第12話『予想外』

 5月23日、日曜日。

 今日も朝からよく晴れている。今朝の天気予報によると、夕方から夜にかけて雷雨になる地域があるそうだけど、それは北関東中心とのこと。東京は雲が広がる可能性がある程度なので大丈夫だろう。

 今日は午前10時から午後6時までバイト。日曜日だし、最近は中間試験もあってバイトをしない日が続いたので、長時間のシフトを入れたのだ。

 午後には氷織が来てくれる予定だし、バイトの半分以上の時間は筑紫先輩と重なっている。なので、8時間のバイトもやっていけるだろう。

 日曜日で天気がいいからか、シフトに入った直後から多くのお客様に接客している。大変さはあるけど、時間は早く過ぎていくし、これはこれでいいなと思える。こういう思考になるのは、このバイトを始めてから1年以上が経ち、接客の業務に慣れてきたからだろうか。

 正午過ぎになり、昼からのシフトの店員がカウンターに来た。そのため、筑紫先輩と一緒に本日最初の休憩に入る。お昼時なので、まかないを食べながら長めの休憩を取ることに。


「今日は凄くいい接客をしていたね、紙透君。頑張っているね。あと、過去最高と言っていいくらいの笑顔だったよ」


 アイスコーヒーとまかないの照り焼きチキンサンドをテーブルに置き、椅子に座ったときに筑紫先輩にそんなことを言われた。


「そんなにいい笑顔をしていましたか?」

「ああ。君にときめき、テーブル席から君をずっと見ている女性のお客様もいたくらいだからね」

「そうだったんですか。接客に集中していたので気づきませんでした。あと、俺が氷織とお試しの恋人で付き合い始めた頃から、シフトが重なると俺の笑顔についてコメントするのが恒例になっていますよね」

「前にも話したけど、恋人の力は凄いと思ってね。しかも、正式な恋人になった。それに、接客業務に笑顔は大切だからね。あと、先輩として、後輩の様子を見守るのも大事なことだし」


 爽やかな笑顔で筑紫先輩はそう言い、俺と向かい合う形で椅子に座った。


「まあ、褒められるのは嬉しいので、毎度毎度言ってもいいですが」

「ははっ、ありがとう。……確か、昨日は青山さんとデートだったんだっけ?」

「ええ。初めて映画デートをしまして。その後に火村さんのバイト先と、葉月さんのバイト先にも行ってきました。とても楽しい一日になりました」

「それは良かったね。映画を観に行くって言っていたね。確か、『空駆ける天使』だったっけ?」

「はい。内容を知らずに観たんですけど……やられました。泣けるっていう評判通りの感動的な映画で。終盤からずっと氷織の隣で号泣してました。そんな俺を見て、氷織が可愛いと言ってくれてほっとしました」

「ははっ、そうだったんだ。その話を聞くと……君の泣き顔を見たくなるね」


 依然として爽やかな笑顔でそう言ってくる筑紫先輩。今の言葉にキュンとくる人がいそうだ。

 どうして、俺の知り合いってみんな俺の号泣した様子を見たがるんだろう。俺って泣かないイメージでも持たれているのかな。アイスコーヒーを一口飲むと……いつもより苦く感じる。


「僕も原作の漫画を持っているよ。ラストに感動したのを覚えてる。しばらく読んでいなかったけど、紙透君の話を聞いたら読みたくなってきたな」

「原作漫画もいいですよね。帰りに葉月さんがバイトしている書店で全巻購入して。家に帰って読んだんですけど……映画を思い出してまた号泣しました」

「ははっ、そうだったんだ。紙透君の琴線に触れる作品だったんだね」


 そっかそっか……と呟き、照り焼きチキンサンドを頬張る筑紫先輩。

 昨日は映画館で号泣し、自分の部屋でも号泣した。もしかしたら、昨日は今年一番涙を流した日かもしれない。


「氷織とのデートが楽しかったのもありますし、午後に氷織が来てくれるのもあります。あとは、葉月さんと火村さんがバイトしている様子を見たら……俺もこのバイトをこれからも頑張ろうって思ったんです」

「友達から刺激を受けたんだ。バイトの先輩として本当にいい話を聞けたな。じゃあ、お昼ご飯を食べて、少し休憩をしたら、午後の業務も頑張ろうね」

「はい」


 筑紫先輩も漫画を読んでいると分かっていたので、先輩と『空駆ける天使』の話をしながら、まかないのチキンサンドとアイスコーヒーを楽しむ。それもあって、昼休憩が終わったときはいつも以上に元気が出た気がする。

 筑紫先輩と隣同士にカウンターに立ち、午後の業務を始めていく。午後になってもお客様は結構な頻度で入店してくる。短い休憩を挟み、業務を進める。

 そして、午後2時半過ぎ。


「こんにちは。明斗さん、お疲れ様です。筑紫さんもお疲れ様です」


 氷織が来店してくれた。ロングスカートとVネックの半袖のリプニットシャツに身を包んで。昨日のデートでも持っていたトートバッグを肩に掛けている。


「いらっしゃいませ、氷織。そして、ありがとう」

「ありがとう、青山さん」

「来てくれて嬉しいよ。今日の服もよく似合っているね」

「ありがとうございます。明斗さんの様子を見に来たのはもちろんですが、コミュニケーション英語の時間にやる英単語テストの勉強をしたり、読みかけの小説を読んだりしようと思いまして」

「そうなんだね。……カウンター席なら空いてる」

「良かったです」


 それから、氷織はアイスコーヒーのMサイズを注文。ガムシロップを1つ付けて。

 氷織から代金を受け取り、俺はアイスコーヒーのMサイズとガムシロップを用意する。


「お待たせしました。アイスコーヒーにガムシロップになります」

「ありがとうございます。バイト頑張ってくださいね、明斗さん」

「ありがとう。氷織も英単語テストの勉強、頑張ってね」

「ありがとうございます。では」


 氷織は俺に小さく手を振って、筑紫先輩に軽く頭を下げるとカウンター席のある方へと向かう。空いているカウンター席の中で、カウンターから見えやすい席に氷織は座った。

 今はカウンターの前にお客様があまりいないので、氷織の方を見ると……氷織はアイスコーヒーにガムシロップを入れ、ストローで飲んでいる。その姿を見ると、昨日、タピオカドリンクを飲んだときのことを思い出す。

 コーヒーを飲むと、氷織はトートバッグから書籍や筆箱、ルーズリーフを出す。英単語テストの勉強をするのかな。氷織は書籍を開き、シャーペンを動かし始める。私服姿だから、氷織がオシャレな大学生に見えてくるよ。

 それからも、勉強したり、読書したりする氷織をたまに眺めながら、俺はカウンターの業務をしていく。それは氷織が帰っていく午後5時頃まで続いた。

 2時間半ほど氷織がお店に滞在してくれたおかげもあり、シフトが終わる午後6時まであっという間だった。


「終わった……」


 休憩は挟んだけど、8時間バイトをしたからかな。終わった途端に疲れが出てきた。

 従業員用の出入口から外を出ると、夕方の時間帯だからかちょっと肌寒い。

 あと、今の時期だと日暮れまで数十分ほどあるけど、何だか暗い感じがする。空を見上げると……上空には雲が広がっていた。そういえば、今朝の天気予報で東京は夕方から夜にかけて雲が広がるかもって言っていたな。


「肌寒いのはこの雲のせいか」


 まあ、春の終わり頃だし、歩いていればすぐに体が温まってくるだろう。そう思い、自宅に向かって歩き始める。


「そういえば、氷織は英単語のテストの勉強をしていたなぁ」


 コミュニケーション英語の授業では、定期的に英単語のテストが実施される。もちろん、成績にも影響する。次の授業は中間試験の答案の返却だろうけど、俺も事前に英単語テストの勉強をしておくか。そんなことを考えていたときだった。

 ――ポツッ。

 うん? 顔に何か冷たいものが当たったぞ。

 ――ポツッ。ポツッ。

 顔だけじゃなくて、肩や足元などにも冷たいものが当たっていく。


「雨が降ってきたのか」

 ――ザーッ!


 雨だと分かってすぐ、雨脚が急に強くなる! ゲリラ豪雨か!


「この辺は降らないんじゃなかったのかよ!」


 ゾソールから少し歩いてしまっている。お店に戻るのではなく、家に帰った方がいいだろう。

 俺は家に向かって全力疾走。その間も雨脚は強くなっていくばかり。薄暗いのもあって、視界も結構悪くなってきて。

 2、3分ほど全速力で走り、何とか家に帰ることができた。


「た……ただいま。はあっ……はあっ……」


 8時間もバイトをした後に全力で走ったから、どっと疲れが襲ってきた。髪も服もビショビショになるほどに濡れたから全身が寒い。震えがきている。


「おかえり……おっ、凄く濡れてるな」

「途中でゲリラ豪雨に遭ったんだ。だから、走って帰ってきた」

「そうだったのか。バスタオルを持ってくるよ」

「ありがとう」


 その後、父さんが持ってきてくれたバスタオルで髪と顔を拭き、浴室へ直行。

 お風呂のスイッチはまだ入っていなかった。なので、湯船にお湯を張っている中で俺はシャワーを浴びる。肌寒い中、強い雨に打たれたのもあり、体がなかなか温まらなかったのであった。

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