10:何が彼女を呼んだのか
ずいぶん日が長くなったと思う。
夜の気配もまだ遠い窓の向こうは、ようやくオレンジ色に変わりはじめたくらいだ。
講義室に残されたのは、オカルト部の俺たちと、次未と、
テーブルをとりはらった空間に一脚だけ置かれた椅子に次未がちょこんと座っている。
「本当にご迷惑をおかけしました」
次未の小さなくちびるが、普段聞かない声色で言葉を紡ぐ。
目をキラキラさせた
「まさか死んでしまったあともこうしてお話しできるなんて、思いませんでしたけど」
「いやあ、悪いねェ。お友達とも話したかっただろうけど、それはダメだって
「いいんです。こうして体を貸していただいただけでも」
いま、俺のかわいい幼馴染みはその大切なからだを他人に貸し出している状態にある。
次未のなかにはいった彼女は珍しそうに手を開いたり閉じたり、鏡で顔を確認したりと、見てくれだけでとんでもなくかわいい仕草をしてくれる。
「ええと、あまり時間もないんですよね。まずは自己紹介しますね──
内臓、つぶれちゃったらしくて。
そうころころと笑う金元さん。
次未の姿だから恐ろしさはないが、本来の彼女の姿がいったいどんなものだったのか、
思わずひきつった顔を何とかゆるめると、駆馬も同じような顔をしていた。
「富岡くんには悪いことしちゃったわ。あのときは本当に見えちゃうなんて思ってなかったんです」
チャーリー・ゲームで召喚されたのは彼女だった。
貴宮さんいわく、縁深い人間が集まっているのなら引き寄せられることもあるだろうとのことだ。成功したのはまた様々な要因が絡んでいるらしいが、それを細かく解いていくことはできない。何がどう作用して成功するかというのはいまだはっきりとわかっていないのである。
なので結局のところ、こういうものは──運、だというほかにない。
そして仲間たちのもとにあらわれた金元樹里亜は『NO』を示した。
ここに来たよ、という意味を込めて。
「このからだの……次未さんでしたっけ。このひとがいうには、私は生きていたころの私ではないとか。よくわかりませんけど、うん、でもきっとそうですね」
「生前はからだに縛られている。それの良し悪しは一言で論じることはできないが、からだを失えばそのぶん、これまでできなかったこともできるようになる……もちろん個体差はあるがな」
貴宮さんが腕を組んで、いつものように高圧的な言い方をする。
気を悪くするんじゃないかと心配していたが、金元さんはしたたかなタイプのようだ。
「誰だってやりたいことができるようになったらやるでしょう?」
「生前ならその衝動を止められただろう」
「ああ、そうかも。だから
心の底からおかしそうに笑う金元さんは、狂気ともまた違う、奇妙な薄気味悪さがある。
霊というのは──少なくとも、次未に憑依してきたそれらを総合した場合──たいていはこんな、夢見心地といった様相だ。ふわふわしていて、精神状態が極端に振りふりきれている。
「皆さんが知りたいのは動機ですよね。ふふ。リモコン隠しの動機」
「あれで収めてくれってことは、本当は別の理由があるってことでいいんだろ?」
白衣の袖を触る君平は次なるネタを求めてやまない。
天使のような笑顔を向けられているのにまったくなびく様子がないのは、一部でヤンデレだのメンヘラだの言われているだけあってさすがだ。その点だけは信用できる男である。
「あれがすべて、ってことにはしてくれませんよねえ」
俺と次未はあのタネ明かしの前に、金元樹里亜と打ち合わせていた。
四限の時間、先に三一一講義室に入った俺たちを迎えたのは、事故に遭ったそのままの姿をした彼女である。もっとも見えて聞こえるのは次未だけなので、状態は又聞きだ。
真っ青になって俺にしがみつきながら、必死に話し込んでいた。
『あゆちゃんには、私は
『だからあゆちゃんに意地悪しちゃったんです。思ったより怖がらせてしまったけど』
『私はみんなが思うような優しい人間じゃない。意地悪な普通の女だった。みんなには……そう伝えてくれますか?』
あの七人には金元さんの意思を尊重してそう伝えている。残すレポートにも記載済みだ。
ここから先は興味と調査。
次未と貴宮さんが主体になる情報収集の時間。
「私としては、あれでもじゅうぶん本音なんですけど?」
「その理由じゃ違和感があるよ。金元先輩だってそう思ったからちゃんとおれたちの呼び出しに応じてくれたんでしょ?」
