第76話 比叡山延暦寺に到着

 山科本願寺の門前町を出立し、私たちは近江国へ向かう。山科から街道を進み、有名な逢坂の関を通過し、近江国へと入った。

 近江国に入ると、琵琶湖が目に入る。室町時代になってから、ぽつぽつと琵琶湖と言う呼称が使われ始めた様だが、淡海と呼ぶのがこの時代では一般的だ。


「これが淡海か……」


 目の前に大きな湖が広がっている。前世で、琵琶湖を訪れたことがあるが、湖畔が開発された琵琶湖とは随分と趣が異なっていた。

 江戸時代以降の様に大規模な干拓事業も始まっていないため、琵琶湖が大きく感じられる。都では目にすることの出来ない光景を眺めながら、坂本へと向かう。


 道中、三井寺に立ち寄ったが、こちらも大いに栄えていた。古くから厚い信仰を受ける三井寺は、乱世においても力を持っている様だ。

 人が多く賑わっている門前町を観て回る。今日は三井寺の門前町に一泊し、坂本へは明日向かう。急ぐ様な旅でも無いので、見聞を広めるためと、ゆっくり旅を楽しんでいるのだ。


 翌日、三井寺を出立した私たちは、街道を進み、目的地の坂本へと到着する。比叡山延暦寺の門前町である坂本も、山科本願寺や三井寺の様に栄えていた。戦国時代は、大きな仏教勢力の保護下にある門前町の方が、平穏で繁栄しているのかもしれない。

 畿内一円は、細川高国と細川晴元が細川京兆家の家督を巡って争ったことで、荒れており、都も治安が悪化している。足利公方がよく逃げ込む近江の国の方が、畿内より平穏で過ごしやすいのかもしれない。

 坂本の門前町を軽く観て回った後、横川にある恵心院へと向かった。恵心院へ赴き、用向きを伝えると、中へと案内される。恵心院の一室で待っていると、管理役と思しき僧が入ってきた。


「近衞家の若様、ようこそ御出くださりました。私が恵心院にて、若様のお世話をさせていただきます」


「うむ、よろしく頼む」


 部屋に入ってきた僧が、私の世話役の様だ。私は世話役の僧から、恵心院での生活について説明を受ける。

 暫くは、恵心院で生活し、坂本での生活に慣れる様だ。慣れた後に、剃髪をし僧となるとのことである。剃髪するまでは、僧となるための基礎的な修業が行われる様で、剃髪してから、本格的な修行が始まるらしい。

 その後、恵心院の中を案内され、施設などの説明を受けた。


「ところで、天台座主様に御挨拶することなどはあるのか?」


 世話役の僧から、質問があるか尋ねられたので、私は天台座主に挨拶する機会があるのかを尋ねる。


「天台座主様への御挨拶にございますか?延暦寺での儀式が執り行われる際には、天台座主様もいらっしゃるので、近衞家の若様なら、御挨拶されることになると思いまする」


「左様か。門跡の法親王であられたはずなので、御挨拶しない訳にはいくまいな」


 ここ数代の天台座主は、皇族の法親王が任じられている。そのため、都にある門跡であるので、普段は都におり、比叡山延暦寺で儀式がある際に、都からやって来るのだ。

 皇族の門跡が天台座主になるのが続く前は、清華家の三條家や大徳寺家出身の者がなっている。摂家では、二條家や一條家の者がなることが多い様だ。因みに、近衞家出身の天台座主は、約百年ほど輩出していない。


「若様のおっしゃる通り、天台座主様は門跡の法親王でらっしゃいます。されど、天台座主様は都におられますので、暫くの間は気負われずに御修行されるのがよろしいかと。若様は坂本へいらしたばかりですので、修行の他は、門前町でも観て回られるのは如何でしょうか」


 世話役の僧は、天台座主は都にいるので、気負わずに修行した方が良いと言われた。私が都から来たばかりであることから、坂本の門前町を観て回った方が良いと勧めてくる。


「御坊は坂本の門前町を観て回ることを勧める様だが、山上には観て回るところなどあるのだろうか?」


「山上に行っても、何か珍しい物があるとは申せませぬな。山上には、根本中堂と大講堂ぐらいしかございませぬ。そこにおるのも、根本中堂と大講堂を世話する者たちぐらいにございます。多くの者たちは、麓の坂本で修行をしておりまする」


 比叡山延暦寺の山上は、根本中堂と大講堂があるのみで、ほとんどの僧たちは麓の坂本で修行しているそうだ。


「山上には、根本中堂と大講堂しか無いのか?かつては、壮大な伽藍が立ち並んでいたと耳にしておるが」


「明応8年(1499年)に、細川京兆家の細川政元に焼き討ちされた際に、根本中堂・大講堂・常行堂・法華堂・延命院・四王院・経蔵・鐘楼など、山上の主要伽藍は焼け落ちております。その後、再建されたのは根本中堂と大講堂のみございまする。残りの主要な伽藍は坂本へ降りてしまったのでございます」


 世話役の僧の話では、細川京兆家の天狗こと細川政元によって、比叡山延暦寺が焼き討ちされた後に、再建したのは根本中堂と大講堂だけだそうだ。かつて山上に聳え立っていた主要な伽藍は、今では坂本に降りてきてしまっているとのことである。比叡山延暦寺としては、山上にかつての伽藍を再建する気はなさそうだ。

 確かに、山上で再建するにしても、麓で建てるよりも費用が掛かる。僧たちの生活も麓の坂本での方が費用や手間が少なくて済むのかもしれない。合理的と言えば合理的なのだろうが、それで良いのかとツッコミたくなる。

 乱世と言う時代だから、仕方無いと言えば仕方無いのかもしれないが、こう言ったところが堕落していると思われたところの一因なのかもしれない。


 斯くして、比叡山延暦寺での私の生活が、恵心院で始まったのであった。早く比叡山延暦寺を脱出して、美濃国へ入りたいと願うばかりだ。

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