3 恋の歌は恋を連れてこない
幸視は広田に夢の話をすることにした。いささか一人で抱えるのには重くなってきていた。話してどうなるというものでもないが、精神的に楽になるというやつを選んだ。
「気づいたんだけど、忘れないんだよね」
「忘れない?」
「普通夢の内容なんて、書き留めるとか、頭の中でしっかり復習するとかしないとすぐ忘れちゃわない?」
「確かに」
「それが忘れない。そりゃ細かいことは忘れるけど、昨日現実に起こったことぐらいには、忘れない」
「じゃあ現実かも知れない」
「夢だよ」
「こう思ったことはないか。今いる世界のほうが、毎回続きがある性質を持つ夢で、夢だと思っているほうが不連続な性質を持つ現実だと」
まあそう考えられないこともないが、屁理屈だよね。という思いを口に出したら揉めそうなので幸視は反論はやめておこうと思った。だが黙っていると広田はどんどん調子に乗ってくる。
「でも同じ女の子ってことは……不連続どころか連続してるのかもしれないぞ」
「前の続きにはなってないだろ」
「いや、続いてるんだけど、時間軸のどこに飛ぶかわからないと考えれば。きっと夢がパラレルワールドとの架け橋に」
だんだんSFオタク談義じみてきた。それはそれで見ていておもしろいけれど。あまり深く付き合ってはいけないが、言わせるぶんには言わせておけばいい。
というか、幸視の、あの女の子は自分だ、という直感が合っているなら、幸視の性別が変わったパラレルワールドか…… しかしいくらなんでもパラレルワールドというのはさすがに風呂敷がでかすぎないか。
「……でなければ前世だ」
広田は幸視のそんな心を見透かしたように少しだけスケールダウンした。
「前世?」
いやそれでも風呂敷は大きいけれど、パラレルワールドよりは信じられるように幸視には思えた。おまけに性別が違うのもより納得しやすい。
もちろん、それを鵜呑みにしたわけではない。
だが、その世界について、年代を表しそうなものがないか、ということを今まで幸視は全然考えていなかった。今度見る時に気をつけてみようと幸視は思い、いいヒントを貰ったことに感謝した。そういう、世界を知るための手掛かりを少しずつ掴んでいけば、何かわかってくるかもしれないではないか。
幸視はまたあの女の子の世界にいた。
幸視はどうにかして、目を凝らした。女の子ではなく、女の子の属する世界を見ようとした。だが、意識すればするほど、視覚情報はつかみどころがなくなり、曖昧になっていった。
ふと、そこに何かが滑り込んできた。何か最初はわからなかった。耳のあたりをそこは通っていった。
見る……というものではない。
ああ。音だ。音楽だった。
「歌だ……」
恋の歌だった。少し前までの幸視は聴いてもぴんと来ないに違いない歌だ。それがその歌詞の言葉のひとつひとつが、幸視の小さなこころを締め付けた。
甘い歌ではない。切ない恋の歌だ。人を想う、圧倒的で、そして誰にも伝わることのない、孤独な、しかし澄んだ歌。
目が覚めて、見慣れた天井を見ても、音楽はボリュームを下げて、頭の片隅で何度もループしている。
「古い歌知ってるんだなぁ」
幸視の父親がそう話しかけたのは夕飯のあと、幸視がソファでぼんやりとしていた時のことだった。
「古い歌?」
「二十年くらい前に流行ったな。今では全然聴かなくなったから驚いた」
そう言われて初めて、幸視は自分が例の歌を無意識に口ずさんでいたことに気がついた。やけに耳に残るメロディだったとはいえ、幸視は繰り返し自分の胸を締め付け続けていた。
――ということよりも。
「二十年前!?」
父親はびっくりして身構えそうになったが、息子相手に警戒をすぐに解き、どうした? と心配した。
「――いや――何でもない……」
前世が、などと言い始めたら、もっとずっと心配させてしまう。
どこで聞いたか覚えてない、とごまかしつつ、曲の題名を聞きスマホで歌詞を検索した。
歌詞どころか、おそらく二十年前にはなかっただろう、動画投稿サイトの合法かどうか怪しい投稿で曲そのものに触れることができた。
しっかりと歌詞全体を把握して、確かに良い曲ということがわかる。何度もその曲を再生した。これほど心に染みるのは、それが良い曲だから――それだけだろうか? 幸視の心に疑念が生まれた。
世の中には他にも名曲が数知れずあるのに、なぜこんな――。
この感覚は、そう……
〝懐かしい〟
その言葉に気づいたとき、幸視はたじろいだ。
前世、という、冗談交じりの会話だったはずの広田の言葉がますます重くなってきたのだ。
あの女の子はいったい誰だ。
そしてもうひとつ気になることがある。
〝けいちゃん〟は一体誰なのだろう。
そしてさらに気になるのは、あの女の子の〝好き〟という気持ちはどうなるのだろうということだった。
もし、幸視がその女の子で、女の子の記憶をあらかた思い出したとして、一方幸視は男の子で、好きな女の子がちゃんといる。
記憶と感情は、全然別のものだろうか。
たとえば昔好きだったテレビ番組が、なぜこんなものが好きだったのだろうと思い出す感じで冷ややかに記憶を見つめるのだろうか。
今幸視が、絵梨を好きだという感情も、たとえばまた生まれ変わったりして、またたまたま思い出せたとして、そのドキドキする、締め付けられるような感情は消えて、ただ締め付けられたという乾いた記憶でしかなくなるのだろうか。
たとえば、もし幸視が、〝けいちゃん〟と会ったとしたら――。
可能性を考えればいくらでも考えは湧くが、これはさすがに飛躍しすぎだった。
女の子が幸視の前世であることを認めたとしても、そしてそれが二十年前だというのが確かだとしても――。
確かに、女の子は死んで生まれ変わっても、〝けいちゃん〟はこの世のどこかで生きているかもしれない。
だけど日本中、どこの誰ともわからない人を、探し当てることなどできるはずもない。
よしんば出会ったとしても、女の子が死んで、〝けいちゃん〟はとっくに他の誰かと結婚して、幸せに暮らしていることだろう。
こんなことを考えることは意味がない。
恋は、女の子と共に死んだのだ。
恋は永遠ではなく、命尽きるまでしか賞味期限はない。
しかしそこまで考えてもまだ、幸視は自分の今の恋の価値までに思い至るには幼すぎた。
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