闇に消ゆ

新宮義騎

第1話 賊徒

 碌に人の寄りつかない街中の空家で、六人の男たちが膝を突きあわせていた。みな前が開いた不織布フェルト胴衣ベストを肩から垂らし、細身の脚衣ズボンに短剣を携えている。刻は暁も近づく頃であり、卓に置かれた洋燈がひび割れた壁や床を照らしていた。

「獲物は目星をつけたとおり、今は向かいの館にいる。あとは手筈に従うだけさ」

「だが勘づかれちゃいねえだろうな。今日の的はそこそこでかい」

「びびってんのか。これまで親方からは、幾つも似たような役を任されただろ。だいたい肝心かなめのとこは、いつもみたいにこいつがいる。なあカーリ。お前はまさか、いちいち気を揉んだりはしねえだろ」

 話を振られたのは歳も二十歳を二、三ほど過ぎた、どちらかといえば背の低い若者。胴が細いわりに四肢は逞しく引きしまり、白い肌と長く切れる目尻がやけに際だつ。形は他の五人と似ているものの、両の腰に一振りずつ短剣を差し、胴衣や脚衣は飾りのない黒に染められている。髪や瞳も同じように黒いのと相まって、その姿は暗がりに佇むと影から顔や手足だけが浮きあがるように見えた。

「ああ。いつもと同じようにやれる。ただし事をうまく運ぶには、外へ気を引きつけてもらわなければ。頼み主はかなりの大口だ。親方を裏切らないように、皆もどうにか頼む」

 小さく目を伏せると、年嵩の組頭が肩に手を添えてきた。尻をしっかと椅子から持ちあげ、残りの四人を睨めつけてから太い声を低く潜める。

「その意気なら存分にやれるな。てめえらもちっとは見習え。俺たちは先に出むいて、お膳立てをしておくぞ」

 男たちは暗がりで顔を見あわせるや、順に空家から外へ出た。六人のうち五人は近くに繋ぎとめた馬に跨り、はじめは足音を殺しつつ静かに歩く。行く先には闇夜に二本の松明が赤々と燃え、しばらく様子を見計らってから勢いをつけ駆けだした。向かうは高い塀に囲まれ、隅々にまで贅の凝らされた大きな館。 門では二人の見張りが両脇を固めるも、片手に松明を持つだけでは止めるには至らない。身を翻し馬を避け、大声で叫びをあげるのが精一杯であった。

「出合え。馬泥棒の賊だ」

「早く来てくれ。五人もいる」

 ややあって家人などが起きだしたらしい、中から慌ただしく物音が漏れる。厩では馬がけたたましく嘶き、塀と館の狭い隙間を幾人もがそこかしこを歩くのが聞こえた。

 仲間たちが多勢を相手に立ちまわる一方、カーリは人目の届かないところで塀の前に立つ。両手に薄い手袋を嵌め、頬から顎までを布で隠し、懐から取りだした長縄を塀の飾りに絡ませる。片足を思いきり蹴って勢いをつけ、鳶のように縄を伝い上へ登った。塀の縁を少し歩いただけで、開けはなたれた二階の窓から中がやすやすと覗ける。

 部屋では主の商人あきうどが、寝間着のまま椅子に腰を下ろしていた。下男のほとんどは外に遣ったと見え、火の灯された燭台の前を年老いた召使いがひとりうろつくばかり。

「ここに来てすぐ馬泥棒に侵入はいりこまれるなど、とんだところに来たものだ。だから腕の立つ見張りをつけろと言いつけておいたのに、このざまは何だ」

「申し訳ございません。声はかけましたが、手の空いている者がおりませんでしたもので」

「まったくこの陰気な街は何だ。儲けられるからと喜んで来たが、こう息苦しくては気が滅入る。多いばかりの物乞いが、決まってあの神殿を拝みよる。篝火に照らされる姿が見事だからと、わざわざ夜中に寝床から這いだしてくるのも目障り、耳障りでならん。他の神々はいっさい崇めず、ああも火の神だけを奉られては、副王殿下も悩まれてしごく当たり前だ。前の奴もかなり儲けたようだが、やり方がまだまだ手ぬるい。私も甘い顔はせず、とことん絞りあげてやろう」

