第4話『追いかけっこしたいです。』

「これで体の前面もOKですね」

「俺も塗り終わった」


 氷織と話しながら日焼け止めを塗ったので、体の前面全てを塗り終わるまではあっという間に感じられた。


「日焼け止めも塗り終わったし、そろそろ遊び始めるか」

「そうですね。まずは何をしましょうか?」

「先月の海水浴では、まずは海に水をかけ合ったよな」

「そうでしたね。……あのときはちょっと大変でしたね」


 と、小さな声で氷織はそう言ってくる。氷織は頬を中心に顔をほんのりと赤くしていて。きっと、氷織が言う「ちょっと大変でしたね」というのは、少し高い波に飲まれたときに、氷織の水着のトップスが脱げて胸がポロリしてしまったときのことを言っているのだろう。同じ海水浴場に来ているのもあり、そのことを鮮明に思い出す。ちょっと体が熱くなってきた。


「そ、そうだったな。あとは……浮き輪やビーチボール、水鉄砲を使って遊ぶとか? ポンプも持ってきたからすぐに膨らませられるぞ」

「遊具を使って遊ぶのもいいですね。ちょっと迷います」


 ニコニコしながら氷織はそう言う。デート中なのもあるし、何で遊ぶのか考えるのも楽しいのかもしれない。


「待て待て~」

「捕まえられる~?」


 という男女の声が聞こえてくる。

 声がした方に顔を向けると、波打ち際で若い男性が恋人と思われる若い女性のことを追いかけている。そして、


「捕まえた!」

「捕まえられちゃった!」


 男性が女性のことを抱きしめて、2人は楽しそうに笑い合っている。仲睦まじい様子なので、何だか微笑ましい光景だな。


「仲睦まじい雰囲気ですね」

「そうだな。俺も思った」

「あと、あの方達のように波打ち際で追いかけて捕まえるシーン……漫画やアニメやドラマで何度か見たことがあります」

「あぁ……確かに、海に遊びに来たカップルのキャラ達がやっているシーンを俺も見たことあるよ」

「そうですか。……私、あれをやってみたいですっ」


 弾ませた声でそう言う氷織。ワクワクとした様子になっていて。氷織は漫画やアニメなどのシーンを再現したがる一面があるからな。波打ち際の追いかけっこはカップルですることだから、よりやってみたいと思ったのかもしれない。


「分かった。じゃあ、追いかけっこしてみるか。俺も氷織とやってみたらどんな感じが気になるし」

「はいっ! ありがとうございます!」


 氷織は嬉しそうにお礼を言ってくれる。やってみたい気持ちが強いことが窺える。


「よし、じゃあさっそくやるか。どっちが追いかける? さっきの男女みたいに俺が追いかけるか?」

「はい。明斗さんに捕まえられたいです」

「了解」


 俺達はレジャーシートの外に出て、軽く準備運動をしてから波打ち際に向かう。日差しが強いので暑さを感じるけど、その分、足元にかかる海水がちょっと冷たくて気持ち良く感じられる。

