第22話『俺にとってはご褒美』
5月2日、日曜日。
5連休の2日目。今日は午前10時からゾソールでバイトしている。午後5時までの7時間のシフトだ。長時間だけど、明日は氷織とデートするし、それを励みに頑張ろう。それに、バイトが始まる30分くらい前に氷織から、
『バイト頑張ってくださいね』
というメッセージをもらったから。このメッセージだけでも、バイトが終わるまでやる気が続きそうだ。
あと、和男と清水さんからも『今日から3日間の合宿頑張る!』とメッセージをもらった。行き帰りのバスの中で話したり、夜の自由時間に合宿所の周りを散歩したりするのが合宿中の2人の楽しみらしい。それを知ってほっこりとした気分に。
連休2日目で日曜日。晴天で昨日よりもちょっと涼しい。外出するには最適な一日と言えるだろう。バイトを始めた午前10時の時点で、お客様はそれなりに多い。
ほぼ絶え間なく接客が続き、あっという間にお昼休憩の時間がやってきた。
「今日も凄くいい表情で接客しているね、紙透君」
まかないのピザトーストを食べ始めるや否や、同じシフトでバイトしている筑紫先輩がそう言ってきた。先輩はいつもの爽やかな笑顔で俺を見つめている。
「どうもです。あと、最近は必ずそういったことを言ってきますね」
「本当にそう思っているからさ。青山さんっていう恋人の力は凄いね」
「今はお試しですけどね。ただ、氷織と付き合い始めてから、毎日がとても楽しいです」
「ははっ、そうか。紙透君から青山さんとの進展具合を聞くのが、最近の僕の楽しみになっているよ」
「そうですか」
これからも筑紫先輩と一緒のシフトのときは、氷織のことを話すことになりそうだ。
「それで、僕が青山さんと会った日の後から、彼女とは何かあったかい? 確か、その日は青山さんが紙透君の家に行ったんだよね」
「ええ。その日は俺の家で。昨日は氷織の家でお家デートしました」
「おぉ、青山さんの家でも」
「ええ。氷織がお昼ご飯にラーメンを作ってくれたり、お互いに好きなみやび様や知人帳のアニメを観たり。あとは……氷織に膝枕してもらって、30分ほど昼寝しました」
「膝枕してもらった上に昼寝か。いい感じに仲を深めているじゃないか」
そう言い、筑紫先輩もまかないのピザトーストを食べ始める。
どちらのお家デートも楽しかったけど、特に昨日の氷織の家でのお家デートは楽しかったな。筑紫先輩に言ったことだけじゃなく、氷織の短編小説を読ませてもらったり、頬にキスしたり、氷織が俺に初めて微笑んでくれたり。凄くいい一日だった。
「お家デート中に、何かいいことがあったんだね。顔がほんのりと赤くなってるよ」
「そ、そうですか?」
「ああ。微笑む顔がね」
どうやら、自然と顔に出ていたようだ。指摘されると恥ずかしいものがある。頬中心にある熱が強くなっていく。きっと、顔の赤みが増しているだろう。
「昨日、青山さんの家に行ったってことは、ご家族にも?」
「はい。御両親と妹さんにご挨拶しました。俺達の関係を理解してくれています」
「それは良かったね。普通に付き合うことでさえ、彼女の父親から反対されたり、快く思われなかったりすることってあるじゃない。お試しだとより……」
「俺も同じことを思いました。お試しで付き合う上でのルールを決めたことや、俺のことを楽しく話していることが大きかったみたいです」
「なるほどね」
まあ、亮さんには「何かあったら許さない」と言われたけど。父親としてそう思うのは普通だろうけど、あのときの亮さんは結構恐かったな。今でも思い出すと寒気が。
「今の話を聞くと、2人が正式に付き合っているように思えるよ」
「ははっ、そうですか」
「ただ、正式に付き合い始めるのはそう遠くないと思うよ」
「そうだといいな……って思ってます」
「応援してるよ。ちなみに、この連休の間は青山さんと会ったりするのかい?」
「明日は萩窪駅の周辺でデートします。あと、友人達も一緒ですが、5日に東都ドームタウンへ遊びに行きます」
「おぉ、盛りだくさんだね。ドームタウンは去年行ったけど凄く楽しかったよ。連休明けのバイトが楽しみになってきたな」
「ははっ。仲を深めたいと思います」
連休最終日の5日は、今後もお試しの恋人として付き合い続けるかどうかの更新日でもある。連休明けのバイトでも、今みたいに筑紫先輩に氷織との話ができたらいいな。
お昼休憩も終わり、俺は筑紫先輩と一緒に午後のカウンター業務を始める。
以前、氷織がこのお店に来てくれた日と同じく、お昼過ぎの時間になると、お客様の数が落ち着いてくる。カウンターにお客様がいないときは、筑紫先輩と話すことも。
そして、午後2時頃。
「お疲れ様です、明斗さん」
「どうもッス! 紙透君!」
「ちゃんと働いているじゃない、紙透」
「えっ!」
何と、氷織と葉月さんと火村さんが来店してきたのだ!