「旦那さま、気をお鎮めください。この地の者は深く用心しております。何も相手が乞食だけなら、誰も手心を加えずに済んでおります。また町衆まちしゅうには知られておりませんが、近ごろ都の外では謀反が相次ぎ、どれも容易く鎮められましたが、不穏の気配は未だ絶えず」

「だから私が叩きつぶしてやろうというのだ。かつてここを都としていた奴らを、辱めてやれば見せしめにもなろう。貴族どもも殿下も必ず喜ばれるはず」

「しかしこのセルクの都には」

「また穴蜘蛛の輩の話か。何を恐れなければならぬのだ。大層に名を騙るが所詮は破落戸ごろつき、賊ではないか」

「その破落戸が乞食と手を組むために、私どもが悩まされてきたのです。どうか考えをお改めください。敵に回すのではなく丸めこむように、もしよい手段があれば褒美をと、副王殿下が都じゅうの臣民に触れまわるほど」

「黙れ。お前の話は聞きとうない。賊を捕まえられぬのであれば、探りでも入れてこい」

 召使いが部屋を出ていくのを見とどけ、カーリは獲物へ狙いを定めた。仲間と企てたのはこの商人の殺しであり、馬泥棒は館の護りを緩める目眩ましである。

 中でもカーリが要の役を負うのは身軽なだけでなく、他の者には滅多に備わらない力を生まれもつが故であった。身体の内に闇の魔力を蓄え、一たび解きはなつや辺りを暗闇に覆うのだ。もっとも何を労せずとも手足のように振るえたのでなく、覚えたての頃は労苦を重ねた。稽古を積んだ末にある文句を呟いてから呼吸いきを掴めるようになったが、とうに慣れたこのときも喉の奥で呪文を唱えている。

──月夜よ癒せ、全てのものを。闇夜よ隠せ、煩いを。

 すると窓から流れこむように、灯りの点るはずの部屋は暗闇の霧に包まれる。商人の目は暗がりに塞がれ、一面が漆黒の闇に染まった。

「何だ。いったい何が起こった」

 獲物が騒ぎだすが早いか窓から飛びこみ、短剣を一振りだけ右の腰から引きぬく。魔法の闇では使い手のみの目が利き、力を持たぬ者に抗う術はない。間を置かず口を押さえ頸もとをかき斬ると、血の吹きでる音とともに骸が倒れた。カーリはなお魔法を解かず、再び塀に飛びうつっては縄を伝い下へ降りる。

「大きな音がしたが、どうかしたか」

「大変だ。旦那さまが倒れている。誰かに侵入られて殺られた」

「賊を捜せ。まだ近くにいるはずだ」

 ようやく事が起こったのに気づき、外から人を呼んだところで遅い。召使いが戻ったであろう頃には、すでに路の上へ躍りでている。しばらく物陰を選んで路地裏を歩くうちに、先ほど馬泥棒の役を負った一人が駆けよってきた。

「どうだ。うまく仕留められたか」

「仕留めた。顔も見られてないが、親方のところへ行くのは念のため後にする。代わりに誰かを使いに出して報せといてくれ」

 短く答えてからさらに進めば、石畳の片隅に逃げ道が口を開けている。街の至るところに抜け穴があり、階段を通じて地下に繋がるのだ。網のように張りめぐるそれは、都に住まう市井の者もどこからどこに繋がるか知らない。ただカーリの属する一族郎党だけが、全ての道を抜け目なく辿れた。


 その夜を宿で明かしたカーリは、翌々日、何食わぬ顔で大通りを歩いていた。朝霧が晴れやらぬ中、いつもと変わらぬ街の様子が見える。

 どこまでも広がる石畳を、何台もの天蓋つきの貸し馬車や辻馬車が走る。中に腰かけるのはみな絹の礼服ドレス羽織サーコートを纏い、腕や指には宝玉ほうぎょくの輪を嵌めた貴族や富豪たち。どの顔も赤く血の気が差し、胴が樽のように肥えふとる者も少なからずあった。輌は幌までとりどりに彩られ、御者も厚く化粧を施し、馬などは毛の先まで輝くばかりに磨かれている。

 しかし転がる車輪の下には幾つもの骸が横たわり、多くは裸か襤褸を巻きつけたまま道端に晒されていた。死体にも腐るだけの肉など残されておらず、どれも朽ちかけた皮が細い骨に見すぼらしく垂れさがる。屍の傍には粗末な布を纏う乞食があり、あばら屋に隠れる者は寒さに震えつつ冷えた粥を啜る。病に罹っても医者を呼ぶ金すらなく、多くが街外れの長屋へ塵芥ちりあくたのように捨てられた。

