ナイトメア フロム V

Na

プロローグ 『最悪の導入』


 状況を理解するより早く、膝から崩れ落ちた。思ったよりもずっと高くから落ちる感覚に、ぞっとする。自分の膝ではない何かが、たぶん、ちゃんと痛んだ。


「あ……ああ……ああああああああああああああああああああああ!」


 長いまつ毛に縁どられた大きな瞳から、涙がきらきらと零れ落ちる。白魚のような指先を伝う、美しい大粒の涙。気が狂いそうだった。自分の声帯から発せられる、馴染みのない声にも。真下が見えないくらい豊かなバストにも。細すぎるそのウエストにも。


「どうしたの、リアーナっ!?」


 慌てて駆け寄ってきた女――母親だ――に縋りついて、半狂乱の様相で叫び続ける。


「なんで!どうして!?どうなったの!私、わたし帰らないとっ!これじゃ、ここじゃ、わたし生きていけない!帰して!おねがい、おねがいです!私を帰して、くだ、さ、いやああああああ帰してぇぇぇええええあああああああああああああああッ!」


 空気を切り裂くような悲鳴に、母親はかける言葉を失うばかりだ。

 かろうじて、その手を強く握り返す。美しい娘の左手には、母親と揃いの指輪があった。黄色に輝く石をはめ込んだそれは、王国民の祝福の証。


「大丈夫。大丈夫よ、リアーナ。そんなに泣かないで。きっと女神様の祝福があるわ。だから母さんに涙の理由を教えてちょうだい」


 そんな言葉は、何の慰めにもならない。ほしいのは、知らない神様の祝福ではないのだ。その女神が何の祝福ももたらさないだろうことを、は知っている。

 何もかもが夢ならいいのにと強く願いながら、里奈子は気を失った。

 酸欠になるまで叫び続けたことさえ、気がつかずに。

 残響は、どこまでも耳馴染みのない誰かの声。

 

 物語の幕が上がるのは――まだ、これから。



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