来店してくるとは思わなかったので、思わず大きな声を出してしまった。そのことに葉月さんと火村さんがクスクス笑う。
「どうして3人がここに?」
「昨日の夜に、今日はひおりんの家へ行こうと話したッス。昨日のお家デートのことは知っていたので、そのときのことや紙透君のことも話題になったッス」
「そうなのか。俺も火村さんから氷織とのデートのことを訊かれたな」
氷織の家でのデートは盛りだくさんだった。だから、火村さんは何度も『羨ましい!』って反応してくれたな。
ちなみに、氷織のアルバムを見たことは伝えたけど、氷織の中学時代の一件については伏せてある。もちろん、氷織の頬にキスしたことも。
「好きな人のことだもの。気になるわよ。楽しかったみたいで何よりだわ。……話を戻すけど、紙透はゾソールでバイトしているって氷織が教えてくれて。バイト中の紙透がどんな感じか興味あったし。それに、ゾソールにはタピオカドリンクを売っているから。氷織の家に行く前に、ゾソールでタピろうって話になったの」
「そうだったんだ」
タピろう……ああ、タピオカドリンクを飲もうって意味か。
昨日の夜に話したなら、3人で来るって俺に教えてくれても良かったのに。何も知らせずに姿を見せたら、俺がどんな反応をするか見たかったのかな。さっきの葉月さんと火村さんの反応からしてあり得そうだ。
それにしても、今日のバイト中に氷織達と会えるとは。俺にとっては素敵なご褒美だ。
ちなみに、氷織はロングスカートにパーカー、火村さんはスラックスにワイシャツ、葉月さんはフリルたっぷりのワンピースを着ている。
「みんな私服姿可愛いね。似合ってるよ。火村さんと葉月さんは初めて見るから新鮮だよ」
「ありがとうございます」
「どうもッス!」
「か、紙透からでも、似合っているって言われると嬉しいわね。ありがとう」
氷織は明るく、葉月さんは元気よく、火村さんは少し照れくさそうに言った。三者三様の反応も可愛らしい。
「少しの間、お店の入り口近くからカウンターにいる明斗さんを見ていました。今日もしっかりお仕事をしていて偉いです」
「いい接客をしていたわね、紙透。たまに、隣のカウンターにいる店員さんと話していたけど」
「仲良く話している光景は素敵だったッス。紙透君は美形ッスけど、隣の男性の店員さんもメガネ系美形。ボーイズラブなアイデアが色々と浮かんだッス……」
葉月さんは両手を頬に当て、うっとりした表情に。ボーイズラブが大好物な彼女らしいけど、どうして俺と筑紫先輩を交互に見ているのかな。君の脳内で、俺達があれやこれやとしているんじゃありませんか? 君、ナマモノ系もいける口ッスか?
