第39話 黒翼の悪魔 7



 ある日の昼下がり――


「この依頼を受けたい」

「あ……」


 スノウは冒険者組合ギルドへやって来ていた。


「冒険者さん!?」


 翼竜ワイバーン討伐の際に、スノウと同じく前線にいた冒険者組合ギルドの受付嬢、アンナは、大きな目をより一層大きく見開いた。


「こんにちは、冒険者さん!」


 アンナはスノウの下へ一目散に駆けて行く。


「この前は、翼竜ワイバーンを斃していただき、本当にありがとうございました」

「ちょっとちょっと、その話は内密に」


 頭を下げるアンナを、小声でなだめる。


「す、すみません……っ!」


 はっ、とした顔でアンナは口元を隠す。

 翼竜ワイバーンと前線で戦っていたスノウを見たのは、アンナただ一人。だがスノウは、翼竜ワイバーンの討伐後、すぐさまその場を離れ、アンナにも、翼竜ワイバーンの討伐に参加したことを口外しないように伝えていた。


 翼竜ワイバーンを一人で討伐したとなると、間違いなく上の人間が動くことになる。そうなれば討伐者の身の上も調査され、正体がバレるだろう、とスノウは思案する。


 街から蛇蝎のごとく嫌われているスノウは、コトを大事にすることは出来ない。今やユニリアもいる身で、迂闊なことはできない。自分を保護している人が、過去に村人も仲間も見殺しにし、邪竜の討伐も出来ず、ただ一人のうのうと生きて帰ってきたということを知れば、一体どういう顔をするのか分からなかった。


 スノウはただ穏やかに笑うことしか、出来なかった。


「でも、あのまま残られたら、冒険者ランク昇格も間違いなかったのに! 私、冒険者さんがEランク冒険者なんて納得できないです!」


 もう、と受付嬢は頬を膨らませる。


「いやぁ、大事になるのは嫌いでね……」


 スノウは苦笑する。


「俺一人で斃したってことは、絶対に言わないでくれよ」

「デビットさんがそう言うなら、私は何も言いません」


 アンナは口元でバツマークを作る。


「でも、デビットさんがあんなにお強かったなんて知りませんでした。どうしていつも薬草採取の依頼ばかり受けられるんですか?」

「いやぁ、最近まで体を壊していてね……」

「そうだったんですね……。やはり、ゾイドさんに突き飛ばされて苦しそうにされていたのは、演技ではなかったんですね」


 スノウが一人で翼竜ワイバーンの一群に相対する姿を見たアンナには、スノウの実力は身に染みて分かっていた。呪魔カースの一件がばれるとそこから身柄がバレてしまう、と懸念したスノウは、咄嗟に嘘を吐く。


「どけ!」

「わ」


 後方からぶつかられ、スノウは横にどく。


「てめぇはこんな所に仲良くお喋りでもしに来たのか! 何をしにここに来たんだ! 戦うことも出来ねぇ無能はさっさと消えろ! ここは戦場だぞ!」


 冒険者組合ギルドがにわかにぴりついた雰囲気になる。


「止めてください、ゾイドさん! ここは冒険者組合ギルドの中ですよ!」

「こんなところでくっちゃべってる奴が悪いんだろ。無能のおっさんがよぉ」


 ゾイドはにやにやとスノウを見る。コトを荒立てたくないスノウは、壁に寄る。


「そう言われても何も反論できないよなぁ、万年Eランクのおっさんがよぉ」

「ゾイドさん!」

「けっ」


 アンナは額に青筋を立て、声を荒らげる。


「んなこたぁどうでもいいから、さっさと依頼受けろよ」

「かしこまりました!」


 若干のいら立ちを含ませながら、アンナはゾイドの依頼書を見る。


小鬼ゴブリン討伐ですね、承りました」

「じゃあな、雑魚のおっさん」


 ぎゃははは、と笑いながらゾイドは、冒険者組合ギルドを出た。


「全く……すみません、デビットさん」

「いや、構わないよ」


 スノウは柳に風、と受け流す。


「デビットさんの依頼書も、小鬼ゴブリン討伐ですね」

「ああ、そうだね」


 アンナはちらちらと、スノウを見る。


「あの、デビットさんさえ良かったらなんですけどぉ……」


 控えめに、言う。


「良かったら、小鬼ゴブリン討伐のついでに、ゾイドさんの一団パーティーを気にかけてもらっても良いですか?」

「んん?」


 スノウは疑問符を浮かべる。


「デビットさんから見て、小鬼ゴブリンなんて敵でもないですよね! 分かってます、体が良くなってから初めての討伐なんで、肩慣らしのつもりで小鬼ゴブリン討伐を選んだんですよね!」


 冒険者としてEランクの状態でそこまで大きい依頼を受けられないから、という理由もあったが、スノウは渋々頷いた。


「実はゾイドさんの一団パーティーは、今まで討伐依頼をしたことがないんです……」

「何?」


 自分に対する接し方から、高名な冒険者だと思っていたスノウは、拍子抜けした。


「まだ駆け出しの冒険者で、初めての討伐なのに、自分たちは出来るんだ! だとか、すぐにEランクから昇格してやる、だとか、ずっと張り切ってるんです。だから、もしよかったらなんですけど、ゾイドさんの一団パーティーを少し様子見するくらいでいいので……」


 また厄介なことに巻き込まれたな、とスノウは苦虫を噛み潰したような顔をする。


「も、もちろん報酬もお支払いします! 銀貨三枚! 銀貨三枚をお付けしますので、もしよければ……」


 アンナは肩の紐に手をかける。


「足りないようでしたら、私の体でもご奉仕しますから……!」

「分かった! 行く! そんなことは求めてないから!」

 

 顔を赤くしたスノウは、そのままゾイドたちの後を追った。



 × × ×



「はぁっ!?」


 サクラメリア西方に位置する小さな村、ララ村。

 ララ村を築き上げた老婆、サテナ・ララが突如として、頓狂な声を上げた。


「これはまずい……これはまずいのじゃ……」


 預言者ララは、家を出た。


「おばあちゃん、どうしたんですか?」

「まずい……本当にまずいのじゃ」


 ララは空を見上げる。


「今日は良い天気ですねぇ」

「良い天気じゃと……?」


 空は晴れ、絶好の洗濯日和、と村人は鼻歌交じりにステップを踏む。


「嵐が来るぞい……」

「嵐? そんな風に見えないですけど」


 雲一つない、快晴。


「皆の者! 今すぐ逃げるんじゃ! 今すぐ逃げるんじゃぁ!」

「もう、おばあちゃん、一体どうしたんですか。いつものですか?」

「奴が来る! 奴がくるぞぉ!」


 村人がララの下へ集まってくる。


「ララ様、預言でしょうか?」

「託宣じゃ」


 ララは真剣な顔で空を見る。


「悪魔が……悪魔がやって来る……!」


 村人も空を見る。


「大量の死人が出るぞ!」


 ララは取り乱し、頭を激しくかく。


「もうこの世も終わりじゃ! 早く! 早く逃げるんじゃ! 悪魔が! 悪魔がやって来る!」

「……」

「……」

「……」


 村人たちは、静かに空を見守っていた。



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