魔獣襲来

第20話 森の異変(一)



 その日、ゴブリンの少年ロタは、海に突きだした半島の中ほどにある集落を後にすると、森の西側に広がる草原へと向かっていた。

 久しぶりに、大好物である赤バッタを食べたくなったのだ。


(ニャウっていったかな、あの人族のお姉さん。またあそこで会えるかな。だけど、あの白い魔獣にだけは会いたくないなあ、ちっちゃいのにすごく狂暴だから)


 小さな魔獣にひっかかれた顔を撫でる。すぐ薬草を塗ったのが効いたのか、顔の傷は、すでにそのほとんどが消えかけていた。

 

(だけど、あんな魔獣初めて見たぞ。ジル爺も知らない魔獣なんて珍しいんだな。あんなにちっちゃいくせに、なんだかやけに強かったし)


 考え事をしながら歩いていても、森の中では音を立てない。

 これは村長のジルから教わったゴブリンの知恵だ。

 だからこそ、ロタ少年の耳は何かが立てるかすかな音をとらえることができた。


(ん? 森狼もりおおかみかな?)


 用心しながら、右前方から聞こえてくる音へ近づいていく。

 もし危険な魔獣なら集落に知らせなければならないし、脅威にならない魔獣なら狩って今日の食事にできる。

 ところが、音に近づくにつれて、ロタの顔には次第に緊張以外のものが浮かびあがってきた。

 恐怖だ。


 木立の向こうには小さな沼地が広がっているのだが、その周囲を無数の魔獣がとり囲んでいたのだ。

 魔獣たち種類も大きさもばらばらで、普通ならこんなに密集していれば互いに争うはずなのに、なぜかじっと動かないでいる。

 こうしている間にも、森のどこかから現れた魔獣が、次々と群れに合流していく。

 そして、ロタはさらに信じられないものを目にしたのだった。


 帽子をかぶり顔に極彩色の模様をつけた、人族らしき姿が魔獣の群れをかき分け現れたのだ。

 魔獣はそいつに襲いかかりもせず、むしろ道を作るように左右へ分かれていく。

 魔獣がつくったその道を、妖しくも不思議な人物は沼へ近づいてきた。


 そいつは沼の近くにある岩の上に腰を下ろすと、懐から取りだした横笛を口に当てた。

 笛から流れだした曲は、どうみてもこの場にそぐわないアップテンポで明るいものだった。 

 驚いたことに、笛の音に合わせ、魔獣たちがゆらゆら体を揺らしている。

 それは、まるで音楽を楽しんでいるかのようだった。

 いつしか笛を吹くのをやめた怪人は、ロタが身を隠した大木の方へ視線を向けると、小さいがはっきり聞こえる声でこう言った。


「そういえば、この少し先の半島に、ゴブリンの集落がありましたね。タイラントの街を襲う前に、ゴブリンたちはこの子たちの餌となってもらいましょうか」


 そして、手にしていた笛でロタが隠れているところをピタリと指した。


「そこで隠れているゴブリンさん。私の声が聞こえていますね。いいですか、今日から六日後に、あなた方の集落にこの子たちをけしかけます。集落から逃げるもそこに留まるも、好きになさい。では、さようなら」


 この人物がこのような申し出をするのは、これが初めてではなかった。これまで滅ぼしてきた街や村でも、人々がもがき苦しむ様を眺めて楽しんできたのだ。

 あまりのことにロタ少年が呆然と立ちすくんでいるうちに、極彩色の人物は溶けるように岩の上から姿を消した。

 魔獣の群れはといえば相変わらず、沼の周囲でおとなしくしている。

 怪人が現れる時にできた、魔獣たちの隙間を、無数の小さな生きものが走りさるのが見えた。


(あれは、ねずみかな? とにかく、少しでも早くこのことを村のみんなに知らせないと!)