 幾筋もの川と荒れ野に囲まれたこの地は、セルクの都と呼ばれていた。二重の空堀、長さ一リーグ半の城壁、五つの城門、二百三十もの塔を構え、広さは千二百エーカーに及ぶ。このひとつの都に異なる二つの民、実に四万八千の人々が家々を構えていた。

 もっともかつては町衆みずから兵馬を心得、代々に王を戴きセルクと名乗る国を築いていた。ところが百年ばかり前に南の大国に滅ぼされ、それまでの王侯はほぼ根絶やしにされた。以来、都には大国から寄越された副王が置かれ、生きながらえた民は法と武の力で虐げられてきた。多くの男は重い税を課されるために剣や槍を奪われ、見目のよい女は街を歩くだけで慰みものにされる。貧しさのあまり身を売る者も珍しくなく、このとき年端もいかない娘となりだけは豪奢な中年男が何組も目の前を通りすぎていく。

 情けとばかりに留めおかれたのは、都の中心ちかくに座し、火の神を祀る紅玉石ルビーの神殿のみ。それさえも向かいに見張りの塔まで建てられ、おいそれと近寄れもしない。だが民は誇りを踏みにじられてなお、信じていた。再び自らの王が現れ、辱めと縛めから解き放たれることを。

 その証とばかりに軒先から、蚊の鳴くような声でうたが聞こえる。

「かつて我らに王があり 輝ける名はウーゼル

 左肩に羊の聖痕をもち 迫りくる夷狄を破る

 セルクの都を打ちたてた後 長子にかむりを譲り

 程なくして何処いずこかへ去る

 民が喘ぎくるしむとき 再び舞いもどるとの言を残し」

 不幸せにも彼らがウーゼルを王と戴いた頃に国は栄え、数多の氏族がその下に集っていた。しかるに王を失ってからは、言い伝えが真のものとなるのを待ちこがれるのみ。氏族どうしが各々に長を立て、助けあうどころか富を巡り相争いさえする。

 いや血も分けぬ他人ではありながら、虐げられる民を助ける一党はあった。都に住処を置き、無頼をもって幅を利かせる男たち。前の開いた不織布の胴衣に細身の脚衣と揃いの衣装を派手に染めあげ、顔、腕、脚の数えきれぬ傷とともに道ゆく人々に見せつける。彼ら賊は〝穴蜘蛛〟と称し、様々な無法の行いに己の義を掲げていた。

「人を欺いてはならぬ」

「人を妬んではならぬ」

「裏切りをはたらいてはならぬ」

「親方の命に逆らってはならぬ」

「弱き者に手を出してはならぬ」

 一味はこの五つを謳い、加わるときは誓いを立て、疎かにする者や背く者には厳しい罰を下す。むろん義を騙るとはいえ、町衆から常にはありがたがられていなかった。裏で賭場を開いては博徒を呼びこみ、弱き者を助けると嘯きながら金次第で殺しまで受ける。商人を亡きものとしたのも油の値を釣りあげ、民を苦しめた罪を命をもって購わせるためであった。いわゆる陰働きで懐を暖めるならず者の集まりであるが、多くが目こぼしを受けるのは誰からも恐れられるゆえ。頭数は三百と取るに足らない代わり、必要とあらば貴族でも乞食でも脅しや強請ゆすりをかけ、人々がそれらを避けようにも呼び名に違わず、巣のように張り巡らされた地下の道を辿りどこからともなくも現れる。網の目が石畳の下にあるのに加え、彼らの在りようも断りなく家に住みつく蜘蛛にどこか似ていた。家主であるどちらの民も、命惜しさに下手には逆らえない。

 カーリが裏通りへ入ると、道端ではぼろ市が開かれていた。粗末な服を纏った売り主が石畳に襤褸布を敷き、似たような身なりの客や旅人が品さだめをする。窮民たちは店をもつ蓄えがないばかりか、お上から勝手の商いまで禁じられていた。

 にも関わらず市を広げられるのは、穴蜘蛛が息をかけているからに他ならない。ただで力を貸すのではなく、みかじめ料と引きかえに役人を遠ざけていた。素直にお代を払う者たちには符丁を渡すが、逆に拒む者は兵に引きわたす。穴蜘蛛たちは余所者が入らぬよう、店と店の狭い隙間を歩きまわっていた。

