第42話『一番の薬』

 午後1時半。

 約束の時間に氷織の家に到着した。自宅からここまで自転車で行くのはこれが初めて。日差しが温かくて空気が爽やかだったから、漕いでいてとても気持ち良かったな。

 自転車を青山家の庭に置かせてもらい、俺はインターホンを鳴らした。


「明斗さん、いらっしゃい」


 鳴らしてから10秒も経たないうちに玄関が開き、氷織が姿を現した。インターホンで応対するかと思いきや、こんなにもすぐに姿を現すとは。ちょっとビックリした。あと、水色のロングスカートに黒いタートルネックの縦ニットセーター姿が可愛い。温かそうだ。

 俺と目が合うと、氷織はニッコリと笑った。


「こんにちは」

「こんにちは、氷織。すぐに出てきてくれるとは思わなかったよ」

「待ち合わせの時間が近づいたので、部屋の窓から外を見ていたんです。そうしたら、自転車を漕ぐ明斗さんの姿が見えて。それで、玄関に降りて待っていたんです」

「そうだったんだ」


 可愛すぎるんですけど。


「今日の服もよく似合っているね。タートルネックだから温かそうだ」

「温かいですよ。病み上がりですから、体を温かくした方がいいと思いまして。明斗さんのワイシャツ姿は爽やかでかっこいいです」

「ありがとう」

「さあ、上がってください」

「うん。お邪魔します」


 俺は氷織の家の中に入る。

 リビングにいる氷織の御両親に挨拶して、俺達は2階にある氷織の部屋へ。ちなみに、七海ちゃんはバドミントン部の活動があり、30分ほど前に中学校へ行ったとのこと。


「どうぞ、明斗さん」

「お邪魔します」

「みやび様を一緒に観る予定ですから、ベッドの側に置いてある2つのクッションのどちらかに座ってもらえますか? 荷物は適当なところに置いてください」

「分かった」


 氷織の指示通り、ベッドの方へ行くと、ベッドの側には2つのクッションが置かれていた。ただし、そのクッションはくっつけて置かれている。今までアニメを一緒に観るときは隣同士に座って観ていたからな。それを氷織が受け入れてくれているのだと分かる。嬉しいな。

 並べてあったクッションの片方に腰を下ろし、自分の横に荷物を置いた。


「飲み物を持ってきます。何がいいですか?」

「じゃあ……温かい紅茶をお願いできるかな」

「分かりました」

「あと、この前借りた百合漫画を返すよ。ありがとう」


 トートバッグから、百合漫画の入ったよつば書店の袋を取り出す。ゆっくりと立ち上がって、袋を氷織に渡した。

 氷織は袋から百合漫画を取り出すと、俺の目を見て微笑む。


「確かに受け取りました。楽しんでもらえて良かったです」

「面白かったよ」


 俺がそう言うと、氷織は嬉しそうに笑ってゆっくりと頷いた。俺が返した漫画を本棚に戻して、部屋を後にした。

 再びクッションに腰を下ろして、そっとベッドにもたれる。そのことで、ベッドの方から氷織の甘い匂いと、洗剤の爽やかな匂いが香ってくる。昨日、汗掻いたと言っていたし、シーツを取り替えたのかもしれない。……何を考えているんだか、俺は。

 まさか、2日連続で氷織の家に来られるとは。夢のようだ。以前の俺にこのことを話したら信じてくれるかな。信じてもらえないかも。


「お待たせしました」

「おかえり」


 マグカップ2つを乗せたトレーを持った氷織が部屋に戻ってきた。温かい紅茶だから、戻ってきてすぐに紅茶の香りを感じる。そのことに安らぎを抱いた。

 氷織は俺の目の前にマグカップを2つ置き、トレーは勉強机に置く。

 氷織が俺の隣に座った直後に、俺はマグカップを手に取る。湯気から結構な熱気が伝わってきたので、ふーっ、と息を吐いて紅茶を少し口に含んだ。


「……ほんのり甘くて美味しいね」

「良かったです」


 氷織も自分のマグカップを持ち、息を吹きかけた後に紅茶を一口飲んだ。そのときに笑みを浮かべる彼女の横顔はとても美しかった。


「美味しい。……さっそく、みやび様の第2期を観たいと思っているのですが……いいですか?」

「もちろんさ! まずは第1巻を観ようか」

「はいっ」


 俺達はみやび様の第2期のBlu-ray第1巻を観始める。もちろん、今までと同じように隣同士に座って。

 お互いに観たことがあるので、「このシーンが面白い」とか「ここはとてもキュンとした」といった感想を語り合いながら観ていく。ただ、氷織が至近距離で笑顔を見せてくれるから、アニメじゃなくて、氷織の方に気が向いてしまうときもあるが。