 ロタは、はやる気持ちのせいで大きな足音を立ててしまったが、魔獣たちは、それでも彼に見むきもしなかった。

 ゴブリンの少年は自分の集落へ向け、森の中を転がるように駆けていくのだった。



 ◇


 森の異変は、タイラントの冒険者ギルドでも把握していた。

 様々な依頼で森へ入っていた冒険者たちが、いつもとは違う森の様子を報告していたのだ。


「いつもなら何匹も姿が見られる、ラビット系モンスターの姿がなかった」

「行き帰りで一度は襲ってくるフォレストウルフが、何度森へ入っても現れなかった」

「いくつも罠をしかけたが、一匹も魔獣がかからなかった」


 一つ一つ見れば、なんのことはない情報だが、それらをまとめてみると、森の異変がはっきりと浮かびあがってくる。

 そんな時、一人の銀ランク冒険者から決定的な情報がもたらされた。

 

「森の奥深く、沼の周囲に無数の魔獣たちが集まっている」


 その情報が入ってすぐは、ダンジョンスタンピード、つまりダンジョンから大量の魔物があふれ出す現象かと疑われたが、森に集まった魔獣たちに動きがないことと、最も近いダンジョンでも、山脈を越えた迷宮都市にしかないことから、その考えは捨てられた。

 冒険者ギルドは高ランク冒険者を招集すると、原因のわからない魔獣の群れにどう対処するかについて会議を始めた。

 

 ◇


 森の異変は、駆けだし冒険者たちにも影響を与えた。

 タイラントの街を囲った石造りの防壁、その東門の所では、門を背にした困り顔の衛士と興奮した様子の少女が向かいあっていた。


「えっ! 防壁の外へ出ちゃだめなんですか?! なぜそんなことに?」


「ああ通行禁止だ。防壁外の依頼は全てとり消しとなった。なんでも、森で魔獣の大きな群れが見つかったって噂がある。ゴブリン程度なら簡単に殺せるからいいんだが、万が一そうじゃないとなるとな……。

 疑うなら、それこそ冒険者ギルドへでも行って確認するといい。早くそこをどいてくれ。すぐに門を閉めなきゃならんのだ。こっちも忙しいんだよ」


 久しぶりに張りだされた薬草採集の依頼を受けて、ニャウたち四人が意気揚々と東門まで来てみれば、そこは通行止めとなっていたのだ。


「もーっ、せっかく乗りあい馬車で来たのに! 十銅貨(約千円)が無駄になっちゃうじゃない!」


 タウネは、大変ご立腹の様子だ。無駄足はまだしも、乗りあい馬車の運賃が無駄になったことが、我慢ならないらしい。

 

「タウネ、これってきっとなにか理由があるんだよ。薬草採集は諦めて、冒険者ギルドに行ってみようよ」


「ニャウは平気なの? お金を損しちゃったのよ。もう、腹立つわー、せっかくここまで来たのになんなのよ! こうなったら、帰りも乗りあい馬車しっかり使って、それをギルドに請求してやる!」


 とことん機嫌が悪いタウネは、いつもと違いニャウのとりなしも効果がない。 

 

「しゃあないよ。とにかく、ギルドに帰ってメイリンさんに事情を聞いてみようぜ」


「テトル、あんたやけに冷静ね」


 不機嫌なタウネの声に、少しびびりながら少年は続けた。


「ボ……俺なんか、一年近くドラドの理不尽に耐えたんだぞ。このくらいなんてことないよ」


「へえ、珍しくちょっとはリーダーらしいじゃない」


 ここらへんで、タウネもようやく頭に昇っていた血が降りてきたようだ。

    

「せっかくだから、乗りあい馬車の時間までこの辺りのお店でも冷やかしてから帰ろうよ」


 買いもの好きの彼女は、もう目を輝かせている。

 

「そうだな、そうしようか」

「買いものかあ、いいわね」

「おいら、なに買おうかな」


 新しい家にひっ越し、なにかと物入りのところだが、それでも冒険者となる以前とくらべると、四人の懐はずいぶんと温かい。

 彼らはタウネを先頭に、商店が軒を並べる方へ歩きはじめた。


 歩幅の関係で小柄なニャウはどうしてもみんなから遅れがちになる。

 そんな彼女がみんなに追いつこうと足を速めたとき、路地から跳びだしてきた小さな人影が、彼女の腰に勢いよくぶつかった。


「あっ!」

 

 ニャウはバランスを崩しかけたが、なんとか倒れずに踏みとどまる。

 ぶつかったのは、頭からすっぽりボロ布をかぶった小さな子どもだった。


「大丈夫? どこも痛くない?」


 ニャウは自分のことより相手のことを心配して声を掛ける。

 ところが、相手から返ってきたのは、人の言葉ではなかった。


「ぎぎぎ、ぎゃぎゃ!」


 ボロ布に開いた穴からのぞきこむと、そこにいたのは、なんとゴブリンだった。

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