 しばらく市を眺めていると、どこからか覚えのある顔が近づいてくる。

「カーリ。無事に戻ってきて何よりだ。一昨晩は捕まらずに済んだな」

「ああ。策が功を奏してか、役人が嗅ぎつけた様子もない。だがあのあと皆はうまく逃げきれただろうか」

「少し前に親方のとこへ行って、それなりの金を置いていったらしい。急いで都の外へ飛びだして、示しあわせのとおり馬を売ったそうだ。少し蹄を傷めたせいで値切られたけど、思ったより稼げて潤ったってよ」

 カーリは仲間から耳打ちを受け、小さく胸を撫でおろした。足がつかずに事を終えられたなら、親方にも顔向けができようというもの。この場は立ちさろうとしたとき、後ろから肩に手をかけられる。

「ところで疲れてるところ悪いが、どうにか助けちゃくれねえか。あそこの奴が屁理屈こねて金を渡しやがらねえ」

「どうしてごね続けてるんだ」

「間違ってご婦人の手を踏んだのを、うまく言い訳にされてな。頭に血が上って大声だしたら、見事に臍を曲げられた。傍の奴らも調子づいて、汚ねえ野次を飛ばしてきやがる」

「なら行こう。他に難癖はつけてないか」

「持ちあわせがねえんだとよ。だからお代を払えねえそうだ。あの曲がり角の近くにいる」

 ひとくちに無辜の民といえど、ときにしらを切りとおす、或いは強気に出て金を払わず居すわる者もあった。仲間が指をさしたのは、酒を飲みながら胴締を並べて売る初老の男。カーリはこのような厄介者を言いくるめ、片づけるのもしばしば任されていた。しばし計を案じ、すぐ足下に捨てられていた麻布を拾い、通りすがりの旅人を装う。

「ちょっとそこのを見せてもらえないか。特に右のやつは綺麗な色だ」

「どうぞいくらでも手にとってみてくれ。お兄さんもお目が高いねえ」

 気前よく勧められるまま、さも興味ありげにしゃがんだ。どれも値段なりの安物だが、わざわざ掌に載せては無駄口を叩く。

「しかし元値は張るだろうに、なかなかいい布を使ってるな」

「まめに街中を歩いて、お大尽が捨てたのを戴いてるのさ」

「柄はどうやって染めてる。あんたのところに腕利きの職人でもいるのか」

「かかあがうまく縫い合わせただけだよ。そろそろどれか決まったかい」

「ではこれを買おう。ただし今はこれしか持ってないから、悪いが釣りをくれないか」

 懐から金貨一枚を出すのに合わせ、男が財布から小銭を取るのを見逃さない。ここぞとばかりに麻布を取りはらい、腰を上げ声色を俄に変える。

「言い忘れたが、俺はさっきの奴の仲間でね。どうもお代を頂けないと聞いて、わざわざここまで来たんだ」

「汚ねえぞ。そんなの一言もなかったじゃねえか。おまけに形まで隠しやがって」

 狼狽えた男は声を荒げかけるが、早くも顔からは血の気が引いていた。穴蜘蛛に弱味を握られるのがいかに恐ろしいか、はじめて身をもって思い知ったらしい。

「話によると持ち合わせがないから、払えないという話じゃないか。ところがどうだ。あんたは釣りの細かい金まで持ってる。役人の許しを得てないあんたたちは、本当は商いなんてできないはずだ。そこを俺たちが間に入ってうまく都合をつけてるのに、持ちつ持たれつの仲に紛れて裏切ろうとした。逃れられない不心得だな」

 いちいち凄むまでもなく、黙ってみかじめ料が差しだされた。他の者であればさらにつけ込み、無理難題を突きつけているところである。しかしカーリは事が収まったとして、背を向けながら軽く睨みをきかせる。

「もし俺たちの仲間なら、掟破りの罰が下されてるところだ。だがお前は堅気だから、今日のところは許してやる。二度とふざけた真似はするな。もしやるなら酒は飲まずに我慢しろ。酔うとすぐにぼろが出る」

 男が大人しく俯いたのを見やり、仲間たちが歩みよってきた。だがやり込められた貧民たちは声にこそ出さないものの、刺すような眼差しを向けてくるのが分かる。ただでさえ苦しい懐を、ならず者に痛めつけられては快いはずがない。仲間から助けを求められたとはいえ、居心地の悪さに耐えかね急ぎ足でぼろ市を去った。