 2人一緒にレジャーシートから出たけど、はっきりと見えるくらいに近い場所だからまあ大丈夫かな。


「海水がちょっと冷たくて気持ちいいですね」

「そうだな。じゃあ、さっそくするか」

「はいっ」


 氷織は繋いでいる俺の手を離して、端の方に向かって離れる。こうして離れていくと、氷織を捕まえたい気持ちが膨らんでいくな。……よーし、捕まえるぞ。

 数メートルほど離れたとき、氷織は立ち止まり、俺の方に振り向く。


「明斗さーん。捕まえてくださーい!」


 手を大きめに振って、いつもよりも大きな声で氷織はそう言ってくれた。


「分かった。行くぞー」

「はーい」


 氷織が海水浴場の端の方に向かって走り始める。もちろん、遊びなので結構ゆっくりとした速度で。

 周りに人が全然いないことを確認して、俺は氷織よりもちょっと速い速度で走り始める。


「氷織ー。待て待てー」

「捕まえてみてくださーいっ」


 氷織はこちらに振り向きながら笑顔でそう言ってくる。

 何だろう。ゆっくりとした速さで氷織を追いかけているだけなのに凄く楽しいぞ。漫画やアニメとかで何度も見かけたり、さっきの男女がやっていたりしたのも頷ける。

 氷織にちょっとずつ近づいていき、


「捕まえた」


 俺は氷織のことをそっと抱きしめる形で捕まえた。

 氷織は俺の腕の中で俺の方に振り返り、


「捕まえられちゃいました」


 と、楽しそうな笑顔でそう言ってくれた。

 抱きしめているのもあって、氷織の笑顔がとても可愛らしく見えて。それもあり、吸い込まれるようにして氷織にキスをした。

 キスされるとは思わなかったのか、キスした瞬間に氷織の体がピクッと震えて。それがまた可愛くて。

 数秒ほどして俺から唇を離すと、目の前には氷織の優しい笑顔が。


「まさか、キスされるとは思いませんでした」

「捕まえられたって言ったときの氷織の笑顔が凄く可愛かったから……つい」

「ふふっ、そうでしたか」

「……追いかけて捕まえるっていうシンプルなことだけど、やってみると結構楽しいな」

「私も楽しかったです。明斗さんに追いかけられて、抱きしめられる形で捕まえられたときはドキッとしました。明斗さんに包まれている感じがしてキュンともなりましたし」

「そっか。アニメや漫画とかでこういうシーンがあったり、さっきの男女がやっていたりしたのも納得したよ」

「私もです」


 ふふっ、と氷織は声に出して楽しそうに笑った。


「あの、明斗さん。今度は私が明斗さんを捕まえてみたいです。捕まえるとどんな感じなのか試してみたいです」


 氷織は俺の目を見つめながらそう言ってくる。氷織なら俺を捕まえてみたいって言うと思ったよ。


「そうか。俺も氷織に捕まられたい。じゃあ、立場を変えてやってみるか」

「はいっ」


 俺は氷織のことを離して、海水浴場の中心の方に向かって離れていく。

 さっきの氷織と同じように、数メートルほど離れたところで立ち止まる。


「このあたりでいいかな。……じゃあ、氷織。逃げるから捕まえてくれ」

「はーい」


 周りに人があまりいないことを確認して、ゆっくりとした速度で走り始める。

 チラッと後ろを振り返ると、氷織が俺を追いかけてきて、


「待ってくださーい」


 と、楽しそうに声を掛けてくる。

 氷織が笑顔で追いかけてくる光景……いいな。楽しい。こういった時間を続けたい。ただ、今すぐに立ち止まって氷織に捕まえられてみたい思いもあって。さっき、氷織もこういう感情を抱いていたのだろうか。


「ははっ、捕まえてみろー」


 段々と俺に近づいてくる氷織のことを見ながらそう言った。

 それからもゆっくりとした速度で氷織に追いかけられて、


「捕まえましたっ」


 氷織にしっかりと抱きしめられる形で捕まえられた。そのことで、氷織の温もりはもちろんのこと、氷織の胸の柔らかさも感じられて。だから、結構ドキッとした。

 氷織の方に振り返ると、氷織はニコッとした笑顔で俺を見上げてきて。滅茶苦茶可愛いな。さらにドキッとさせられる。


「捕まえられちゃった」

「ふふっ。明斗さんを追いかけて捕まえるの楽しかったです」

「捕まえるの楽しいよな。……捕まえられるのもいいな。氷織が笑顔で追いかけるのも可愛かったし、氷織に抱きしめられたときはドキッとしたよ」

「そうでしたか。そう言ってもらえて嬉しいです」


 嬉しそうに言うと、氷織は俺にキスしてきた。

 さっき、俺が捕まえたときにキスしたので、氷織にキスされるんじゃないかと思っていた。ただ、こうして氷織に抱きしめられながらキスされるのはとてもいいな。しかも水着姿だから特別感があって。

 少しの間キスをして、氷織の方から唇を離す。氷織は満足そうな笑顔になっている。


「捕まえる方も楽しめてとても満足です」

「それは良かった」

「明斗さんと追いかけっこして楽しかったです。あのタイミングで追いかけっこをしていた方々に感謝ですね」

「そうだな」


 ありがとう。カップルと思われる見知らぬ男女の方々。


「せっかく波打ち際まで来ていますので、水をかけ合って遊びましょうか」

「そうだな」


 前回も氷織と水をかけ合って遊んだから、今回もやりたいから。

 氷織は俺への抱擁を解き、俺の右手を掴んで海の方へと引いていく。ちょっと冷たい海水がとても気持ちいい。

 俺の膝のあたりまでの深さまで来たところで、氷織は俺の手を離して、少し沖の方まで進んでいく。そして、太もものあたりまで歩いたところで俺の方に振り返った。


「さあ、いきますよ! それっ!」


 氷織は俺に向かって海水をかけてくる。

 ――バシャッ!

 海水は俺の上半身にクリーンヒット。この部分に海水がかかるのは初めてだから、冷たい海水がとても気持ち良く感じられる。


「気持ちいい! お返しだ!」


 俺は氷織に向けて海水をかける。

 さっきの俺のように、海水が氷織の上半身にクリーンヒットした。その瞬間に、


「きゃっ!」


 と、氷織は可愛らしい声を上げる。


「冷たくて気持ちいいですね! この海で明斗さんとまた水をかけ合えて嬉しいです!」


 と、氷織は爽やかな笑顔でそう言ってくる。


「俺も嬉しいよ!」


 俺は氷織に向かってそう言う。

 俺の言葉を受けてか、氷織は嬉しそうな笑顔になる。海水に濡れて、日差しに照らされているので、氷織の笑顔がとても輝いて見えて。氷織はいつも綺麗だけど、今はよりいっそう綺麗に思えた。

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