「どうしようかな。プライベートだって教えないこともできるけど」
「まあ、それで満足できるなら俺たちも深くは聞かないぜ?」
「…………ふふ」
あ。怒らせたかもしれない。
少し空気が変わった。周囲が三度くらい冷えたような気がする。
女子を怒らせると怖い。秋坂さんのような他人を思いやるかわいらしい怒りではなく、触れられたくないところに触られた警戒と拒絶の怒りだ。こういうのは菓子野にしつけられたからだが一番よく知っている。
思わず君平をちらりと見ると似たようなことを考えたようで、らんらんと目を輝かせている一方、首は冷や汗でぬれていた。
「そうねえ。まあいっか、墓場まで持っていったし。最後に聞いてもらっても」
金元さんはふっと息をついた。
それから視線を窓の向こうへ投げかける。
次未の黒髪が夕日に照らされて、オレンジ色に輝きはじめた。
──あゆちゃんが好きだったの。
ぽつりと、大切なものを手のひらからこぼすように。
これまでの浮かれていた様子が失われていた。
「和樹くんが好きだったから、って伝えてもらいましたけど。本当は違うの。あゆちゃんが好きだったんです。私たち、親友、だった」
今にも泣いてしまいそうだった。ああ、次未の顔でそんな表情をしないでくれ。
ぎゅっと胸が締めつけられる。
悲しい顔をしないでくれ、優しくてかわいいひと。
「女の子同士。おかしいですか?」
「なんで? 性別で好きが決まるわけじゃないじゃん。おれだって
黒い目が大きく開く。
俺たちもちょっとびっくりした。いや、その通りなのだが。
床に座りこんで金元さんを見上げる駆馬。金元さんはぽかんとした顔をして、今度は本当に大笑いをはじめた。
「ふふふ! そう、たしかにそうかも。私、ばかだったみたい!」
次は駆馬がびっくりする番だったようだ。
飛びのいて「えっえっ」ときょろきょろしている。ミーアキャットってこんな動きするよな。
「笑うところ? おれ、なんか変?」
「ううん、いいの。強いて言うなら死ぬ前に聞きたかったわ」
目の端に浮かんだ涙をぬぐい、金元さんがやっと落ち着く。
「好きなら好きってちゃんと言えばよかった。女の子だから──そういうことばっかり気にして、私じゃあゆちゃんを幸せにできないんだって思いこんでました」
今の時世でもやっぱり気になるひとは気になるんだろう。
『認知されはじめた』という言葉自体が特別なレッテルだ。認めない人間もいまだに多いし、マイノリティというだけで奇異な目を受ける。不躾なその視線をポジティブに受け取ることができる人間はそう多くない。
少し、ここにはいない部員のことを思った。
金元さんが生きていれば、彼女に相談できたかもしれない。
「飯原くんと結ばれてほしいって思ってたんです。彼、モテるけど、すごく良いひとだから」
「それなら、どうして岩見を隠すことにした?」
「岩見くんが本気でアプローチしたらあゆちゃんは流されちゃうかもって、ちょっと警戒してたのもあります。あと……やっぱり、私のライバルは岩見くんのほうだったから……岩見くんにだけは渡したくなかったんです。あ、これが本音かな。やっぱり意地悪ですね、私っ」
夕日に照らされた顔は晴れやかな感情に包まれていた。
そこに最初の薄気味悪さなどどこにもない。腹の底の見えない目も、あの冷えるような怒りも。
「ああ、なんだか眠たい……また眠らなきゃいけないんですね」
「そろそろか」
貴宮さんが腕時計を確認する。
憑依はほんの短い時間だ。長く憑依させると、次未に大きな負担になる。
向かい合わせで立った貴宮さんが、金元さんに問いかける。
「最後にひとつ聞きたい、金元樹里亜。きみは何に誘われたのか?」
それは最も重要なことだ。存在意義と言ってもいい。
貴宮家とオカルト部が提携している理由であり、俺たちの活動はすべてそこに集約する。
その異常が何によってもたらされたのか。
怒気に近い緊張が室内を満たす。
ピンク色のくちびるが、ゆっくりと開く。
「 まっしろな、かみさま 」
その瞬間に、憑物が落ちた。
静かな微笑みで金元さんは二度目の──最期の眠りにつく。
こっくり、こっくりと眠りの舟をこぎ、彼岸へと渡っていく。それは天使の戻ってくる合図だ。
やがて長いまつ毛に縁取られた黒真珠がぱっちりと姿をあらわした。
「おかえり、次未」
「ただいま、
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