8:三一一講義室にて

 三一一講義室。

 静まりかえった室内は、ひっくりかえった椅子や位置の乱れたテーブルで煩雑としていた。

 役者はすでにそろっていた。

 伊川いかわさんに引き連れられてやってきた五人は、各々が違う表情をしている。おびえている吉野よしのさん、警戒と敵意を見せる秋坂あきさかさん。はじめて顔を見た男性陣は比較的落ち着いているようで、儀式中は渦中かちゅうにいた富岡とみおか礼音れおんですら、のんびりと持ち込んだ麩菓子をかじっていた。


「結局なんの集まりなんだっけ、これ?」


 富岡が麩菓子を飲み込み、缶コーヒーで口を落ち着けて問うた。

 君平に負けずのチャラチャラした男だな、という印象である。といってもタイプは違い、ポップカラーのシャレた服装で伊達だて眼鏡めがねをかけている小柄な容姿だ。鋭さのある君平と違い、かわいげのあるチャラ男である。


「吉野のアレ、解決してくれるっていう話だろ。伊川が相談してくれたやつ」

「なんとかしてくれるならありがたいよ。あゆちゃん、最近ほんとに眠れてないみたいだし」


 硬派な印象なのは鳥羽とばめぐみである。体格が良いうえ、ストイックそうな雰囲気だ。モテそうだなあと考えて、そういえば恋人がいるらしいと思い出した。俺も早く次未つぐみを恋人と紹介したい。

 伊川さんと吉野さんに想いを寄せられているという飯原いいはら将彦まさひこは背の高い男だった。貴宮たかみやさんと良い勝負のイケメンである。


「まずは。お集まりいただきありがとうございます」


 こういう場は君平きみひらの独壇場だ。

 いつも通りの白衣をばさりとひるがえせば誰もの目を奪い、雰囲気を一転させる。

 司会者。進行役。

 次未によれば──管理者キーパー、と云う。


「当オカルト愛好研究部では、伊川朝美氏に依頼を受けこの件を解決するため奔走してまいりました。故に、最後にはこうして──関係者の皆さまにご説明差し上げるため──本日お集まりいただいた次第です……と、堅苦しい挨拶はここまでにしようか。時間を取りすぎるのはこちらとしても本意じゃない。早速主題といこう」


 生白い手をついと動かした先には次未が緊張した面持ちで立っている。

 そばにいた駆馬がすかさずボイスレコーダーを起動し、持ち込んだキーボードの入力を開始する。


羽衣うい次未つぐみ文化史学ぶんかしがく科二年。わたしから説明します」


 全員の視線の集まった次未は細く息を吐き出し、背をすうっと伸ばした。

 震えが止まる。


「まずは伊川さんの御相談を確認します。緊急相談の三日前──今日から数えれば五日前──時間はちょうどいまごろ。この三一一講義室で、あなたたちはテーブル・ターニングの一種である儀式、チャーリー・ゲームをおこなった」


 最北から右回りに富岡、秋坂さん、吉野さん、飯原、伊川さん、鳥羽。当時と同じ位置になるよう立ってもらっている。

 不自然に空いた吉野さんと飯原のあいだ。最初はきらっているのかと邪推していたが、やはり噂通り、片想い相手として意識しているようだ。ちらちらと何度か情の強そうな目線を送っている。

 しかしそれ以上に、彼女を震え上がらせているものがあるらしい。


「チャーリー・ゲームのやりかたはご存知のとおりです。紙に十字を引き、四つの空白に『YES』『NO』を記入。十字に沿って二本の鉛筆を重ね、召喚呪文コールを唱える。


『charlie,charlie are you here?』


 そして、それが起きた」


 第一の異変。

 動き、そして──『NO』を示した鉛筆。


「次の異変は、富岡礼音さん。何か叫んで、アイテムを払い落としたという証言でした」

「ああ……あんまり覚えてないんだけど……」


 名指しを受けた富岡はここにきてはじめて苦い顔をした。


「その後、強い力で自身の首を締めあげた……気を失うまで。ご存知かもしれませんが、チャーリー・ゲームではまれにパニック発作を起こすものがあらわれます。この場合は一時的な発狂、とするほうが適切かもしれませんが」


 発狂。

 オカルトの世界では間々まま見られる、過度なストレスからの逃避法のひとつだ。

 自制心を失い狂気を発することで、自身を守ろうとする働き。一時的なものであれば意思疎通できるようになるまでさほど時間はかからないが、ときに回復不可能な、永続的狂気に陥ることもあるという。

 富岡はこの発狂状態にあった、というのが次未の見解らしい。

 秋坂さんがぴくりとまなじりをつりあげる。


「礼音より体がでかい恵と将彦でかかっても止められなかったんですよ。それはどう説明するの?」

「人間は普段、無意識に加減をしている。意識的な全力なんて限界とはほど遠いものです。『火事場の馬鹿力』は聞いたことがありますか? 防衛本能はそのリミッターをはずします。ゆえに、ふたりでは止められなかったということはありえる」


 次未は毅然と言葉を返した。

 ぴしゃりとたたきつけるように返され、秋坂さんはすこしたじろいだらしい。


「……わかりました。続けてください」


 ぴりりとした緊張が少しやわらいだ。もともと怪奇現象には否定的なのか、俺としては超常的なちからなんてものがあったほうが面白いと思うのだが。


「どうも。では、次は吉野あゆさんの異変。黒い影の発生について」


 目を移した先で、吉野さんはぎゅっと秋坂さんの腕にしがみつき、うつむいている。


「この黒い影について、はじめて見たのは吉野さんで、三日後には伊川さんも目撃したと証言にありました」


 チャーリー・ゲームが強制的に終わってしまった、その瞬間にあらわれた影。

 吉野さんが最初に見たのは、富岡が狂気を発したときである。その後は一度姿が消え、しかし翌日からまた彼女の周囲にあらわれるようになった。

 接触は一度、肩をたたかれたとき。それ以外に被害はなかったが、伊川さんが三日後に目撃したことで相談へとつながってくる。


「さて、何かと吉野さんにつきまとっているように思われるこの影ですが、この認識には根本的な間違いがあります。影は吉野さんに定着して憑いていたわけではない。


 次未はそっと歩き出した。床を滑るような歩みは、わずかなヒールと衣擦れの音以外にない。

 黒いパンプスの先がひょこひょこと顔をだしてかわいい。

 次未は講義室の端、入口のドアまで進んでいく。


「黒い影は吉野さん以外のあなたたちとも行動を共にしていた時間があります。たまたま吉野さんが見えていて、周りが見えていないだけ。わたしは……相談を受けた時点では、影の行動がエスカレートしていないから危険はないと考えていた……だけど、別の影響は広がっていました。その点では駆馬の言うとおり、危険があったのかもしれない。から、緊急相談をしにきた日の朝、伊川さんにも見えたのです」


 黒いすそがひるがえる。

 透けるように白い足首が、次未をこの世に立たせている。


岩見いわみ和樹かずきという名前を知っていますね」


 ひた、と。

 静寂が落ちた。

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