある刀に手が伸びる。熊はこちらをじっと見ている。私も、負けじとじっと目を見つめる。ゆっくりと手をもとの位置に戻す。すると熊が、ゆっくりと口を開いた。

「お客人。こちらへ。われらの元にご案内いたします。」

人語を介する熊、十分に異業種に分類されそうな存在だが、熊人が操る存在という可能性もあるか。

「了解した。案内。よろしくお願いする。」

薄暗い天気の中、ひどくぬかるんだ地面を踏みしめ、暗い樹海へと私は歩きだした。

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