第18話『氷織の部屋』
氷織は部屋の扉をゆっくりと開ける。
「ここが私の部屋です」
「おおっ……」
爽やかで落ち着いた雰囲気の部屋だ。カーペットやクッションの色が寒色系だからだろうか。ただ、ベッドの上には三毛猫の寝そべりぬいぐるみ、勉強机の上にはミニフィギュアや小さなぬいぐるみがあるので可愛らしい雰囲気もある。
部屋の中は綺麗で、本棚もきちんと整頓されている。なので、清涼感も感じられて。
「素敵な部屋だね。ゆったりとできそうな感じで俺は好きだな」
「ありがとうございます。本棚を見ますか?」
「うん」
氷織と一緒に本棚の前まで行く。
俺の部屋にある本棚よりも立派だ。小説やラノベはもちろん、漫画やイラスト集、動物や花、風景の写真集なども入っている。あと、書籍ではなさそうなものも入っているけど……アルバムとかだろうか。
「立派な本棚だな。本がたくさん入ってる。巻数がちゃんと並んでいるし……氷織流に言えば美しい本棚だ」
「ありがとうございます。一昨日、本棚を整理しました。いくつかの作品が巻数通りに入っていなかったです」
「そうだったんだ。……見たところ、恋愛系の作品が多いね」
「はい。男女のラブコメもあれば、ガールズラブやボーイズラブもありますね。ガールズラブとボーイズラブ作品の中には、沙綾さんの勧めで購読した作品もあります」
「そうなんだ」
そういえば、前に葉月さんが同性愛の作品が大好物だと言っていたな。氷織に布教したのだろう。その様子が容易に思い浮かぶ。
「この前、明斗さんから借りたライトノベルは3分の2ほど読みました。結構面白いです」
「面白いと思ってくれて良かったよ」
「連休中か、連休明けすぐに返そうと思います。私、飲み物を用意しますので、明斗さんは本棚を見ていてください。気になる本があれば読んでいいですよ。ところで、明斗さんは何の飲み物にしますか?」
「じゃあ……アイスコーヒーをお願いできるかな。ブラックで」
「分かりました。荷物は適当な場所に置いてください」
「分かった」
氷織は一旦、部屋を出て行く。
改めて部屋の中を見ると……結構広い部屋だなぁ。俺の部屋より広いと思う。深呼吸すると……いい匂いがするなぁ。
本棚に一番近いクッションの上にバッグを置き、再び本棚を見る。
俺の部屋にある本棚とは違って、少女漫画やボーイズラブの漫画や小説も多いな。ティーンズラブの作品もある。ただ、少女漫画のうちの何作かは俺の部屋の本棚にあったり、姉貴が貸してくれたりした作品だから分かる。
持っている少女漫画の一つである『
「やっぱり面白いなぁ、この漫画」
初期のアニメシリーズはしばらく観ていないから、久しぶりに観てみようかな。
「お待たせしました」
氷織はマグカップ2つを乗せたトレーを持って、部屋の中に入ってきた。氷織はテーブルにアイスコーヒーの入ったマグカップを置き、トレーを勉強机に置いた。
「ありがとう、氷織」
「いえいえ。ところで、明斗さんは何の本を読んでいるんですか?」
「『秋目知人帳』の第1巻。結構好きな漫画だからさ」
「そうなんですか。その漫画は明斗さんの部屋にありましたね。他にも『僕物語!』とかいくつか少女漫画がありましたね」
「その2つはアニメを観てハマってさ。あとは姉貴に借りて読んだ少女漫画もあるよ。この『スイーツバスケット』とか」
「その漫画も面白いですよね」
氷織は本棚の近くまでやってきて、上の方にある段に入っている『スイーツバスケット』に右手を伸ばそうとする。すると、
「痛っ」
小さく声を漏らすと、それまで伸ばしていた右手を下ろした。痛いと言っただけあって、ちょっと辛そうな表情に。
「肩が痛いのか?」
「はい。多分、肩凝りだと思います。長時間勉強したり、小説を書いたりした後などに肩が凝ってしまうことが多くて。あとは、体育の授業があった日も。今日は午前中に課題をしていましたし、お昼ご飯も作ったので、その疲れが溜まったのかもしれません」
「なるほどね。……もし、氷織さえ良ければ、俺が肩のマッサージをするよ」
そんな提案をすると、俺を見る氷織の目が見開いたものに。驚きなのか。それとも、嫌悪感か。肩凝り解消のためとはいえ、体に触れることを言ったのはまずかったかも。
「氷織、ごめ――」
「いいのですか?」
そう問いかける氷織の声色は普段よりも高い。
俺は氷織の目を見て首肯する。
「普段、母親と姉貴のマッサージをしているから。特に母親は体質なのか肩が凝ることが多いんだ。だから、マッサージは得意だよ」
「そうなのですね。では……お願いできますか?」
「分かった」
氷織の肩凝りが解消できるように、マッサージを頑張ろう。
俺がマッサージしやすいようにと、氷織は勉強机の椅子に座る。背筋をピンと伸ばしており、とても綺麗な姿勢だ。
俺は座っている氷織の後ろに立って、氷織の両肩をそっと掴む。掴んだ瞬間、氷織は体をピクッと震わせる。
「痛かった?」
「いいえ。両肩を触られてピクッとしてしまっただけです」
