5 僕はからっぽじゃない

 幸視、お前母さんに似てきたな。


 そんなことを言われるのは決して初めてではない。だが、改めて言われて幸視はどぎまぎしてしまった。


「え、なんで、どこが」

「どうした?」

「どうしたって」

「今までと反応が違う」


 フィクションに出てくる前世物は、前世の恋愛の続きが始まったりすることがある。

 だが、幸視の目の前にいるのは父親だし同性なので、それはできない。

 世の中にそういう恋愛をしている人がいることや、そういう人を差別してはいけないことを知っていても、幸視はそういう人ではない。

 普通に好きな女の子がいるのだし。と、人生初めての恋を自覚して間もないのに、幸視は〝普通〟という言葉を使って考えた。


 だがその晩の夢は結婚式のシーンだった。

 

 式場が一望できた。実に幸せそうな空間だ。


 視点が定まらない。一望できたかと思うとその女の子の視点になっていたりする。今までもそうだった。でも、だから現実ではない、と言うにはあまりにもリアリティに溢れていた。現実より現実らしい世界。

 その女の子、というにはもう、〝子〟の字は邪魔な年齢だった。何しろ結婚をしようというのだ。幸視と同年代ではあり得ない。


 そしてその女性の目の前の男性は――それは幸視が見慣れた顔を若々しくしたもので――女性の顔のベールを上げ、そして――。


 キスをした。


 そこで目が覚めてしまった。


 全身が寝汗で濡れていた。

 これは――果たして、悪夢、であったのか。




「何を考えている?」広田が言う。

「もちろん、何も考えていない」幸視はそう言って誤魔化そうとした。

「目が嘘をついているなぁ」

「そんなことわかるのかよ」

「長い付き合いだからお前のことは特別にわかる」


 瞬間、その距離感に後ずさりそうになったが、座っているから背を少し反らすことしかできない。広田が同性であればこそ、かえって夢の内容と結びつけてしまう。広田が花崎を好きだということはわかっているのに。


「ごめん」

「今何を謝った?」

 確かにここで謝るのはおかしい。幸視に罪悪感があっても、それが広田に伝わるわけがない。

「夢の話? まだ続いてんのか?」


 広田にはどこまで話していたか……前世という単語は出ても、まだただの与太話の段階だったはずだと、幸視は思い出していた。

「キモいと思ったものをキモいと感じることそれ自体は罪なんだろうか」黙り続けるのも辛くて、幸視は抽象的な話にした。そしてこう続けた。「たとえば、ブスを見た時とか」


 実際にブスであろうとなかろうと女子に聞かれたり、あるいはや教師に聞かれたら殺されそうな、こっちのほうがよほどひどい話である。だが男子同士の話ではあるし、こんな話を使って父親の話であることを隠しつつ、相談をしようとした。

 全てを話すには生々しすぎた。


 広田は絵梨のほうをチラリと見た。この動きは幸視には不快だった。絵梨はブスではない。

「しょうがないんじゃないの? それは」

「差別ではないんだろうか」

「内心で思うだけならいい。だが、それを当人の前で口に出したらだめだ」

 大変な模範解答だった。広田のどこにこんな真面目さが詰まっているのかと思うような、完璧に模範な回答だった。


 そもそもこの幸視のキモい、という感情自体、勝手な推測のその向こうに生まれる予定のものだ。

 どういうことかというと、自分が確かに母親の生まれ変わりで、それを父親が認め、さらに性別や血縁による障壁を越えた感情を幸視に向けた――という仮定を重ねた場合にのみ発生すること。

 それを予測してキモがるのはどうなのだろう。


「前世が誰だかわかったとか?」

 すう、と的確なナイフのように静かに刺してくる。今日の広田が妙に賢く見える。

「つらいことか?」

「つらくはない」

「わかったんだな」

 つらいかつらくないか判別できるなら、誰だかわかったと答えたと同じこと。不思議とゆっくりと優しく、幸視の逃げ道を塞いでゆく。


「……母さん、らしい」

「母さんって……亡くなった?」

「うん」

「……そんなことが……ありうるのか……」運命とか、そういうセンチメンタルな話を感じてくれたのだと最初幸視は思った。「お前の母さんはお前と引き換えに命を落としたと言ったよな? もし魂なるものがあるとして、同じ魂が引き継がれることが生まれ変わりなのだとしたら、どの瞬間に引き継がれたんだ? というか――」

 センチメンタルではなくてずいぶんと科学的な話だった。

「お前は胎児の時はずっと……からっぽの容れ物だったことになる」


 からっぽ、という言葉は大変に響きの悪い言葉で、悪意はなくともそれはダイレクトに、幸視の心を揺さぶった。幸視は下まぶたが震えるのを感じた。


「ごめんごめん」広田はすぐに気づいて、幸視をいたわった。ごく自然に、広田の手のひらが幸視の頭に伸び、まるで猫を愛でるようにぽんぽんと慰めた。慰めようとした。


 だが、その手が頭に触れた瞬間、幸視はびくりと反応して、また身体を引いてしまった。広田は出した手を引っ込めた。


 幸視は、その日あまりにも、同性に触れられることにナイーブになっていた。

 もちろん、異性に触れられたら、特に絵梨に触れられたりしたら正常で居られるわけではないのだけど、そちらはずいぶんとおめでたくも微笑ましい狼狽になるのに対して、同性に触れられる狼狽は違っていた。


 父親に対して抱いてしまった、おそらくは間違っている違和感。違和感、などという言葉は誤魔化しで、有り体に言えば嫌悪感が、幸視を悪い意味の狼狽に導いてしまっていた。

 そんな間違ったことしか考えられないのなら、今の幸視こそからっぽなのかもしれない。そんな考えが言語化されないまま幸視の頭の片隅を占めた。


 その日、それ以上は二人は会話しなかった。特に身体に触れることもなく、目を合わせるでもなく、ただ友達としてそばにいる。それだけの時間が流れた。

 午後の空気が静かに二人と、周りのクラスメイトたちの間を通りぬけていき、人も風も優しく、そのまま午後の授業が始まっていた。

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