うちの子(メイン小説)をもっと良くするための、試行錯誤記録。

多賀 夢(元・みきてぃ)

自分のメイン小説に納得がいかない。

今、メインの小説に納得がいっていない。


もう10年も加筆修正している。

だから、設定もストーリーも頭に入っている。

なのに、何度直しても納得がいかない。

ニュアンスが、違う。


私の文体は、夏目漱石と芥川龍之介に近いと思う。

夏目漱石は一番最初に出会った作品の作家だし、芥川龍之介は一番読んだ作家だ。私はラノベ育ちではなく(ラノベもたくさん読んでるけど)、明治~昭和初期の作家に一番影響されている。


だからさ。文章が堅いでしょ。


メインの小説――『或る少女のサバイバル』は、主人公が明治文学に傾倒している。その上での一人称視点なので、文章が堅くて古臭いのは問題ない。むしろ狙いだとも言える。

問題はそこじゃなくて、【絵が見えない】部分にある。

いじめを甘んじて受けている、もしくは誘引している彼女の様子が、見えないんである。


今お気に入りのカクヨム小説は、毎日更新している。文字の数はまちまちだけど、翌日を物凄く期待してしまう。

そんな頻度で更新されているのに、クオリティが高い。絵が見える。


毎日書いている人もいるだろうけど、大抵はおそらく違うだろう。

一区切りまで書いた作品を、丁寧に推敲して世に出している。粗削りに見えるものだって、おそらくその人の最大限の努力を行っている。


私は、リアリティを出したくてキャラを削ったり、ストーリーを変えたりしている。

だけど、ちゃんと話が繋がっているのかな?という疑問が湧いてる。

私はかつて発表した作品を、その時の区切りで出している。しかし表現やストーリーもいじっている今、このやり方で正しいのだろうか。書いたら即upする方法で、伝えたいことが伝わるんだろうか。


私のメイン小説は、「夏」「秋」「晩秋」「正月」と続いて、その先が書けず完成していない。しかも「夏」でかなりキャラを削ったので、「秋」から先が大きく変わる。


なのに、今の書き方でいいのかな。

仕上げてからupしなきゃ、齟齬がうまれるんじゃないのかな。

キャラデザインだって、曖昧になっていやしないかな。



というわけで、私は偉大な先人を真似てみる事にした。

昔から「小説が上手になるには、お気に入りの作品を書き写す事」という話がある。

売れる作品の癖を覚え、学ぶわけだ。日本語の細かい機微を知る勉強にもなる。


今考えているのは、『まず、菊池寛を真似してみようか』という事。

菊池寛は戯曲、つまり台本で有名な作家だ。戯曲から小説化した作品もある。

菊池寛の戯曲を真似てみて、そこから小説化する。

最近のライトノベルの傾向は、わりと『舞台的』である。内心の動きよりも、セリフや擬音の表現が多い。だからアニメ化もしやすい。

絵の動きがはっきりすれば、読者を物語に引き込める気がする。プロットにするわけである。


それでは、私の好きな『藤十郎の恋』を読み込んでみるかな。

それまで、『或る少女のサバイバル』はしばしお休み。

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