「そうか。マッサージしているとき、痛かったら遠慮なく言ってね」
「分かりました」
俺の方に振り返り、氷織はゆっくりと首肯した。そんな氷織がとても美しい。
縦セーター越しとはいえ、両手に氷織の温もりが伝わってくる。長い銀色の髪からはシャンプーの甘い匂いが香ってきて。段々とドキドキしてきた。ただ、今からマッサージをするんだ。それに集中しよう。
「じゃあ、揉むよ」
「よろしくお願いします」
とりあえず、母親と姉貴にやっているようにマッサージするか。氷織に合えばいいな。
氷織の両肩を揉み始める。「はうっ……」と氷織の甘い声が部屋に響き渡る。
「氷織、大丈夫?」
「ちょっと痛かったです。ただ、ほぐれている感じがします……」
「とりあえずはこんな感じでやっていくか?」
「……はい。お願いします……」
話し声が普段よりも艶っぽくなっている。後ろから抱きしめたくなるけど、理性をちゃんと働かせないと。俺は今、氷織のマッサージ師なんだと自己暗示。
それからも氷織の肩をマッサージしていく。痛みを感じるだけあって、結構凝っているな。
「肩が凝ってるね。課題をこなしたり、お昼ご飯を作ったりしたのを頑張ったんだな。お礼も込めて、ちゃんと揉むからね」
俺がそう言うと、氷織はこちらには振り向かずに、首を縦に振った。
時折、「んっ……」とか「はあっ……」といった氷織の甘い声を聞きながら、氷織の肩を揉んでいく。
「気持ちいいです……明斗さん……」
「それは良かった」
ほぐれてきている証拠かな。あと、甘い声をたくさん漏らす中で「気持ちいい」は反則じゃないだろうか。後ろから抱きしめたい本能が、本格稼働させている理性に勝ってしまいそうだよ。
「普段、肩が凝ったときはどうしているの?」
「自分でマッサージすることが多いですね。お母さんか七海に揉んでもらうこともあります。ただ、明斗さんが一番気持ちいいですよ。さすがはお母様とお姉様の肩を揉まれているだけのことはありますね。とても上手です」
「ありがとう」
「一番気持ちいい」とか「とても上手」とか嬉しい言葉を次々言ってくれるなぁ。
ふと思ったけど、この状況を火村さんが見たら凄く羨ましがりそう。俺に代われとか言いそう。あと、肩だけじゃなくて別の場所も揉みそう。もし揉ませるなら、俺や葉月さんとか、誰かがいるときじゃないとダメな気がする。
「明斗さんは肩が凝りますか?」
「俺は普段は凝らないなぁ。長時間課題や試験勉強をした後くらいかな」
「そうですか。いいですね。バイトの後にはならないのですか? 休日には長くシフトに入るときがあるでしょう?」
「バイトに慣れるまでは肩が凝ったかな。今はそういうことはないね。定期的に休憩を挟んでいるからかなぁ」
「そうなんですね。羨ましいです」
肩凝りがないに越したことはないからな。
マッサージを続けていたから、氷織の肩の凝りがだいぶほぐれてきた。あと、揉み始めたときよりも、氷織の体から伝わる熱が強くなっていた。
「氷織、どうかな。凝りがほぐれたように思えるけど」
そう問いかけて、氷織の肩から両手を離す。
氷織は両肩をゆっくりと回す。マッサージする前より楽になっているといいんだけど。
10秒近く両肩を回した後、氷織は俺の方に振り返る。
「さっきまで肩にあった凝りや痛みが取れました。ありがとうございました」
「どういたしまして。肩が楽になって良かったよ」
何年も家族にしてきたことで培った技術が、氷織のために使えて嬉しい。
「今後、明斗さんがいるときに肩に異変を感じたら、明斗さんにマッサージしてもらいましょうかね」
「俺で良ければ喜んで」
「ありがとうございます」
椅子から立ち上がり、氷織は俺の頭を優しく撫でた。そんな氷織の頬は紅潮しており、口角がほんのりと上がっていた。
俺はさっきバッグを置いたクッション、氷織はベッドの側にあるクッションに座る。
氷織の淹れてくれたアイスコーヒーを一口飲む。
「苦味がしっかりしていて美味しい」
「良かったです。肩を揉んでもらって体が熱くなっていたので、冷たいコーヒーがとても美味しく感じます」
「ははっ、そうか」
「……ところで、明斗さん。これから何をしましょうか?」
「実はみやび様のBlu-rayを持ってきているんだ。一昨日、俺の家では途中までしか観られなかったから。その続きから第1期の最終話までの分を持ってきた。といっても、半分以上あるけど」
「嬉しいです。明斗さんと一緒にみやび様のアニメをまた観たいと思っていましたから。うちにはテレビ放送を録画したのがありますが、製品版の映像を観てみたいですし。みやび様のアニメ第1期の鑑賞会の続きをしましょう」
普段よりも声のトーンを上げてそう言う氷織。一昨日、俺の家で観られなかった分のBlu-rayを持ってきて正解だったな。
俺達はみやび様のアニメ第1期の続きを観始める。この前と同じように、氷織と隣同士に座りながら。
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