幻想異世界譚

夜茶。

序章 案内人と星になる人

気がつけば、私は不思議な空間にいた。

壁はなく、天井もない。

しかし見上げるとはっと息を呑むような満天の星空が広がっていた。

こんなにたくさんの星々を見るのは初めてで、しばらくの間あいた口が塞がらなかった。


それにしてもここはどこだろう。

寒々しい空間なのに寒さは全く感じず、知らない場所なのに自分は少しも動じていなかった。

むしろ懐かしさすら感じていた。

しばらく周辺をぶらぶら歩いた。

一本の道があったけど、なぜかそこに行こうとは思わなかった。


何かを待っていた。

多分人だろうな、とは分かっていた。

なぜそれがわかるのかはわからなかったが、とりあえず待っていた。


すると案の定、道の先から誰かが歩いてくるのが見えた。

それは1人の不思議な衣装を身に纏った人だった。

夕陽色に染まった長い金髪に深い深海のような紺碧の瞳、そして手には先にランタンがぶら下がった長い杖を持っている。

その人はこどもくらいの背丈だけど、少年か少女かはわからない。

しかし、その人の雰囲気と物腰からは老人のような静けさが漂っていた。


「やあ、待ったかい?」

彼とも彼女とも言い難いその人の声は子どもじみたキンキンと高い声ではなく、物静かで落ち着いた少し低い声。

どちらにせよ私は彼の声にひどく懐かしさを感じていた。

まるで幼い頃に聞いた子守唄のような。

「いいえ、少しも待っていませんよ。」

私がそういうと、目の前の人はにっこりと笑った。

「そうかい。それなら行こうか。」


その人は自分のことを案内人と名乗った。

案内人に導かれるまま、私はランタンの光で照らされた道を歩んでいく。

それにしてもこの道はどこへ繋がっているのだろうか。

「どこに行くのか知りたいのかい?」

不意に案内人は私の心を読んだようにそういった。

「え、ええ。気になります。それにしてもよく分かりましたね。」

そういうと案内人はニンマリと笑ってみせた。

「そりゃあ、この仕事は長いからね。」

と、若々しい風貌に似合わないことを言ってのける。

「どのくらいこの仕事をやっているのですか?」

「さあ、覚えていないなあ。それで、どこに向かうか、だっけ?」

「そうです。」

「その前に、君はなぜ今ここにいるのかわかるのかい?」

それを言われて初めて私は気がついた。私はなぜここにいるのだろう?

