第30話 伊達植宗の陸奥守護就任

 服部半蔵を召し抱えてから、月日は経ち、年の瀬を迎えていた。

 服部半蔵たち服部一族のお陰で、旧松殿家の家僕の中で、誰が私に不満を抱いているか、信頼出来ない者かが分かった。この報告は、今後の旧松殿家の家僕たちの運営で参考になるだろう。

 旧松殿家の荘園についても、報告を受けたことで現状を理解することが出来た。大体は旧松殿家の家僕たちの報告と相違ない様で、少しは安心している。キカラスウリの栽培も順調な様だ。

 旧松殿家に関しての服部一族からの報告は有意義なものであった。


 服部一族のたちに命じていた他の商業地域や商人たちの情報収集についても、それなりに良い情報を得ている。商人では得られない情報を得たことで、傘下の商人たちの利益に繋がるなど、私への上納金が増えるため貢献してくれていた。

 私が傘下の商人たちに、投機や商いに資する情報を提供出来る様になったことで、私の商人たちへの影響力が強まる様になったのは良いことだと言えるだろう。

 傘下の商家に付けさせ、商人や労働者のふりをさせている素破たちも、商家から労働の対価を得るなど、皆が得をしている状況だ。


 私個人としては儲かっているものの、よろしくない状況なのは、近衞家の荘園の押領が続いていることである。

 近衞家の荘園が押領されることで、キカラスウリの供給が減り、傘下の白粉商人に卸す栝楼根が減っているのだ。材料の減少により、生産量も下がり、価格も上がっている。

 近衞家での使用分もあるので、白粉商人から得られる利益は減る一方であった。今では、白粉商人以外の傘下の商家から得られる利益の方が多い。

 そのため、近衞家は儲からず、私個人は儲かる状況になっている。


 個人的な修養においては、武芸や軍学は伸びているものの、教養では和歌や連歌など芸術系の教養が苦手になってきている。21世紀を生きてきた感性だと、上手く感じ取れないところがあるのだ。こればかりは諦めるしか無いのだろうか。



 12月7日に伊達稙宗が陸奥守護に就任したことで京の都では少し話題になっていた。何故ならば、足利公儀には前例の無い陸奥守護職に就いたからだ。

 しかし、京の都から遥か遠くの東北地方の大名の話題であり、公家衆たちの間では、伊達稙宗への関心は然程高くは無い。

 どちらかと言えば、東北と関わりのある武家たちの方が関心が強いだろう。

 私は、有名な伊達政宗の曽祖父であり、後々のことを考えると、それなりに関心がある。


 伊達稙宗は、長享2年(1488年)、伊達氏13代当主の伊達尚宗の嫡男として誕生した。元服の際には、慣例により11代将軍・足利義高から偏諱の授与を受けて高宗と名乗っている。足利義高は後の足利義澄のことだ。

 永正11年(1514年)、伊達高宗は、父の伊達尚宗の死去に伴い、伊達氏の家督を相続して14代目当主となる。

 同年、羽州探題の最上義定を長谷堂城にて破り、義定の室として妹を送り込んだことで、実質的に最上氏を支配下に置いた。

 永正14年(1517年)、将軍職に復帰した10代将軍足利義稙の上洛祝賀の為として、多額の進物を送っている。そして、細川京兆家当主の細川高国を通じて、一字拝領を願い出た。一字拝領を許された伊達高宗は、偏諱を受け、名を稙宗に改めている。

 その際に、一字拝領と共に、左京大夫に任官されたのであった。左京大夫の官位は、元々は奥州探題の大崎氏が世襲する官位である。しかし、この官位を伊達氏が得たことは、大崎氏に名実共に取って代わったことを足利公儀に認めさせたことを示すこととなったのだ。

 伊達稙宗は、足利公儀との結びつきを伊達氏の家格上昇に利用していく。そして、東北地方の有力大名との婚姻外交を駆使するとともに、葛西氏や岩城氏などと争い、勢力を急激に拡大させていった。

 永正17年(1520年)、最上義定が嗣子無く死去すると、義定の未亡人を介して伊達稙宗が影響力を行使してくることを嫌い、最上家の家臣たちが反旗を翻すこととなる。

 そして、伊達氏と最上氏の対立が起こると、伊達稙宗は破竹の勢いで、上山城、山形城、天童城、高擶城と言った諸城を落としていく。

 大永元年(1521年)、伊達稙宗は、葛西・相馬・岩城・会津・宮城・国分・最上の軍勢を集結させ、寒河江を攻めることとなる。そして、伊達連合軍の軍勢は、高瀬山から八幡原にかけて陣を敷いた。

 伊達連合軍の滞陣は一ヶ月に及び、伊達氏と寒河江氏の両者は、戦火を交えること無く

和議を結んだことで、伊達連合軍は引き上げている。この戦いにより、伊達稙宗は最上郡及び村山郡南部を伊達氏の傘下に入れたのであった。

 そして、今年の12月7日に、足利公儀において前例のない陸奥守護に補任されたのである。同月、伊達稙宗の元には、将軍の足利義晴から代始祝儀の返礼が届けられたのであった。

 東北地方では、伊達稙宗が飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大している。東北地方には足利一族の名門大名たちが多いので、公儀など中央に及ぼす影響は、それなりに大きいことだろう。

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