第2章 一実の冒険者たち

第41話 異世界定食、始めました 1



「歩実、この店はあんたに任せたよ」


 そう言い残し、老婆は息を引き取った。

 新木香あらきこう、九十六歳の天寿を全うした彼女は、眠るように穏やかな顔だった。


「おばあちゃん、あとは任せてね」


 香のひ孫である歩実は香の両手を握り、大きく頷いた。

 不思議と、涙は出なかった。これからお婆ちゃんの後を継ぐのは私だ、と、強い信念だけが残った。

 香の死を聞きつけた親族は香の莫大な遺産を求め様々な奸智かんちを巡らせたが、歩実は香の店をもらえればそれでいい、と、遺産を巡る争いには参加しなかった。

 

 生前、香が身を粉にして食堂を経営していたことは周知の事実ではあったが、香の食堂を継ぎたいと願ったのは、歩実ただ一人だけだった。

 資産家の夫に嫁いだ香に働く必要性はなかったが、人のため、子供のため、と香は夫の死後も、食堂を経営し続けた。


 違算よりも食堂が欲しいとは酔狂な女だと、親族は歩実を不気味がった。


「おばあちゃん、私頑張るよ」


 歩実は香の後を継ごうと、料理の腕を磨いた。

 

 美味しい料理が出れば繁盛する。

 料理に華があれば繁盛する。

 実直であれば店は繁盛する。

 

 そう思って必死に料理の腕を磨いた歩実の店が潰れるのは、五年後のことだった。


 資本社会は、そう易々とは店を続けさせてはくれなかった。

 薄利で続けた歩実の店は、地元からの評判は良かったが、ただそれだけだった。

 美味い料理を出せば店は自然と繁盛する、単純明快なメソッドが上手くいくには、少々社会が複雑になりすぎた。


 味を重視した料理はSNS映えしない質素な料理だと思われた。

 薄利で出す料理は、所詮安物の、価値ない料理だと思われた。

 地元のお客を歓待するような立地は、相対的な客入りの少なさを呼び込んだ。

 

 加えて、未曽有の感染症が世界中に蔓延し、経済は大きく衰退した。


 薄利で運営していた歩実の店が潰れるのは、当然の帰結だった。入りが少なくなった歩実の店は、もはや運営するだけの資金がなくなっていた。

 

「おばあちゃん、ごめんね、ごめんね……」


 閉店の日、歩実は店の中で大粒の涙を流し、泣いた。


「私、私……おばあちゃんのお店潰しちゃった……」


 歩実は目頭からあふれ出る大粒の涙を拭いながら、ただただ、謝っていた。

 

「ごめんね、ごめんね……お婆ちゃん」


 この時初めて、歩実は香が死んだことを悟った。

 香の立ち上げた店が潰れることで、香の死を実感した。

 香は死んだのではない。自分が殺したのだ。


 歩実の胸の内には、言いようのない罪悪感と自責の念だけが残った。


 歩実は店を閉めることになった。



 × × ×



「…………」


 歩実は部屋でぽけー、と、テレビを見ていた。

 香から貰った店は、歩実一人には大きすぎた。料理を提供しないその店で時間を過ごすには、歩実にはあまりにも大きすぎた。

 香が買い上げた土地と建物ではあるが、店を運営するには資金が必要になる。税金もかかる。その資金が、歩実にはなかった。


 香から継いだ店を潰してからは、ただただ無の時間が待っていた。

 感染症による類を見ない大不況により就職先も決まらず、なんとか決まったコンビニのアルバイトで食いつなぎながら、歩実はただただ同じ日々を繰り返していた。

 

 バイトをしていない日は寝転がり、菓子をぼりぼりとつまみながら、対して面白くもないバラエティ番組を無感動に流しているだけの日々が続いた。

 店がなくなるということは、すなわち自分自身がなくなることなのではないか。

 一体これから自分は何を生きがいにして生きていけばいいのか。

 香の意志を継がなければいけないのではないか。


 そんな重責と、どうしようもないやるせなさを残したまま送る日々は、歩実には辛かった。

 いっそのこと、店ごと潰して何もかもなかったことにしてしまおうか。

 土地も建物も誰かに押し付けて、自分はどこか新天地で会社に勤めてしまおうか。


 香に対して不義理な考えが頭をよぎるたび、歩実は自分を罰した。

 

 そんな日々が何日も続いたある日、歩実の店の表の玄関口が開いた。

 

 表の玄関口はお客様が入る場所であり、知り合いは裏の入り口から店に入る。

 玄関口はお客様のためのものなのだ。

 歩実は聞こえてきた音に、いそいそと着替え、玄関まで向かった。


「すみません、お客様。この店はずいぶん前に閉店して……」


 金髪碧眼で、線の細い美少年が、その場に立っていた。

 びしょ濡れで体中に泥をつけている。だがそれでいて服は高級感があり、歩実はそのちぐはぐなバランスに首を傾げた。


「あの~、外人さん? ここはお店じゃなくて! 普通の家なんです!」

「……?」


 少年は不思議な顔で歩実を見る。


「シャザッ、ラプトゥクーンナフタットペディストラース、カルクケティア」

「え……えぇ~……」


 聞こえたままにカタカナで思い浮かべてみるが、さっぱり分からない。

全く理解のできない言葉に、歩実は困惑する。


「えっと、すみません、私英語とか全然分からなくて」

「…………」


 少年はポン、と手を打ち、何かを唱え始めた。


「ケルティアッソ、ユ、ハルマナーガユエティアナンササルールー」


 唱えたかと思うと、次の瞬間、店の中が穏やかな光に包まれた。


「初めまして、これで通じますか?」


 突如として、少年の言葉を理解できた。


「え……何したの? スマホを通して翻訳とかしてるのかな? 最近の情報機器ってすごいねぇ……こんなことも出来るんだ」


 ネットやパソコンに疎い歩実は感心した。


「ここは食堂なんですよね? 一番街に店を構えるなんてすごいですね。実はサクラメリアの隠れた名店だったりして」

「え? まだ翻訳が上手くいってないのかな……?」


 意味の分からない言葉を呟く少年に、歩実は考え込む。


「あれ……っていうか、外なんか騒がしいような……」


 町の外れに居を構えている歩実の店は、いつも静かだ。

 一日に数えれる程度しか車が通らない道路の近くに建てられた店の中で、時折聞く車の走る音が、好きだった。

 だが、そんな車の音が、しない。


 わいわいと騒がしく、外は人の声であふれている。

 聞いたことのない笛の音が耳に入って来る。何かの楽団だろうか。聞いたことのない音楽ではあるが、妙に懐かしい。


 歩実が扉を開けると、


「寄ってくかい、おっちゃん」

「安いよ安いよ~」

「また魔導書グリモワの値段が高騰したんだってねぇ」

「坊や、少し遊んでかない?」


 歩実の眼前には、見たこともない景色が、広がっていた。


「え……えーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 大声を上げる歩実を盛り上げるかのように、音楽隊が陽気な音楽を鳴らした。






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