案内人はそんな私を見て微笑んだ。


「君はね、もう死んでいるんだよ。」

淡々と案内人は言った。まるで、天気の話をするような感じだった。

しかしその言葉は不思議にも私の心にストンと落ちた。

そうだ、私はもう死んだのだ。

「だから、君は今から管理人の元に行って、住所を決めてもらいにいくんだ。」

「管理人?住所?」

「あー。んーとねぇ、管理人っていうのは君が星になる場所、つまり住所を決める人なんだ。」

「星になる?私が?」

思わず空を見上げた。

夜空には数え切れないほどの星々が煌めいている。

「そうさ、君は今から星になるんだよ。」

案内人は得意げに笑った。

「なんで私は星になるんですか?」

「亡くなった人の魂は星になるって決まっているのさ。」

さも当たり前だという案内人の表情に、私もそういうものかとなんとなく思った。

「もちろん例外もあってね。」

案内人は続ける。

「宝石になる人もいるんだ。」

「それは、どんな人がなるんですか?」

「そうだねぇ。つまり、生きているうちに悪いことをした人たちかなあ。」

「罪人がなるのですか?随分と豪華なものになるのですね。」

私がそういうと、案内人は眉を顰めた。

「豪華?そんなもんじゃないよ。」

「どういうことです?宝石って綺麗じゃないですか。」

「宝石なんてつまらないじゃぁないか。宝石は指輪なんかになっちゃって人の指を飾るんだ。」

「君たちは違う。そんなつまらないものなんかを飾ったりはしない。」

案内人は立ち止まって、空を指さした。

「星は夜空を飾るんだ。」

「そっちの方が魅力的じゃないかい?」

案内人はそういって微笑んだ。私も微笑み返した。

「そうですね。」

「そうだろう?」

「ええ。」

ほんの少しの間、2人は無言になった。

しかし、心地の良い無言の時間だった。


「それじゃあ、あともうちょっとだからね。ちゃんとついてきてよ。」

「一本道ですけどね。分かりました。」



しばらくすると、道の遠くの方に暖かな光が見えてきた。

「もうすぐだよ。あの光のところへ行くからね。」

「案外早かったですね。」

「そうだね。でも、まだ時間はあるよ。話そうか。」

「そうですね。」

正直なところ、何を話したらいいのかわからない。

周りには私と案内人しかいないし、ずっと同じような景色が続いているからだ。

すると隣で案内人がふっと笑った。

「何を話したらいいかわからない?」

「ええ。正直にいうと。」

「まあそうだろうねぇ。でも、他に誰もいないのだし、何を話してくれてもいいんだよ。」

「そういえば。」

「お、何か見つかったかい?」

「ええ。なぜここには私とあなたしかいないのですか?」

「というと?」

「私のいた世界では1日に数え切れないほど多くの人が亡くなっています。だから、ここに来る人も多いはずなのに誰もいないのはおかしいのではないでしょうか?」

「なるほどね。じゃあ、それの理由を教えてあげよう。」

「お願いします。」

「まず、ここは君たちのいた世界と時間が違う。」

「そうなんですか。」

「そうなんだよ。なんでかって言われるとわかんないのだけどね。そういうものなんだよ。」

「そういうものなんですね。」

「そういうものだよ。」

案内人は力強くそう言い切った。

そして案内人は話を続ける。

「時間も大事だけど、それよりも重要なのはね。」

「はい。」

「やっぱり気持ちだと思うんだよ。」

「気持ち?」

「そう。君たちが星になる時間って、魂を休める時間なんだ。」

「それは知りませんでした。なんだか意外です。星になって、消えて無くなるのだと思っていました。」

「そんなことないさ。で、話を続けるとね。」

「はい。」

「そんな大切な休憩時間を混雑してるからって理由で適当に扱われたら嫌だろう?」

「仕方ないのではないですか?」

「いいや。一人一人、大切な存在なんだ。そんな大切な存在を粗末に扱ってはいけない。」

大切な存在。

そうか、私も大切な存在なのだ。

すでに時を止めているはずの胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。

「素敵ですね。」

「そう、君たちは素敵なんだ。今までも。これからも。」


だいぶ目的地の家がはっきりと見えるようになった。

暖かな光に包まれたその小さな一軒家は寒々しいこの景色に不思議なほどよく似合っていた。

「だいぶ見えてきたね。」

「ええ。素敵なお家ですね。」

「君には家に見えるのかい?」

「え、違うんですか?」

「うん。人によって違うように見えるんだ。」

「なぜです?」

「なんでだろうね。」

案内人は肩をすくめた。

「そういや、管理人さんってどんな人なんです?」

「うーん。どんな人と言われるとなぁ。」

「恐ろしい人ですか?」

「そんなことないよ。でも、いつも気取ってるいけすかないやつだよ。」

「そうなんですか。」

「うん。そうだよ。」


とうとう目的地についた。

案内人との時間は長かったようで短かったように感じられる。

私は小さな家の軒下まで行くと、案内人に促され、3回ノックをした。

「どうぞ。」

中から小さく声が聞こえた。

男かも女かもわからない不思議な声。

しかし、私の訪問を心から歓迎されているような気がした。

案内人の方をチラと見ると、案内人は微笑んだ。

「さ、入って。」というように。


「ただいま。」

ドアを開けて中へ入る。

まるで実家に帰ったかのような安心感に、思わず私はそう言ってしまった。

変かなと思ったが、案内人を見ると当然だという顔をしていたので多分間違っていないのだろう。

「お帰りなさい。」

たくさんのランプに照らされた部屋の奥から私をそう出迎えてくれたのは1人の人物。

幾重にも重ねられた重厚な白の衣装を着ているが、性別はわからない。

10代半ばほどに見えるが、落ち着いた声や雰囲気がその人に長い年月の気配を与えていた。

「よくきたね。長くはなかった?」

「いいえ。そんなことはありませんでしたよ。」

「そりゃあよかった。でも、ちょっと休むかい?」

「大丈夫ですよ。疲れていませんので。」

「そうかい。じゃあ、早速住所を決めようか。」

「とうとう、星になるんですね。」

「怖いかな?」

「ええ。寂しい気がします。」

「そんなことないよ。周りにも大勢いるからね。」

「そうなんですか。」

「みんなで夜空を作るんだ。星空はたくさんの星々が煌めいてるからこそ美しいのだから。」

「素敵ですね。」

「だろう?それに、寂しくなればいつでも私たちのところへおいで。いつでも大歓迎だよ。」

「星になっても動き回れるのですか?」

「もちろん。流れ星になるんだ。」

「そりゃあいいですね。」

「そうだろう。」

「迷子になったら僕たちのランタンの光が教えてくれるよ。なにせ空は広いから。」

「これで安心して星になれる気がします。」

「よかった。どうか安らかに。」

「ありがとう。管理人さん。」


「さて、君の住所は決まった。」

管理人はそういった。

ああ、ついにこの時がやってきたか。

「わかりました。」

「場所は案内人について行けばわかるよ。」

「よろしくお願いします。案内人さん。」

「任せておいて。」

「では、管理人さんさようなら。」

「ああ。また会おうね。」

「はい。いずれ。」

「じゃあ、行こうか。」

「ええ。最後までよろしくお願いします。」


それから案内人とわたしは無言のまま家を出て、わたしが星になる場所へと向かった。

沈黙の時間がなぜか心地よく、気まずくはならなかった。

安らかな気持ちだった。

わたしの身体は徐々に光を帯びて、わたしは星になった。

その頃にはわたしの住所のところまで来ていて、案内人の仕事はそこで終わった。

「じゃあ、ここで当分の間お別れだ。」

「ええ。でもいつでも会えるのでしょう?」

「うん。いつでも。君がそれを望む限り。」

「それなら安心だ。」

「よかった。」

「もう行くね。ばいばい。」

「ええ。また後で。」


案内人が去った後、わたしはしばらくの間自分の周りを見て回っていた。

自分のすぐ近くには他の星たちがいて、わたしが合図を送ると彼らも瞬き返してくれる。

よかった。寂しくはないだろう。

これから私たちが下に広がる世界に美しい夜空を届けよう。


星になったら、下の世界のものはなんでもよく見える。

おや?

あんなに険しい雪山に誰かいるようだ。

何をしているのだろう。


少し覗いてみよう。

なにせ時間はたっぷりあるのだから。


序章(完)


To be continued...

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