 気を紛らわせようと路地裏を歩くうち、程なくして都の大通りに突きあたる。表には様々な店や貴族の館が連なり、行きかう人は溢れんばかりに多い。賑わいを見せるそれらの道は、北の城と五つの門からそれぞれ伸び、都の真ん中にある広場で交わっていた。

 カーリがそこに差し掛かったとき、ちょうど旅の一座が見世物に来ていた。ある者は奇術を得意げに見せつけ、ある者は袋笛バグパイプなどを吹きならし、またある者は見なれない生き物に首輪をつけて辺りを連れまわしている。

 町衆はその周りに群がり物見するも、全てが等しく扱われるわけではない。傍にいられるのは金を払える貴族や商人だけであり、下々は人混みの外から指をくわえて遠巻きに眺めている。貧しさゆえ楽しみを奪われるのが憐れに思われるも、忌みきらわれる賊の出る幕ではないと、深く立ち入らずに通りすぎようとした。

 だが幾つかある見世物の中に、曲芸投ジャグリングがあるのがふと目に止まる。四本の懐剣ナイフを順に放り、宙に浮かせては柄を掴んでまた投げる。裏の者には取るに足らない芸であっても、町衆からはそれなりの拍手が鳴った。差しのべた帽子に金貨銀貨が投げいれられ、芸人は舌も滑らかに口上を述べる。

「さてご覧に入れたこの技を、お出来の方がいらっしゃいますか。もしお見せくださいましたら、皆さまからのお代をそっくり差し上げましょう」

 カーリはしばらく人混みに紛れ、誰かが名乗りでるのを待った。それでもなお町衆が芸を眺めるだけであるのを確かめると、胴衣を腰に巻きつけ短剣を隠しながら芸人の前まで進みでた。

「俺でよければ試していいか」

「どうぞお兄さん、こちらへ上がって。さあ私がやりましたように、まずは試してみましょうか」

 軽い物言いで渡された懐剣は、刃に焼きを入れられていない。軽々とした足どりで台に登り、少しばかり肩を回したあと懐剣を上へ投げる。

 右手は一本目を投げ左手からの二、三本目を受け、放ると四本目を飛ばす。左手は落ちてくる一本目を掴み右手へ受けながし、どちらも同じ動きを繰りかえす。観衆はぽっと出の者が、造作なく芸を真似たのに大きな拍手を贈った。

「お上手ですね。かなり筋がよろしいようです。私の一座に入りませんか」

「いいや。ひとまずは、ここで暮らしてるからね」

「残念です。でもいい話がありますよ。今度は私が五本でやります。もしお兄さんも出来ましたら、差しあげるお金を倍に増やしましょう」

「面白そうだ。ぜひ乗ろう。俺もちょうどいい稽古になった」

 芸人は懐剣を五本に増やし、再び曲芸投をはじめた。どうにか取り落とさずにいるが、腰がひどく覚束なくふらつき、今にも台の下へ足を踏みはずしそうである。

 どうにか無事に済ませた芸人の後で、カーリはまるで同じように真似た。拍子をつけながらたいを崩さず、先ほどより長く見せつけてから締めに四本とも指で柄を掴んだ。だがこれだけでは終わらず、顔を引きつらせた芸人の前で懐剣を掲げた。

「こんなのはただの子供だましだ。いいか。よく見ておいてくれ」

 左手を脚衣の衣嚢ポケットに入れ、糸くずが何本も絡まったのを町衆に差ししめす。続いて指を広げて糸を張り、上から右手の懐剣で何度も手元へ引く。作りものと分かっているカーリとは違い、町衆は本物と思いこんでいた。一筋も切れないのが明らかにされると、小声ながらに何人かの口から不平が漏れる。

「何だよ。本物かと思ったのに。金を寄越して損した」

「けっこうな芸だと思ったけど、うまく騙されたみたいだな」

 野次までは飛ばさないにしても、明らかに場は白けはじめた。多くは顔を背け欠伸をかき、背を向けて帰り支度をはじめる者も出る。カーリはその様を眺め、大きな身振りで手持ちの懐剣を衣嚢から出した。