「第2話も終わったから、これで第1巻が終わりか」

「あっという間でしたね」

「そうだね。話しながら観たしね」

「ええ。楽しかったです。ただ、病み上がりだからか、ちょっと疲れてしまいました。長めの休憩を入れてもいいですか?」

「もちろんいいよ」


 アニメをただ観るだけじゃなくて、俺とも楽しそうに話していた。そのことで疲れが出てしまったのかもしれない。それに、氷織は病み上がりの状態だから。


「ベッドで横になった方がいいかも。そうした方がより楽になれるだろうし」

「そうですね。ただ……枕は明斗さんの膝枕がいいです。この前のお家デートで明斗さんを膝枕しましたから、私も体験してみたいと思って。どう……ですか?」


 氷織は頬をほんのりと赤くし、俺のことをチラチラ見てくる。俺に膝枕をしたから、今度は膝枕されてみたい……か。凄く可愛いことを考える。


「いいよ」

「ありがとうございます」


 俺はクッションから立ち上がり、氷織のベッドの端に腰を下ろす。

 氷織は掛け布団をめくり、ベッドの上で仰向けの形で横になる。そして、頭を俺の膝の上にそっと乗せてきた。膝から氷織の重みと温もりがじんわり伝わってくる。

 見下ろす形で氷織を見る。氷織と目が合うと、彼女はやんわりと笑った。


「どうかな、俺の膝枕は」

「とても気持ちいいです。感触も良くて、ほんのりと温かくて。これならゆったりできそうです」

「それは良かった」

「……あと、重くないですか? 大丈夫ですか?」

「ああ、全然大丈夫だよ」

「良かったです」


 ほっとした表情になる氷織。女の子だし、体の重さが気になるのかも。

 両手をどこに置こうか迷う。ただ、この前、俺に膝枕してくれたときの氷織を思い出し、右手を氷織の頭に、左手をお腹の辺りにそっと乗せた。すると、氷織の体がピクッと震えたけど、嫌そうな表情は見せない。


「この前の氷織みたいに手を乗せたけど、嫌だった?」

「いいえ、お腹ですから。それに、明斗さんの温もりを感じられて安心できますから。昨日、風邪を引いて学校を休んだからでしょうかね。学校を欠席して、明斗さん達と会えないのがとても寂しかったです」

「……そうだったんだね」


 俺も教室に氷織がいないことを寂しく思っていた。でも、氷織は俺とは違って一人きり。俺よりも強い寂しさを抱いていたのかもしれない。ただ、寂しい気持ちが重なったことがたまらなく嬉しい。


「その寂しさを少しでも紛らわすために、萩窪デートで明斗さんがプレゼントしてくれたぬいぐるみを抱きしめていました」

「そうだったんだ」


 ベッドを見渡すと、枕の近くに俺がプレゼントした茶色と白のハチ割れ猫のぬいぐるみが置かれていた。ぬいぐるみを手に取ると、氷織にプレゼントしたときのことを思い出す。あのとき……氷織は本当に喜んでくれていたな。

 氷織がぬいぐるみに手を伸ばしたので、氷織にぬいぐるみを渡した。すると、氷織はぬいぐるみを抱きしめる。


「こういう風に抱きしめました。抱き心地もいいですし、明斗さんと同じ茶色い部分もありますから、気分も落ち着いてきて。だから、ぐっすりと眠れたんです」

「なるほどね。じゃあ、このぬいぐるみのおかげで、氷織の体調が早く良くなったのかな」

「そうだと思います。ただ、この猫ちゃんが明斗さんにちょっと似ていて、明斗さんがプレゼントしてくれたものだから、よく眠れたのかなって思っています」


 氷織はほんのり赤くなった顔に笑みを浮かべ、俺を見つめてくる。そんな彼女が本当に可愛くて。キュンともして、体が熱くなっていく。氷織の頭を乗せている太もものあたりが一番熱くなっているのは気のせいだろうか。


「昨日、沙綾さんと恭子さんと一緒にお見舞いに来てくれたとき、心が軽くなりました。頬に手を当ててくれたのが凄く気持ちよくて、熱が引いていきました。今だって、こうして膝枕してもらっていますから、Blu-rayを観た疲れが取れてきています。私にとっての一番の薬は明斗さんなのかもしれませんね」

「……嬉しい言葉だ」


 俺の存在が、氷織の元気に繋がっているのが凄く嬉しい。氷織の頭を優しく撫でる。

 もし、俺が体調を崩して、氷織がお見舞いに来てくれたら……きっと、それだけで快方へ向かうだろうな。そうなる自信がある。健康なのが一番なのは分かっているけど、一度、風邪を引いて氷織がお見舞いに来るのを体験してみたい。


「膝枕が気持ち良かったので疲れが取れました」

「良かった。膝枕は姉貴くらいにしかしたことないけど、膝枕をするのもいいもんだな」

「ふふっ。ありがとうございます、明斗さん」


 氷織は体をゆっくりと起こし、ベッドから降りる。その際、猫のぬいぐるみは枕に置いた。


「Blu-rayの第2巻、観る?」

「はいっ、観ましょう」

「分かった」


 俺はベッドから降り、プレーヤーにみやび様のBlu-ray第2巻を挿入する。既に座っている氷織の隣のクッションに腰を下ろした。

 Blu-rayの再生が始まり、オープニングの映像が流れているときだった。


「ひ、氷織?」


 氷織が俺に寄り掛かってきて、右肩に俺の頭を乗せてきたのだ。ドームタウンの観覧車に乗ったときと同じような姿勢なので、あのときのことを思い出す。

 氷織は俺を見て、目が合うと優しく微笑む。


「こうして、明斗さんの温もりを感じながら観ていれば疲れにくいかと思って。明斗さん……いいですか?」

「もちろんさ。俺も……氷織の温もりが気持ちいいし」

「ありがとうございます。では、まずはこの体勢で第2巻を観てみます」

「うん。試してみるといいよ」


 氷織が快適に観られたらいいな。

 寄り添う姿勢になったけど、第1巻を観ているときと同じく、感想などを話しながら第2巻を観ていく。氷織の温もりだけじゃなく、甘い匂いや柔らかさも感じるので、第1巻のときよりも氷織のことが気になってしまったけど。ただ、これはこれで楽しい。

 やがて、第2巻を観終わった。

 氷織は疲れを全然感じないという。俺に寄り添う体勢なのもあり、むしろ楽だったそうだ。なので、第3巻以降もBlu-rayを観ている間は、基本的に寄り添った。

 これまでのお家デートよりも、氷織の温もりをたくさん感じられた時間になったのであった。

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