「美しい光景ッス……って沙綾は興奮していたわ」
「BLの短編新作を書く意欲が沸き上がってきたッス……とも言っていましたね」
火村さんと氷織が状況説明をしてくれる。今の葉月さんを見ていたら、そのときの様子が容易に想像できるな。
ははっ、と筑紫先輩は俺の横で爽やかに笑う。
「茶髪の子はBL好きなんだ。僕はBLって全然読まないけど、僕らの光景を見たことで着想を得た短編ができたら、一度読んでみたいものだね」
そう言うと、筑紫先輩は左手を僕の右肩に乗せる。俺とBLな妄想をされているかもしれないのに、普段と様子が全く変わらない。気にしないのかな? それとも、これまでに何度も妄想されているとか? 葉月さんの言う通り、先輩は美形だし。
「『花月沙耶』というペンネームで投稿サイトに作品を公開しているッス!」
「花月沙耶さんか。僕、そのペンネーム知っているよ。ガールズラブ作品を何作も読んだよ。なかなか濃い恋愛描写もあるよね。大学の友人も絶賛していたな」
「嬉しいお言葉ッス!」
葉月さん、とっても嬉しそうだ。今まで見た中で一番嬉しそうにしているかも。
「ところで、紙透君。こちらの2人は? 青山さんも一緒だから、君達の知り合いなのかなって思ってはいるけど」
「興奮している茶髪の子は葉月沙綾さん。俺達の友人で、氷織とは文芸部繋がりなんです。それで、赤髪の子は火村恭子さん。彼女も友人で、俺と氷織のクラスメイトでもあります」
「そうなんだ。筑紫大和です。東都理科大学理学部に通う2年です。よろしくね」
「頭いいッスね! 葉月沙綾といいます! 理系クラスです! よろしくです!」
「火村恭子といいます」
「葉月さんに火村さんだね。類は友を呼ぶって言うのかな。2人とも美人な子だね」
「いえいえ、そんな~」
「どうも」
自作の小説を褒められたのもあってか、葉月さんはデレッとしている。
葉月さんとは対照的に、火村さんは微笑むだけ。ただ、美人だって言うのが氷織だったら、今の葉月さんみたいになっていたかも。
「いつまでもここにいたら、他のお客さんの迷惑になるかもしれませんね」
「盛り上がってしまったッスからね」
「せっかくだし、紙透に接客してもらいましょう」
「分かったよ」
それから、俺は氷織、葉月さん、火村さんの順で接客をする。
氷織はタピオカミルクコーヒー、葉月さんはタピオカココア、火村さんはタピオカミルクティーを注文した。
3人はカウンターからほど近い4人用のテーブル席に座る。美女が3人一緒にいるのもあり、店内にいるお客様の多くが彼女達に視線を向けている。
当の3人は周りの視線を気にせずに、スマホで写真を撮り、
『いただきまーす』
と言って、自分の注文したタピオカドリンクを飲み始めた。
「ミルクコーヒー美味しいです」
「ココアもいい感じッスね!」
「ミルクティーなかなかだわ。さすがはゾソール」
それぞれ好意的な感想を口にした。店員として嬉しいな。筑紫先輩にも聞こえていたようで「ふふっ」と嬉しそうに笑っていた。
それからも、接客の合間に、テーブル席にいる氷織達の様子を見る。
氷織達はタピオカドリンクを飲みながら談笑している。金曜日にタピオカドリンクを飲んだときもあんな雰囲気だったのかな。たまに彼女達は俺の方を見る。
あと、氷織が微笑む姿も見られた。葉月さんがいるからだろうか。それとも、昨日のことを通じて、微笑みや笑顔を少しずつ見せていこうと決めたからだろうか。どちらにせよ、氷織の微笑みを見られるのは嬉しい。そう思うのは俺だけでなく、
「氷織が微笑んだ! 嬉しいっ! 可愛いわ……!」
と火村さんが喜んでいた。可愛いのは事実なので、俺は心の中で頷いた。
また、3人は互いのタピオカドリンクを一口交換していた。火村さんが氷織のミルクコーヒーを飲んだときは大興奮。俺にとっては予想通りだったけど、中には驚いた様子を見せるお客様もいた。
30分ほどして氷織達は席から立ち上がり、再びカウンターの前にやってくる。
「ごちそうさまでした。ココア美味しかったッス。あと、バイト頑張るッスよ」
「ミルクティーも美味しかったわ。でも、ミルクコーヒーの方が良かったかな。コーヒーは苦手だけど、ここのミルクコーヒーは美味しいわね」
それは氷織が口を付けたからでは? と言おうとしたけど、言ったらどんな反応をされるか不安なので胸の内に留めた。あと、俺も氷織のミルクコーヒーを飲みたかったよ。
「バイト頑張りなさい。あたしはこれからパラダイスに行ってくるわ! 紙透!」
テンションの高い状態でそう言う火村さん。パラダイスっていうのは……氷織の家のことだよな。もしそこなら、俺にとってもパラダイスだな。
「節度をもって楽しんでね、火村さん」
氷織の家に行って、火村さんが暴走してしまわないかどうかが心配だ。
「葉月さん。火村さんが暴走しないように見張っててね」
「了解ッス」
「ふふっ。ミルクコーヒー美味しかったです。明斗さん、バイト頑張ってくださいね。また明日会いましょう」
「うん。3人とも来てくれてありがとう。またね」
氷織達は俺に手を振って、ゾソールを後にした。これから、3人は氷織の家で楽しい時間を過ごすのだろう。火村さんはずっと興奮していそうだ。氷織の部屋での様子をモニタリングしたいよ。
氷織達が来てくれたおかげで、それからシフトが終わるまで元気良くバイトができたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます