3:呼ばれたもの
ひっくり返ったパイプ椅子を気にする様子もなく、
「……寄って
「あいた」
紙面を指す
歯の根の合わない伊川さんにそっと手を添えた
「大丈夫? こいつらにはしっかり言い聞かせておくから」
「悪かった、怖がらせるつもりはなかったんだ。伊川ちゃんこういうの苦手なんだな」
君平がごまかすように手を振った。
オカルト部なんてところにくるのだから相談者は割と耐性のある人間が多いのだが、その通例に合わず、伊川さんは気の毒なほど怯えていた。
身を守るように体の前で握っている手も目で見てわかるほど震えている。
「でも、伊川先輩がこの紙を持ってるってことは、チャーリー・ゲームをやったってこと?」
伊川さんはうつむいて肯定を示した。
握りしめた拳が白くなっている。
「……やったのは三日前です。四限が終わったちょうど今頃でした」
そしてゆっくりと語り始めた。
「同じ
「まあ、チャーリー・ゲームは鉛筆と紙でいいからなあ」
「今となっては本当に後悔しかないんですけど……その時は『何かあれば面白いかな』って、手を出してしまったんです。鉛筆は万希が持ってたのを、紙は私のルーズリーフを使って、部屋を暗くして、さっきの呪文を、唱えて」
伊川さんの呼吸が少しずつ早くなっていく。
「最初の数回は何も起こりませんでした。しばらくやっても変化がなかったので、みんな
「鉛筆が?」
「『NO』だったんです!」
突然、伊川さんは頭を抱えた。
「『NO』だったんです! 私たちはチャーリーを呼んだはずだったのに!」
恐慌が顔に強くあらわれていた。
伊川さんをなだめようと次未が肩を抱くのが見える。
俺は君平と駆馬に目を配った。ふたりもお互いを見た。
異常な恐怖心──何か決定的なことが起きたことは想像に難くない。
だが追い詰められた人間にしては、彼女は随分まともに見えた。
俺はテーブルからはなれて、部室の一画にある本棚からファイリングされた資料の束を取った。ともかく、相談なら必要な手続きを踏まなければならない。
貴宮さんから口酸っぱく言われているのだ。
「チャーリーではない何かが来た」
背後で君平が更に話を切り込んでいく。
「そして、それは伊川ちゃんたちに危害を与えたのか」
「……みんなびっくりしたけど、
「チャーリー・ゲームも帰ってもらうための手順が最後にあるな」
「だけど富岡くんがそういうことをしてしまったので、ちゃんと終わらせないままになって。でもそれだけじゃなかった……突然のことだったので、まず発案者の万希が怒りました。万希はそういうことをちゃんとしたがるタイプだから。でも、怒って食ってかかろうとした途端、富岡くんが自分の喉をしめはじめて!」
からだをまるめて、伊川さんは震えている。
「なんとか止めようとしたんですけど、ものすごいちからでした。ほかの男子二人がかりでもとめられなかった。失神するまで手が首からはなれなかったので、倒れたところを何とか引きはがして救急車を呼びました」
「ああ、そういや
三日前の夕方に救急車が大学に入ってきていたのを思い出した。
敷地内でも離れた位置だったのであまり気にしていなかったのだが、あれがそうだったのか。
「富岡くんがそうなってしまって、私たちはもうパニックになりました。万希は真っ青になってるし、あゆは……えっと、同じグループの
富岡という学生はその後すぐに目を覚まし、検査でも異常はなく、今日退院する予定だという。
俺は次未のほうをみた。
震える伊川さんをなだめ、適当なところで相槌を打って落ち着かせている。
駆馬がルーズリーフを見ながらこめかみをぐりぐり揉みはじめた。
「過去、チャーリー・ゲームをやって起きた集団パニックで『自分で首を締めあげて転げまわる』『
「え、ええ。あゆは泣いてたけど、帰るときには落ち着いてました」
「過敏になった神経に『NO』と示されたことがきっかけでストレスが爆発、ってところか?」
書類を君平に渡すと、慣れた手つきでレポートをまとめあげていく。
こういう才能は単純にうらやましい。俺はいつも講義のレポートに苦しんでいるというのに。
「ちょっとこっちの紙に、参加したメンバーの名前と位置取りとか書いてくれるか。使った部屋も」
「わかりました」
スコーンをかじって糖分補給する。
紅茶が尽きたので駆馬に追加を頼もうと顔を上げると、まっすぐにこっちを見ている次未と目が合う。
え、恋に落ちそう。
スコーン食べたいんだろうか。かわいいな。
深い黒の瞳が瞬き、さくら色のくちびるが動いた。
「それだけじゃない」
伊川さんが、目をむいて次未を見た。
紙からすべり出たペン先がテーブルに線を引いている。
「何かいるんですか?」
「いま、この場にいるわけではないけど」
「私、知りません。私じゃない!」
「相談の主題をまだ聞いていない。あなたは何におびえているの?」
次未はいつものようにしゃんとした姿勢で座っていた。
その黒い瞳は俺を見ている。思考の海に潜っている。
「あ、あなたは、何を知っているんですか」
「まだ何も知らない。あなたが話してくれていないから」
「だって、それだけじゃないって。私、私は何も」
「あなたじゃない。でも、誰かが被害にあっている。推測するなら、吉野あゆという子」
「どういうことだ、
君平がメモ帳を開きながら口をはさんだ。
「緊急相談ということは、すでに強い危険を感じている場合が多いと思う。君平が『
なるほど、本題はここから始まるらしい。
駆馬が冷えた茶を入れ替える。
伊川さんは胸に手を当てて、新しい紅茶を含んだ。
「……おっしゃるとおりです。その、試したりだとか、騙したりだとか、そういうつもりはないんです。ただ本人ではないので……半分は思い込みなんじゃないかって疑っていたので……」
「つまり、その子にとっては非常に深刻なことが今も続いてるのか?」
「はい。あゆはこの三日、ずっと人影から付きまとわれていると言っています」
「人影?」
駆馬が首を傾げた。俺も同じことをした。
君平がペンを触りながら続きを促す。
「詳しく聞いてみると、最初に見たのはチャーリー・ゲームで富岡くんが紙を払い落としたときだそうです。だからあのとき、一番混乱してたみたいで。それはしばらく富岡くんのそばにいたらしいのですが、解散するといつの間にかいなくなっていたと……だからその日は安心したらしくて。でも翌日講義に出ると、同じ影がすぐそこにいて……それからは、学校にいるあいだじゅうそばにいるようになったらしいです」
「その影が男女どっちかわかるか?」
「男だとあゆは言ってます。自分より大きくて体格もいいって」
「四六時中そばにいるのか? 講義中以外のプライベートなとき……たとえば、トイレとかは?」
「いえ、講義中でもいるときといない時があるみたいです。トイレとかは平気だって言ってました」
「ふむ。それに攻撃性はある? 傷つけられたり、そうでなくても、何かされかけたとか」
「一回きりですけど、触られたことがあったみたいです。たいしたことはないけど、肩をたたかれたって、もうかわいそうなくらい怖がっていて」
「伊川さんは触られたり、見えたりした?」
「……今朝、見えました」
「今朝」
「だから、ここに相談したいと思ったんです」
伊川さんは深くため息をついて肩を落とした。
「私たちは何を呼んでしまったんでしょうか?」
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