「だがこの懐剣は違う。刃に触れれば怪我をする」

 今度は糸を上から押しただけで、ほとんど手応えもなく切れる。町衆はすぐに向きなおり、一様に黙って目を注いだ。

「もし約束が守られるなら、俺は金を頂ける。でもこのままじゃ皆は面白くないから、今度はこっちから話を持ちかけるとしよう。この刃のある五本の懐剣だけで同じように出来たら、今日の儲けを全部もらえるか。もちろん仕損なったときは、金はいっさい受けとらない」

 芸人は息を詰まらせるも、場の一同に押されてしぶしぶ首を縦に振る。通りすがりの男に見せ場を奪われたばかりか、客に愛想を尽かされたのだ。

「いいでしょう。ただし明日も芸をお見せするのに、私は手を傷つけられません。貴方が出来るかどうか、見とどけるだけにします」

 答えを耳にしたカーリは懐から残り四本を出し、三たび曲芸投をはじめた。一本を投げ、素早く後の数本を左から右の手に移し、矢継ぎ早に天たかく投げる。調子は先ほどといささかも変わらず、腕や手の動きに歪みも狂いもない。

 しかも半ばから投げ方をしばしば変え、様々な形で衆目を楽しませる。懐剣を宙で縦に回して段々に速さを上げ、縦に握っていた柄の持ち方も横に倒して放りあげるなどした。懐剣は舞うように宙を飛び、投げ手の見事な技に喝采が湧く。

「すごい。どうやったらぽっと出で、あれが出来るんだろ」

「きっと影で稽古してるんだよ。でなきゃうまくいくはずがない」

「あの若者も見栄えがいいしな。どさ回りの芸人よりよっぽど華がある」

「でも本当に綺麗だわ。人も懐剣も踊るよう」

 芸を終えたとき、辺りは歓声に包まれていた。帰ろうとする者は一人もなく、皆が立ちあがり拍手を鳴らしている。芸人は潔く白旗をあげ、ずた袋いっぱいの金を持ちだした。

「どう言い訳をしても私の負けです。たとえ貴方が玄人でも、約束どおりに差しあげますよ」

「遠慮しないよ。ありがたく頂く。じゃあこれは俺のものだから、どう使ったって構わないな」

 カーリは受けとり手を差しいれ、財布の口まで一杯に金貨を詰めた。残りは背に負って持ちかえらず、袋を足下に置いてじっと中を覗く。

「結構ですが、何をするつもりです。私の稼ぎは懐ひとつには入りませんよ。それだけあるんです。運ぶのが重いなら、馬車でも呼べばいいじゃありませんか」

「持ちかえりなんかしないよ。あぶく銭はこうするんだ」

 芸人の問いを遮るが早いか、袋の口を紐で結ぶなり思いきり放り投げた。ぎっしりと中の詰まったそれは、金持ちたちの頭を越えたところへ落ちる。

「行ったところは気まぐれだからね。早いもの勝ちだ。遠くの人が無理矢理に割りこむのはいけない。今日は運がなかったと、悪いけど諦めてくれ」

 カーリは吹いたが当てずっぽうではなく、袋をわざと遠くまで飛ばしていた。台を降りる間にも、鮮やかな立ちふるまいに歓声は高まっていく。とりわけ芸を見るのも阻まれていた者たちは、挙ってお零れに与るだけでなく、中には金を拾う手を止め跪く者まである。

 騒ぎはその場のみに留まらず、近くの家々へ広まった。居あわせた顔見知りが話を聞きつけ、撒いた金で気を晴らすつもりか、我先にそれぞれ酒を持ちよる。町衆は広場へ出るのは許されなくとも、陽も高いのに通り一本を挟んだ裏道で宴を開いた。

 いつしか飲み食いだけでなく、覚えのある者どうしで芸を演じた。見世物と比べて愚につかぬものもあれば、目を引く技まで様々ある。富貴の者は見向きもしないが、市井の者は老若男女を問わず入りまじった。いつもは利を漁る下々が手を取りあうのだ。

 むろんカーリも拒まれなどせず、金を分けあたえたとして強く誘われる。やがて町衆が輪舞ロンドをはじめるのに合わせ、腰から小さな横笛を出した。唇に当てて息を吹くと音が響き、場はいっそうに盛りあがる。

 カーリは飯や酒に手をつけず、町衆が散るまで笛を吹きつづけた。宴は夜が更けるまで続き、次の日が訪れる前にようやくそれぞれが家へと散った。。

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